日本の分割統治計画
日本の分割統治計画(にほんのぶんかつとうちけいかく)とは、第二次世界大戦において、ドイツが降伏後米・英・ソ・仏4カ国に分割統治されたように、本土決戦後の日本も北海道・本州・九州・四国を連合国それぞれが統治しようとした計画。
概要
実際の歴史
連合国は第二次世界大戦中、日本が明治以降に「暴力的に獲得した地域」を連合国によって分割する方針を打ち出していた。連合国は日本降伏後、かかる地域を以下のように分割占領した。
- ソ連
- アメリカ
- 中華民国
これらは、1945年(昭和20年)の日本降伏後に速やかに実行された。
これら占領地域には、日本が内地とした地域もあり、その点で言えば、日本領土は史実でも分割されている。しかし、本土決戦の回避により、上記以外の日本本土を構成する北海道・本州・四国・九州及び付属島嶼は、連合国軍最高司令官総司令部(通称GHQ、実質は米国)によって1952年(昭和27年)まで統一した占領統治下におかれ、分割されることはなかった。本計画では、これらの本土地域も細かく分割することになっており、この項目で指す分割とは、この計画を指している。
日本分割占領案については、早い段階から連合軍将兵にも伝わっており、中華民国軍の兵士の証言では、ルーズベルトが中国軍を日本占領統治に参加させることを決定したとの話が兵士たちの間に伝わると、多くの中国軍兵士がこれを喜び、日本に上陸した際にどのような行動をとるかについて話し合ったという[1]。
計画による統治区域
- 北海道・東北 - ソ連占領地域
- 関東・中部(福井県を除く)及び三重県付近 - アメリカ占領地域
- 四国 - 中華民国占領地域
- 中国・九州 - イギリス占領地
- 東京35区 - 米・中・ソ・英の共同管理
- 近畿(三重県を除く)及び福井県 - 中華民国とアメリカの共同管理
という計画であった(地図参照)。
廃案
この計画が廃案となった理由ははっきりしていない。有力な説としては以下が挙げられる。
- 米軍が原子爆弾の開発・運用に成功し、核戦力を入手した事。
- 核戦力の獲得に乗じ、ヤルタ会談で合意した事項の幾つかを撤回する動き・兆候をソ連が推測・警戒した事。
- ドイツ降伏直前で急死した親ソ連のルーズベルト大統領に代わり就任していたトルーマン大統領による対ソ連外交政策の転換。
- アメリカがチャーチル英国首相から繰り返し警告されていた、戦後の社会主義国との対立を睨み、極東での陣地拡大と基地化を目論んでいた事。
その他にも、以下のような説などさまざまな主張がある。
- 終戦直前、ソ連が南樺太や千島列島に加えて、北海道北部(留萌市 - 釧路市を結ぶ線から北東側全域。留萌市・釧路市については分割せずソ連が占領)をも併合しようとする貪欲な姿勢を見せたため。
- 日本で学んだ経験のある蒋介石が「報怨以徳」(怨みに報いるに徳を以ってする)に基づいた反対意見を出した為。
- ダグラス・マッカーサーと親密な吉田茂の猛反発があったため。
- アメリカが日本の権益を独占しようとした策略。
- 対日戦で中心的役割を果し、かつ日本を占領したのは米国軍部隊であるにも拘らず、その日本をイギリス人、ロシア人、中国人と後から分割統治することに対する反発。実際にドイツや朝鮮半島など、連合国で分割統治計画があった地域でもほぼ自軍の占領範囲を統治することになった。
- ポツダム宣言は、北海道、本州、四国および九州と諸小島を領土とし、内地の一体性を認めているため、これを後から分割統治とすると、宣言内容と矛盾してしまう。ポツダム宣言を反故にすると、速やかに帝国陸軍を武装解除できず、日本軍は降伏を撤回し、最後の一兵まで戦う可能性があったとも言われる。
- 当時の日本は天皇のもとに団結しており、分割には天皇の処分が避けて通れない。しかし天皇を処分するとその後の統治が難しくなるばかりか処分国に対する報復戦が予想されるため、連合国の中から反対が出た。
この計画が実行され、仮にドイツや朝鮮半島、ベトナムのように資本主義を支持する国と社会主義を支持する国で分割統治された場合、前述の国の例に鑑みれば、そのまま複数の国に分断されてしまい、最悪の場合は朝鮮戦争やベトナム戦争のように、日本人同士が相討つ事態になる可能性、さらにドイツのように再統一を果たしても、東西の経済格差がそのまま東西の差別と対立として固定化する可能性があった。また東京の共同管理にもベルリンと同様の困難を伴うと推察される。
脚注
関連項目
外部リンク
- 五百籏頭真 「原資料とのおつきあい」 - 神戸大学附属図書館報 Vol.8 No.2(1998.7)より
- トルーマン「日本の敗北後における本土占領軍の国家的構成」(SWNCC決定)を承認 1945年8月18日 - 国立国会図書館による「日本国憲法 資料と解説・第1章 戦争終結と憲法改正の始動」より