六義園
六義園(りくぎえん)は、東京都文京区本駒込六丁目にある都立庭園。
概要と沿革
六義園は、徳川五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園である。1695年(元禄8年)に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢は、約2万7千坪の平坦な土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、7年の歳月をかけて起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園を現出させた。
「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来する[1]。六義園は自らも和歌に造詣が深かった柳沢が、この「六義」を『古今和歌集』にある和歌が詠うままに庭園として再現しようとしたもので、その設計は柳沢本人によるものと伝えられている。
1702年(元禄15年)に庭園と下屋敷が一通り完成すると、以後将軍綱吉のお成りが頻繁に行われるようになる。その回数は記録されているものだけでも実に58回もあり、吉保の寵臣ぶりもさることながら、この庭園自体が当時にあっても天下一品のものと評価されていたことが窺える[2]。
柳沢家は次の吉里の代に甲府から大和郡山に転封となるが、六義園は柳沢家の下屋敷として幕末まで使用された。時代が下るにつれ徐々に荒れはしたものの、江戸を襲った度々の火災で類焼することもなく明治を迎えた。
明治の初年には三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入、維新後荒れたままになっていた庭園に整備が施され、このとき周囲が今日見る赤煉瓦の塀で囲まれた。その後は関東大震災による被害もほとんど受けず、1938年(昭和13年)には東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになった(有料)。東京大空襲の被害を受けることもなく、造園時の面影を残したまま今日に生き延びた六義園は、1953年(昭和28年)に特別名勝に指定されている。
見所
六義園は躑躅の花が特に有名で、地元では「駒込と言えばツツジの花の咲く街」と謳われるような象徴的な存在となっている。また庭園入口近くにある枝垂桜も、3月末に枝いっぱいの薄紅色の花を咲かせる名木として有名で、この枝垂桜の最盛期と紅葉の最盛期にはライトアップもされる。芝生の整備も行き届いており、都内を代表する日本庭園として名高く、海外からの観光客も多い。
- 内庭大門(ないてい おおもん)
- 出汐之湊(でしおの みなと)
- 妹山、背山(いもやま、せやま)
- 臥龍石(がりょうせき)
- 蓬莱島(ほうらいじま)
- 石柱(せきちゅう)
- 滝見之茶屋(たきみの ちゃや)
- 躑躅茶屋(つつじ ちゃや)
- 藤代峠(ふじしろ とうげ)
- 蛛道(ささかにの みち)
- 渡月橋(とげつきょう)
- Bunkyo Rikugien Weeping Cherry Tree 1.JPG
枝垂桜
- Bunkyo Rikugien Yamakage Bridge 1.JPG
山陰橋(やまかげばし)
- Bunkyou Rikugien Of The Fall 1.JPG
藤代峠からの展望
- Togetsukyo (Crossing-Moon Bridge).jpg
晩秋の渡月橋
アクセスなど
- 所在地:東京都文京区本駒込6丁目
- JR山手線または地下鉄(東京メトロ)南北線の駒込駅より徒歩7分。
- 繁忙期[3]には駅正面の染井門が開かれる。
- 都営地下鉄三田線の千石駅より徒歩10分。
- 開園時間:午前9時-午後5時(時期により延長することがある)。
- 駐車場:なし。
イベント
桜と紅葉の見ごろに合わせて日没後のライトアップが行われる。庭園にふさわしい魅力あるライトアップで定評がある。
- 3月下旬:正門近くの枝垂桜
- 11月下旬~12月上旬:紅葉
関連項目
補注
外部リンク
- 六義園(東京都建設局公園緑地部)
- テンプレート:Smaller 六義園(東京都公園協会/公園へ行こう!)
- テンプレート:Smaller 六義園(東京都公園協会/庭園に行こう。)