汚れなき悪戯
テンプレート:Infobox Film 汚れなき悪戯(けがれなきいたずら、原題:Marcelino Pan y Vinoスペイン語で「パンとワイン」)は1955年製作のスペイン映画。モノクロ作品。監督はハンガリー人のヴァイダ(・ヴェイス)・ラースロー Vajda (Weisz) László [ˈvɒjdɒ (ˈvɛjs) ˈlɑ̈ːsloː]。
時に英語の題名としてMiracle of Marcelinoが使われる。
14世紀イタリア中部ウンブリア地方で起こったと言われる民間伝承を元にしたホセ・マリア・サンチェス・シルバ(José María Sánchez Silva)による1952年発表の小説を原作とする映画。
「夢見よマルセリーノ 静かな寝顔」で始まる「マルセリーノの唄」(飯塚広訳詞)は、当時日本でも大ヒットした。
のちにルイジ・コメンチーニによりイタリアで1991年に「マルセリーノ・パーネ ヴィーノ」としてリメイクされた。
TVでは、1975年の12月24日、日本テレビ「水曜ロードショー.クリスマス・イブ特集」として放映された。
キャスト
- マルセリーノ(パブリート・カルボ) (吹き替え:小田敏治)
- 修道院長(ラファエル・リベレス)
- 台所さん(フアン・カルボ)フランシスコ修道士、(fray Papilla)。料理番で、マルセリーノの保育係
- 鍛冶屋(ホセ・ニエト)町の裕福な鍛冶屋で、後の町長。養い親となることを拒否され、町長となったのち赤子を奪おうとし、さらに修道院の立ち退きを画策する。
- ドン・エミリオ村長
- 修道士(アントニオ・ビコ)
あらすじ
映画は祭礼のために丘の上の寺院に向かう人々の流れと逆方向に歩き、町に住む病気の少女を見舞う無名の神父の話で始まる。彼は今日の祭りは何を記念するものか知っているかと少女に問い、祭礼の起こりを語りだす。
19世紀の前半、スペインのある町の町長を3人のフランシスコ会修道士が訪れ、侵略者フランス軍により破壊されたまま廃墟となっている丘の上の市有地の修道院を再建する許可を求めた。町民の助けを得て再建された修道院ではやがて12人に増えた修道士たちが働いていたが、ある年の聖マルセリーノ祭の朝、門前に赤子が置かれていた。両親は既に亡くなっていたことが判ったので、修道士たちは近隣に里親を求めて歩き回った。
しかし適当と考えられた人々の生活は苦しく、また引き取ると申し出た鍛冶屋は徒弟を乱暴に扱っているため修道士の方で断り、結局赤子は修道院で育てることになった。5年後、マルセリーノと名付けられた赤子は丈夫で活発な少年になっていた。彼は修道士たちから愛され、また宗教や学業の手ほどきを受けはじめていたが、細やかな愛情を注ぐ母親もいなければ同じ年頃の遊び相手もいない境遇に、修道士たちは憂慮していた。
ある日町に行く途中で馬車の故障で修道院に立ち寄った家族がいて、マルセリーノはその母親と話すことで女性に初めて接し、また自分と同じくらいの歳だというマヌエルという末っ子の話も聞いた。マルセリーノはフランシスコに自分の母親のことを尋ね、彼は母親はもちろん美人で今は神様のところにいると請け合った。またマルセリーノはマヌエルを仮想の遊び仲間として独り言を言いながら遊ぶ癖がついた。
修道院の再建を許可した町長は死ぬ前に土地の寄贈を採決しようと申し出たが院長は断っていた。しかし彼の死後町長となった鍛冶屋はまず子供の里親となることを要求し、拒否されると他の議員への影響力を駆使して修道院を立ち退かせようと画策し始めた。
フランシスコは農具や工具を保管する屋根裏部屋には決して入るな、奥の部屋には男がいておまえを捕まえるとマルセリーノに言いつけていたが、ある日おっかなびっくり階段を上がって行ったマルセリーノは奥の部屋で大きな十字架のキリスト像を見た。
転がるように階段を下って逃げたマルセリーノだが、怖いもの見たさで再び様子をうかがいに戻ると「男」は元の場所から動いていなかった。フランシスコの話を信じ、「男」が彫像だとは思わないマルセリーノは像に話しかけた。像は答えなかったが痩せて空腹そうだと思った少年は台所に走るとパンを持ってきて差し出した。すると彫像の腕が動いた。
像はマルセリーノが大きな肘掛け椅子をすすめると降りてきて座って少年と話し、また飲み食いするようになった。像は特にパンと葡萄酒を喜んだのでマルセリーノは毎日それらを盗み、それに気づいた修道士らは訝りながらも気付かぬふりをして彼を見張ることにした。
像との話題はマルセリーノの母のことや像の母のことに及んだ。像が私が誰だか分かるかと問うとマルセリーノは神様ですと答えた。ついにある日、フランシスコが見張っている時、例のようにパンと葡萄酒を持っていったマルセリーノに対し、キリストは彼が良い子だから願いをかなえようと申し出た。迷わずマルセリーノは母に会いたい、そしてそのあとあなたの母にも会いたいと言った。今すぐにかという問には今すぐと答えた。ドアの割れ目から覗くフランシスコの前で像は少年を膝に抱き、眠らせた。
フランシスコは階段上まで戻ると修道士たちを呼んだ。駆けつけた修道士たちは空の十字架を見、やがて像が十字架に戻るのを見て扉を開いた。マルセリーノは椅子の上で顔に微笑みを浮かべて死んでいた。
奇跡を聞きつけた町の人々が続々とあつまる中、立ち退きの通告に来た町長はそれに抵抗し得ず、自分も彼らに混じって行った。
やがて修道院は寺院に作り変えられ、礼拝堂には奇跡のキリスト像が祀られ、そのひと隅にマルセリーノが葬られ、奇跡の記念日には遠近の町村から大勢の人々が集まるようになった。