賢島駅
賢島駅(かしこじまえき)は、三重県志摩市阿児町神明(賢島)にある近畿日本鉄道(近鉄)志摩線の駅である。志摩線の終着駅。
目次
駅構造
頭端式ホーム4面5線を持つ地上駅。留置線はない。もともと特急車両の車内サービスなどでワゴンを出し入れするなど物の移動も考慮されており、プラットホームからバス・タクシーのりば等のある北出口までほとんど階段などの段差がなく車いすなどでも容易に乗降できる構造になっている。[1][2]PiTaPa・ICOCAは簡易改札機による対応である。
かつて、普通列車は南東側の志摩電気鉄道時代からの、1フロア下にある(傾斜面にあるので両方とも地上)ホームより発着していたが、現在は北側に新設された特急用ホームと同じ高さのフロアのホームを使用している。
志摩電気鉄道時代からの駅舎が、南口駅舎の西隣に現存している。
のりば
1・2 | テンプレート:Color特急用ホーム(8連長) | 主として名古屋行き特急 |
---|---|---|
2・3番線降車ホーム | ||
3・4 | テンプレート:Color特急用ホーム(8連長) | 主として大阪難波・大阪上本町・京都行き特急 |
5 | テンプレート:Color普通用ホーム(2連長) | 鳥羽・宇治山田・伊勢中川方面 |
- 1・4・5番ホームには降車ホームがない。
利用状況
「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 1,075 |
1998年 | 912 |
1999年 | 810 |
2000年 | 866 |
2001年 | 854 |
2002年 | 881 |
2003年 | 887 |
2004年 | 894 |
2005年 | 875 |
2006年 | 849 |
2007年 | 821 |
2008年 | 846 |
2009年 | 773 |
2010年 | 735 |
2011年 | 730 |
2012年 | 769 |
- 賢島駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1958年(昭和33年) | 152,126 | ←←←← | 176,018 | 328,144 | |||
1959年(昭和34年) | ←←←← | ||||||
1960年(昭和35年) | ←←←← | ||||||
1961年(昭和36年) | ←←←← | ||||||
1962年(昭和37年) | ←←←← | ||||||
1963年(昭和38年) | ←←←← | ||||||
1964年(昭和39年) | ←←←← | ||||||
1965年(昭和40年) | 110,730 | ←←←← | 213,892 | 324,622 | |||
1966年(昭和41年) | 90,930 | ←←←← | 112,754 | 203,684 | |||
1967年(昭和42年) | 90,480 | ←←←← | 102,527 | 193,007 | |||
1968年(昭和43年) | 66,870 | ←←←← | 103,145 | 170,015 | |||
1969年(昭和44年) | 48,540 | ←←←← | 140,592 | 189,132 | 改良工事のため営業休止(バス代行) | ||
1970年(昭和45年) | 87,090 | ←←←← | 423,758 | 510,848 | 標準軌化し営業再開 | ||
1971年(昭和46年) | 95,820 | ←←←← | 382,296 | 478,116 | |||
1972年(昭和47年) | 94,410 | ←←←← | 407,046 | 501,456 | |||
1973年(昭和48年) | 89,370 | ←←←← | 492,588 | 581,958 | |||
1974年(昭和49年) | 89,190 | ←←←← | 503,170 | 592,360 | |||
1975年(昭和50年) | 82,620 | ←←←← | 453,413 | 536,033 | |||
1976年(昭和51年) | 80,820 | ←←←← | 444,527 | 525,347 | |||
1977年(昭和52年) | 70,680 | ←←←← | 446,169 | 516,849 | |||
1978年(昭和53年) | 71,910 | ←←←← | 426,714 | 498,624 | |||
1979年(昭和54年) | 72,450 | ←←←← | 450,010 | 522,460 | |||
1980年(昭和55年) | 71,880 | ←←←← | 427,928 | 499,808 | |||
1981年(昭和56年) | 73,170 | ←←←← | 415,313 | 488,483 | |||
1982年(昭和57年) | 67,080 | ←←←← | 395,937 | 463,017 | 11月16日 | 1,905 | |
1983年(昭和58年) | 67,950 | ←←←← | 387,340 | 455,290 | 11月8日 | 2,123 | |
1984年(昭和59年) | 63,660 | ←←←← | 373,759 | 437,419 | 11月6日 | 2,003 | |
1985年(昭和60年) | 65,580 | ←←←← | 375,655 | 441,235 | 11月12日 | 1,540 | |
1986年(昭和61年) | 65,550 | ←←←← | 372,658 | 438,208 | 11月11日 | 1,331 | |
1987年(昭和62年) | 59,100 | ←←←← | 353,129 | 412,229 | 11月10日 | 1,616 | |
1988年(昭和63年) | 56,770 | ←←←← | 345,149 | 401,849 | 11月8日 | 1,559 | |
1989年(平成元年) | 51,060 | ←←←← | 357,707 | 408,767 | 11月14日 | 1,659 | |
1990年(平成2年) | 60,390 | ←←←← | 391,619 | 452,009 | 11月6日 | 1,817 | |
1991年(平成3年) | 73,200 | ←←←← | 408,871 | 482,071 | |||
1992年(平成4年) | 79,260 | ←←←← | 387,492 | 466,752 | 11月10日 | 2,349 | |
1993年(平成5年) | 73,950 | ←←←← | 367,971 | 441,921 | |||
1994年(平成6年) | 83,460 | ←←←← | 382,929 | 466,389 | |||
1995年(平成7年) | 94,290 | ←←←← | 342,065 | 436,355 | 12月5日 | 1,078 | |
1996年(平成8年) | 92,820 | ←←←← | 325,425 | 418,245 | |||
1997年(平成9年) | 95,760 | ←←←← | 296,508 | 392,268 | |||
1998年(平成10年) | 84,180 | ←←←← | 248,601 | 332,781 | |||
1999年(平成11年) | 80,880 | ←←←← | 215,521 | 296,401 | |||
2000年(平成12年) | 97,290 | ←←←← | 218,869 | 316,159 | |||
2001年(平成13年) | 105,210 | ←←←← | 206,509 | 311,719 | |||
2002年(平成14年) | 121,560 | ←←←← | 200,158 | 321,718 | |||
2003年(平成15年) | 139,140 | ←←←← | 185,604 | 324,744 | |||
2004年(平成16年) | 164,010 | ←←←← | 162,203 | 326,213 | |||
2005年(平成17年) | 166,860 | ←←←← | 152,497 | 319,357 | 11月8日 | 1,141 | |
2006年(平成18年) | 153,600 | ←←←← | 156,271 | 309,871 | |||
2007年(平成19年) | 137,820 | ←←←← | 162,672 | 300,492 | |||
2008年(平成20年) | 138,060 | ←←←← | 170,734 | 308,794 | 11月18日 | 993 | |
2009年(平成21年) | 129,150 | ←←←← | 153,064 | 282,214 | |||
2010年(平成22年) | 130,890 | ←←←← | 137,555 | 268,445 | |||
2011年(平成23年) | 130,800 | ←←←← | 136,347 | 267,147 | |||
2012年(平成24年) | 128,610 | ←←←← | 151,999 | 280,609 |
駅周辺
- 志摩観光ホテル
- 賢島宝生苑
- 志摩マリンランド
- プライムリゾート賢島(対岸側)
- 賢島港
- 賢島エスパーニャクルーズ:英虞湾めぐり観光船、前島半島航路(志摩マリンレジャー運航)
- 代々木高等学校志摩本校 [1]
- 国道167号・国道260号起点(南口)
バス路線
駅前にバス乗り場があり、以下の路線が乗り入れている。運行は、三重交通により行われている。
- 59系統:志摩スペイン村
歴史
当駅は志摩電気鉄道の路線計画には入っていなかった。着工直前までは2つ手前の鵜方浜(鵜方駅)を終点とする計画であったが[3]、目黒蒲田電鉄幹部に参宮客を英虞湾まで誘致しなければ利益が見込めないと指摘され、重役会議で英虞湾岸のかしこ島の真珠港駅まで延長することとなった。当時のかしこ島は真珠養殖場はあるものの無人島であったが、鉄道駅開設を祝し土地が寄付されたことから観光地としての開発が始まり、賢島と漢字表記されるようになった[4]。
- 1929年(昭和4年)7月23日 - 志摩電気鉄道鳥羽 - 真珠港間開通時に開業。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 志摩電気鉄道ほか6社が合併、三重交通が発足し同社志摩線の駅となる。
- 1964年(昭和39年)2月1日 - 三重交通の鉄道事業が三重電気鉄道に分離譲渡され、同社の駅となる。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 近畿日本鉄道との合併により同社の駅となる。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)3月1日 - 志摩線の標準軌への改軌完成。特急ホーム使用開始。
- 1990年(平成2年)12月8日 - 志摩神明 - 当駅間複線化。
- 1993年(平成5年)9月21日 - 志摩電気鉄道開業当時からの普通列車ホームを廃止し、北側に新設した特急ホームと同フロアの新ホームを使用開始。
- 1994年(平成6年)3月19日 - 駅改良工事完成。
- 2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPa使用開始。
- 2009年(平成21年)11月21日 - 志摩マリンランドのフンボルトペンギンの「志摩ちゃん」が特別駅長に就任[5]。
- 2012年(平成24年)6月24日 - 「志摩ちゃん」が特別駅長を退任[5]。
- 2014年(平成26年)3月22日 - 阪神三宮駅(現・神戸三宮駅) - 当駅間で臨時特急の運行を開始[6]。
隣の駅
- 近畿日本鉄道
- 志摩線
- テンプレート:Color普通
- 志摩神明駅 - 賢島駅
- テンプレート:Color普通
かつて存在した路線
- 近畿日本鉄道
- 志摩線(廃止区間)
- 賢島駅 - 真珠港駅
特別駅長「志摩ちゃん」
2009年(平成21年)11月に賢島駅の近くにある志摩マリンランドのメスのフンボルトペンギン「志摩ちゃん」が特別駅長に就任した[7]。志摩ちゃんは、近鉄志摩線の活性化を目的に駅長となり、1年間で20日、帽子、ネクタイ姿で改札に立った[8]。2001年(平成13年)5月4日生まれである[8]。
2010年(平成22年)11月21日には、就任1周年記念式典が賢島駅で開かれ、感謝状とアジ1年分(約220kg)が送られた[8]。同式典では、動物駅長の「先輩」である和歌山電鐵貴志駅のたま駅長から祝電が届いた[8]。また、同日は、鳥羽 - 賢島間の「ペンギン列車」に乗務し、他のペンギン3匹とともに近鉄電車車内を行進した[8]。翌年の2011年(平成23年)の5月29日にはコンコースに「ペンギン駅長室」が設置され[9]、同年11月20日には志摩市の観光特使に就任した[7]。
以上のように活躍を続けてきた志摩ちゃんであったが、2012年(平成24年)6月24日の「出勤」をもって任期満了により退任することが、同年7月30日に近鉄から発表された[5]。その後2014年(平成26年)3月22日に死亡した[10]。
その他
- 近鉄では最南端の駅である(最東端と最北端は近鉄名古屋駅、最西端は大阪難波駅)。
- 1969年(昭和44年)7月に廃止された真珠港貨物駅の跡は、その後も長い間留置線(賢島車庫)として使われ、かつての名残をとどめていた。上記の普通列車ホーム廃止に際して撤去され、その姿を消した。線路跡は長らく雑草が生い茂っていたが、現在は駐車場と化した。
- 2007年(平成19年)4月1日から、PiTaPaやICOCAといったICカードが使用が可能になり、簡易改札機が設置されている。
- 2009年(平成21年)3月20日に阪神なんば線が開業したことで山陽網干駅もしくは山陽姫路駅から当駅まで標準軌私鉄の路線が繋がった。しかし、4社通しの切符は現在のところ発売されていない(ICOCA・PiTaPa利用なら4社通しで乗車可能[11])。2012年末、もしくは2013年春を目標に当駅から阪神三宮駅までの特急列車を運行する計画があると報道されたが、2014年3月22日にようやく実現に至った[6]。
脚注
- ↑ 同様の駅構造には西武鉄道の西武球場前駅がある。
- ↑ ただし1フロア下の賢島港側南出口へは階段と上りエスカレータによって結ばれている。
- ↑ 『阿児町史』(阿児町史編纂委員会、2000年3月15日発行)285頁
- ↑ 『図説伊勢・志摩の歴史 下巻』(伊勢・志摩の歴史刊行会編、1992年8月15日郷土出版社発行、ISBN 4-87670-028-1)86頁
- ↑ 5.0 5.1 5.2 近畿日本鉄道株式会社秘書広報部"ペンギン駅長「志摩ちゃん」の退任について"<ウェブ魚拓>KINTETSU NEWS RELEASE平成24年7月30日(2012年8月29日閲覧。)
- ↑ 6.0 6.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 7.0 7.1 朝日新聞社"志摩ちゃん大忙し 三重のペンギン駅長、観光大使就任 - 朝日新聞デジタル"<ウェブ魚拓>2011年11月21日(2012年8月29日閲覧。)
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 伊勢志摩経済新聞"ペンギン駅長就任1周年で感謝状とアジ1年分-「ペンギン列車」も大好評"<ウェブ魚拓>2010年11月22日(2012年8月29日閲覧。)
- ↑ 伊勢志摩経済新聞"近鉄賢島駅のペンギン駅長「志摩ちゃん」に駅長室、ペンギン列車も大人気"<ウェブ魚拓>2011年5月30日(2012年8月29日閲覧。)
- ↑ ペンギン駅長の志摩ちゃん死ぬ 近鉄賢島駅 - 京都新聞 2014年04月12日13時10分発信
- ↑ 因みに近鉄特急を利用せずに通勤型列車のみ利用でICOCA・PiTaPaなど交通系ICカード全国相互利用カードを利用した場合、賢島駅と山陽姫路駅の料金は3,680円かかる。