松井章圭

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松井 章圭(まつい しょうけい[1]1963年(昭和38年)1月15日 - )は、元空手道選手であり、株式会社国際空手道連盟極真会館(松井派)の館長である。空手八段。在日韓国人で、本名は文章圭문장규、ムン・ジャンギュ)。東京都文京区生まれ、千葉県育ち。京北高等学校を経て中央大学商学部卒業。得意技は後ろ回し蹴り。館長(松井派)就任後、一般会員に対して年会費制度を導入したことで大きな波紋が生じた。

来歴

中学時代に流山市極真会館千葉北支部手塚道場に入門。加藤重夫に師事する。大学進学後、本部道場へ移籍、後に職員となる。

1986年(昭和61年)5月、百人組手を達成。

1987年(昭和62年)11月6日から8日にかけて開催された第4回オープントーナメント全世界空手道選手権大会の決勝でスイスアンディ・フグをくだし、外国人初の優勝を成し遂げた。しかし、松井派は外国人初の王座を1999年(平成11年)の第7回オープントーナメント全世界空手道選手権大会で優勝したフランシスコ・フィリォとしている[2]

これは当時の松井が日本代表選手団の主将を務めていたことや、総裁である大山倍達の出自をあえて触れないマスメディアの暗黙の了解もあり、松井についても在日韓国人として取り上られなかった。当時の心境を自著『一撃の拳』では「オープントーナメント全世界空手道選手権大会には大韓民国の代表として出場したかったが、大山総裁は認めてくれなかった」と語っている。メディアに対しては「南や北という政治を持ち込みたくなかった。私の立場としては日本道場代表だ[3]」と述べている。

現役選手を引退後、許永中と許の紹介で画商の福本邦雄の下で、表と裏社会のビジネスを学ぶ[4]。その後空手界に復帰し、浅草に本部直轄浅草道場を開く。

1994年(平成6年)4月26日に大山が肺癌で死去した。大山の“危急時遺言”によって、松井が後継者に指名された。しかし、大山の遺族は遺言に疑義を抱き、遺言状の有効性について訴えを起こし、東京地裁にて「遺言状は無効」との判決を得た。この騒動をきっかけに極真会館は分裂を始め、「極真カラテ」を標榜する団体が乱立する事態となった。

松井は従来の選手権大会開催の他に、格闘技イベントK-1へ全日本や世界大会優勝選手を参加させ、衆目を集めることで、入門者を増やそうという戦略で臨んでいる。また、「国際空手道連盟極真会館」の名称を、財団法人を設置しその法人にするのではなく、松井章圭本人名義で商標登録し、「株式会社国際空手道連盟極真会館」を設立した。しかし、この商標登録は分裂した他の派閥と裁判で争われた結果、2009-2010年に大山家の商標登録になった。

2005年(平成17年)10月、恵比寿に“Ichigeki PLAZA”(一撃プラザ)を開く[5]

2011年11月10日、総合人材サービス会社の旧グッドウィル・グループ(GWG)による人材派遣会社の買収を仲介した松井が東京国税局の税務調査を受け、仲介を巡って受け取った約100億円の所得の申告方法に誤りがあったとして、過少申告加算税を含めて約30億円を追徴課税されていたことがわかった。 申告の際には、これらを譲渡所得と申告し、所得税額は十数億円だった。しかし、東京国税局の税務調査で、これらは、株や現金を譲り受けたことによる所得ではなく、仲介の報酬に当たるなどとして税率の高い雑所得と認定されたという。この買収を巡っては、仲介した投資事業会社「コリンシアンパートナーズ」元社長の公認会計士らが東京地検から法人税法違反で起訴され、東京地裁で有罪判決を言い渡されている。

成績

全56試合の通算成績は50勝6敗

著書・関連書

  • 我が燃焼の瞬間 松井章圭 (池田書店/H13年)
  • 極真新たなる歩み (ぴいぷる社 1998/12)
  • 一撃の拳 松井章圭 (北之口太著 講談社/H17年)

極真会館(松井派)の主な師範・選手達


関連項目

脚注

テンプレート:Reflist
  1. 「まつい あきよし」と読む場合もある。
  2. テンプレート:Cite web
  3. 『「週刊SPA!」黄金伝説 1988 - 1995 おたくの時代を作った男』(ツルシ カズヒコ) 朝日新聞出版、2010年
  4. 許永中氏との関係については週刊新潮 1999年12月9日号に告白がある
  5. 【極真会館】一撃プラザが恵比寿にオープン 格闘技ウェブマガジンGBR 2005年10月22日
  6. 大東流合気柔術の木村達雄十元師範は合気関係者に対して「100キログラム以上ある元世界チャンピオンの松井さんが本気で抵抗するのを、弛緩力で2メートルも飛ばした」と主張している。