アフマド・シャー・ドゥッラーニー
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アフマド・シャー・ドゥッラーニー(Ahmad Shāh Durrāni, 1722年 - 1772年10月16日)は、アフガニスタン国王(在位1747年 - 1772年)、ドゥッラーニー朝の創始者。パシュトゥーン人アブダーリー部族連合ポーパルザイ族サドーザイ氏族出身。アフマド・シャーは、アブダーリー部族連合の名前を真珠を意味するドゥッラーニーに変え、彼が創始した王朝の名前ともなった。
生涯
自立するまでは、アフマド・ハーン・アブダーリーとして、アフシャール朝のナーディル・シャーに武将として仕えていた。
1747年、ナーディル・シャーの死後、カンダハールに進軍してアフシャール朝から自立し、同年10月、ローヤ・ジルガにおいて、アフガニスタン最初のシャーに推戴された。
1749年春、25,000の軍でヘラートを征服。ついでメシャドとニーシャープールを攻め、1750年の春にはアフシャール朝の首都ニシャプールを陥落させた。
翌1751年には東に向かい、インドのムガル朝から、パンジャーブとカシミールを割譲させた。その後も各地で転戦し、王国の基礎を築いた。
1761年1月14日には、インドの覇権を握りつつあったマラーター同盟の軍勢を破り、その北進の中断と結束を崩すことに成功した。
関連項目
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