宮町駅
宮町駅(みやまちえき)は、三重県伊勢市御薗町高向(たかぶく)にある、近畿日本鉄道(近鉄)山田線の駅である。
歴史
- 1930年(昭和5年)
- 1933年(昭和8年)3月 - 宮町駅に改称する。
- 1941年(昭和16年)3月15日 - 大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併、関西急行鉄道山田線の駅となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 関西急行鉄道が南海鉄道(現:南海電気鉄道)と合併、近畿日本鉄道の駅となる。
- 1971年(昭和46年)12月 - 3番線設置、使用開始。
- 1997年(平成9年)3月22日 - 前年12月から開始した駅舎の改築工事が完了する[1][2]。
- 2006年(平成18年) - 3番線使用停止、撤去。
- 2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPa使用開始。
駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅だが、以前は賢島方面行ホームが島式の複合型2面3線だった。賢島方面行ホームの東側にあった線路(3番線)は伊勢中川方で行き止まりになっていたが、現在は後述のように撤去されている。なお、伊勢中川方面行きホーム(2番線)はもともと単式。
3番線は1971年に鳥羽線の宇治山田駅 - 五十鈴川駅間を複線化した際、鳥羽方面からの列車が宇治山田駅のホームで直接折り返せなくなるため、その代替として設置された[3]。宮町始発・終着の列車は1990年代半ばは大変少なくなっていたが、1999年に山田・鳥羽・志摩線の普通列車運転区間が宮町 - 賢島間となってからは終日3番線が使用されていた(2001年にワンマン運転化)。その後、2004年にワンマン運転区間が白塚駅まで延長された以降も朝ラッシュ時に宮町始発・終着の列車が残っていたが、2006年3月21日のダイヤ改正で宮町始発・終着の列車は完全に消滅、3番線も事実上使用停止の状態となっていた。2006年中に架線撤去、2007年3月には柵の設置と線路・構内踏切の撤去が行われた。
改札口は東西双方にあり、各ホームへは構内踏切で連絡している。
正式には案内されていないが、券売機(東西双方に設置)にスルッとKANSAI対応カード及びJスルーカードを挿入することにより切符を購入することができる。
のりば
1 | テンプレート:Color山田線(下り) | 宇治山田・鳥羽・賢島方面 |
---|---|---|
2 | テンプレート:Color山田線(上り) | 伊勢中川・名古屋・大阪方面 |
ホーム有効長は6両である。かつてあった3番線は4両だった。
停車列車
普通列車のほか、朝夕の近鉄名古屋駅発着の急行列車3往復(下りは朝1本・夕方2本、上りは朝2本・夕方1本)が停車する。なお、夏季の伊勢神宮奉納全国花火大会や鳥羽みなとまつり花火大会の際には、通常停車しない急行列車(臨時急行列車を含む)も臨時停車する。一部の大阪上本町駅発着の急行列車も停車することがある。
利用状況
「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 1,035 |
1998年 | 978 |
1999年 | 963 |
2000年 | 942 |
2001年 | 923 |
2002年 | 904 |
2003年 | 888 |
2004年 | 858 |
2005年 | 799 |
2006年 | 793 |
2007年 | 792 |
2008年 | 778 |
2009年 | 761 |
2010年 | 736 |
2011年 | 670 |
2012年 | 567 |
- 宮町駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 2008年11月18日の調査結果によると、1日の利用客は1,787人(前回2005年11月8日の調査では1,833人)。この数字は…
- 近鉄の全調査対象駅(287駅)中、204位。
- 山田線・鳥羽線・志摩線の駅(33駅、他線接続駅含む)の中では、10位。
- 三重県内の近鉄の駅(116駅)の中では、46位。
- 2008年11月18日の調査結果によると、1日の利用客は1,787人(前回2005年11月8日の調査では1,833人)。この数字は…
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 384,080 | ←←←← | 431,972 | 816,052 | |||
1951年(昭和26年) | 388,080 | ←←←← | 483,601 | 871,681 | |||
1952年(昭和27年) | 321,930 | ←←←← | 408,907 | 730,837 | |||
1953年(昭和28年) | 271,290 | ←←←← | 442,971 | 714,261 | |||
1954年(昭和29年) | 268,800 | ←←←← | 486,483 | 755,283 | |||
1955年(昭和30年) | 272,250 | ←←←← | 487,368 | 759,618 | |||
1956年(昭和31年) | 287,430 | ←←←← | 488,500 | 775,930 | |||
1957年(昭和32年) | 284,670 | ←←←← | 452,281 | 736,951 | |||
1958年(昭和33年) | 299,160 | ←←←← | 441,281 | 740,441 | |||
1959年(昭和34年) | 316,800 | ←←←← | 372,307 | 689,107 | |||
1960年(昭和35年) | 321,090 | ←←←← | 350,141 | 671,231 | |||
1961年(昭和36年) | 385,170 | ←←←← | 322,911 | 708,081 | |||
1962年(昭和37年) | 414,900 | ←←←← | 302,328 | 717,228 | |||
1963年(昭和38年) | 442,340 | ←←←← | 243,778 | 686,118 | |||
1964年(昭和39年) | 446,220 | ←←←← | 255,813 | 702,033 | |||
1965年(昭和40年) | 400,020 | ←←←← | 251,235 | 651,255 | |||
1966年(昭和41年) | 387,300 | ←←←← | 223,781 | 611,081 | |||
1967年(昭和42年) | 373,740 | ←←←← | 216,512 | 590,252 | |||
1968年(昭和43年) | 324,210 | ←←←← | 224,518 | 548,728 | |||
1969年(昭和44年) | 338,730 | ←←←← | 220,594 | 559,324 | |||
1970年(昭和45年) | 445,890 | ←←←← | 217,598 | 663,488 | |||
1971年(昭和46年) | 451,680 | ←←←← | 204,294 | 655,974 | |||
1972年(昭和47年) | 474,720 | ←←←← | 213,788 | 688,508 | |||
1973年(昭和48年) | 476,160 | ←←←← | 227,519 | 703,679 | |||
1974年(昭和49年) | 461,190 | ←←←← | 223,075 | 684,265 | |||
1975年(昭和50年) | 429,090 | ←←←← | 224,488 | 653,578 | |||
1976年(昭和51年) | 388,320 | ←←←← | 207,532 | 595,852 | |||
1977年(昭和52年) | 364,650 | ←←←← | 214,493 | 579,143 | |||
1978年(昭和53年) | 346,860 | ←←←← | 217,924 | 564,784 | |||
1979年(昭和54年) | 325,290 | ←←←← | 213,806 | 539,096 | |||
1980年(昭和55年) | 303,810 | ←←←← | 208,278 | 512,088 | |||
1981年(昭和56年) | 274,620 | ←←←← | 194,721 | 469,341 | |||
1982年(昭和57年) | 244,890 | ←←←← | 193,052 | 437,942 | 11月16日 | 3,498 | |
1983年(昭和58年) | 236,850 | ←←←← | 188,746 | 425,596 | 11月8日 | 3,667 | |
1984年(昭和59年) | 234,930 | ←←←← | 181,996 | 416,926 | 11月6日 | 3,441 | |
1985年(昭和60年) | 250,830 | ←←←← | 185,718 | 436,548 | 11月12日 | 3,563 | |
1986年(昭和61年) | 246,720 | ←←←← | 183,271 | 429,991 | 11月11日 | 3,453 | |
1987年(昭和62年) | 245,550 | ←←←← | 174,635 | 420,185 | 11月10日 | 3,548 | |
1988年(昭和63年) | 251,160 | ←←←← | 169,209 | 420,369 | 11月8日 | 3,547 | |
1989年(平成元年) | 253,020 | ←←←← | 166,202 | 419,222 | 11月14日 | 4,892 | |
1990年(平成2年) | 247,080 | ←←←← | 178,743 | 425,823 | 11月6日 | 3,509 | |
1991年(平成3年) | 234,450 | ←←←← | 179,006 | 413,456 | |||
1992年(平成4年) | 219,300 | ←←←← | 173,179 | 392,479 | 11月10日 | 3,263 | |
1993年(平成5年) | 199,170 | ←←←← | 171,479 | 370,649 | |||
1994年(平成6年) | 198,150 | ←←←← | 176,110 | 374,260 | |||
1995年(平成7年) | 198,450 | ←←←← | 169,029 | 367,479 | 12月5日 | 2,753 | |
1996年(平成8年) | 205,710 | ←←←← | 165,160 | 370,870 | |||
1997年(平成9年) | 206,310 | ←←←← | 171,441 | 377,751 | |||
1998年(平成10年) | 198,120 | ←←←← | 158,686 | 356,806 | |||
1999年(平成11年) | 192,810 | ←←←← | 155,918 | 348,728 | |||
2000年(平成12年) | 193,500 | ←←←← | 150,434 | 343,934 | |||
2001年(平成13年) | 191,490 | ←←←← | 145,562 | 337,052 | |||
2002年(平成14年) | 191,880 | ←←←← | 137,945 | 329,825 | |||
2003年(平成15年) | 192,330 | ←←←← | 132,641 | 324,971 | |||
2004年(平成16年) | 192,990 | ←←←← | 120,286 | 313,276 | |||
2005年(平成17年) | 181,440 | ←←←← | 110,114 | 291,554 | 11月8日 | 1,833 | |
2006年(平成18年) | 178,830 | ←←←← | 110,548 | 289,378 | |||
2007年(平成19年) | 184,890 | ←←←← | 105,004 | 289,894 | |||
2008年(平成20年) | ←←←← | 11月18日 | 1,787 | ||||
2009年(平成21年) | ←←←← |
駅周辺
- 駅南方に駅名と同じ、伊勢市宮町の地名がある。
- 伊勢慶友病院(旧:慶應義塾大学伊勢慶應病院)
- 横浜ゴム三重工場
- 御薗郵便局
- 伊勢市立伊勢図書館
- 伊勢進富座(単館系映画館)
- 勢京ビジネス専門学校
- 三重県立宇治山田高等学校
- ぎゅーとらエンジェル店
- 宇須乃野神社・県神社
- 清野井庭神社
- 草奈伎神社・大間国生神社
- JR東海参宮線・山田上口駅
- ファミリーマート近鉄宮町駅前店(2014年2月28日開店)
隣の駅
- 近畿日本鉄道
- 山田線
- テンプレート:Color快速急行
- 通過
- テンプレート:Color急行(朝・夕の一部列車のみ停車。停車する列車はいずれも名古屋線直通便)
- テンプレート:Color普通
- 小俣駅 - 宮町駅 - 伊勢市駅
- テンプレート:Color快速急行