遼寧省
テンプレート:Redirect テンプレート:基礎情報 中華人民共和国の一級行政区画
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遼寧省(りょうねいしょう/リヤオニンしょう、中国語:辽宁省、liáo níng shĕng、英語:Liaoning)は、中華人民共和国東北部(満洲)に位置する省。省都は瀋陽、他の主要都市として大連がある。旧称は盛京省、後に奉天省。
目次
地理
北東部を吉林省、北部を内モンゴル自治区、西部を河北省と接す。また南西部は遼東半島を境に海域が分かれる黄海と渤海に面し、南東部は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と接する。
民族
遼寧省には満族、モンゴル族、回族、朝鮮族、シボ族など43の民族が住み、少数民族人口は655万人、全省の16%を占める。1950年代に阜新モンゴル族自治県と喀左モンゴル族自治県が成立し、改革開放後には新賓、清原、岫岩、本溪、桓仁、寛甸の6満族自治県、35少数民族鎮、105民族郷あるいは民族联連合自治郷が創設された。
歴史
近代以前
有史以前には紅山文化などの遼河文明がみられる。戦国時代に燕の勢力が遼河流域に伸び、漢代に遼東郡が設置されたが、その後の中国の混乱により、鮮卑や高句麗、契丹、女真など異民族が支配する地となった。明代には再び漢人勢力が遼東に進出したものの、満州族が興起して清朝を樹立、逆に全中国を支配した。北京遷都前の都であった盛京は奉天府と改称されて副都として扱われた。満洲の地方行政は中国内地のような省制度によらず、駐防八旗の将軍たち(盛京将軍、吉林将軍、黒龍江将軍)によることとなった。現在の遼寧省一帯の行政は、当初は遼東に置かれた駐防将軍である遼東将軍が管轄したが、奉天に移され奉天将軍に改名され、さらに盛京将軍に改名された。清朝は祖先の地である満洲に漢人の入植を禁じる封禁政策をとったが、ロシアの南下政策が顕著になってきた1860年に全面解禁し、山東省などから多数の漢族が入植した。やがて満洲をめぐるロシアと日本の勢力争いは日露戦争を引き起こし満州の各地は戦場となる。
近現代
テンプレート:Seealso 清朝末期の1907年に奉天を省都とする奉天省が置かれ、同時に盛京将軍は東三省総督となり、かつて吉林将軍や黒竜江将軍が管轄していた地域をも管轄するようになった。清朝滅亡後の軍閥時代には張作霖とその息子の張学良の奉天軍閥がこの地方を実質支配した。1929年には省名を「遼寧」、省都を「瀋陽」とされている。その後張学良は父の死亡の原因(張作霖爆殺事件)が関東州(大連)を根拠地とした関東軍の陰謀と知ると日本色を一掃して対決姿勢を見せる。これに対して関東軍は1931年に満州事変を起こし、清朝最後の皇帝溥儀を擁立して満洲国を樹立した。関東軍は張学良を追放するとともに先の改称命令を破棄して旧名の奉天省に復帰させるとともに1934年に奉天省、安東省、錦州省の3省に分割した。当時の日本は満洲国に多額の重工業投資を行っている。
1945年、日本の敗戦に伴い満洲国は崩壊、中華民国政府は遼寧省、安東省、遼北省を設置したが国共内戦により共産党軍の実効支配下に置かれた地域では別の行政機構の遼寧省、安東省(後に遼東省に統合)、遼北省(後に遼西省に改編)が設置されるなど複雑な行政区画変遷を経た後、1954年にそれらの統合が実施され現在の遼寧省が発足した。敗戦によって日本が大陸に残した鉄道や重工業設備など多額の対外資産は講和条約にて正式に放棄され、これらを中国が継承した。建国されて間もない中華人民共和国の経済地盤を支えたのはこれらの地域であった。中国は遼寧省を中国最大の重工業基地と捉え、多数の国営企業を建設した。
改革開放時代
しかし、1980年代以降、改革開放政策の進展にともない、上海を中心とする長江デルタや広州を中心とする珠江デルタが外資を導入して経済的に躍進すると、その反動で遼寧の国営企業は多額の負債を抱える時代遅れの存在となった。現在では大連を中心とする沿海地域が外資を導入し、経済的に成長している。
なお、建国後、遼寧地域は遼東省と遼西省及び瀋陽、旅大、鞍山、撫順、本溪の中央直轄市が成立したが、1954年8月遼東、遼西両省や中央直轄市は廃止され、遼寧省に統合された。
行政区域
14の地級市からなる。
経済
広い土地、長い海岸線を利用して、農業・漁業が盛んであった。農業は乾燥地にも適したトウモロコシなどが主体であるが、鞍山以北、盤錦・錦州、丹東などでは水稲も栽培し、特に「盤錦米」は有名である。最近は大都市周辺での野菜・果物の栽培も多い。水産物は、渤海・黄海に面した海岸で盛んに行われていて、現在は日本・韓国への輸出も盛んである。
第二次世界大戦前・後を通じて、重工業が盛んであった。盤錦の遼河油田は中国でも第三位である。最近は、軽工業(瀋陽の自動車・航空機産業)、IT産業(大連のソフトウェア産業)なども盛んになってきている。
「五点一線」計画
遼寧省は2002年1月に長興島臨港興行区を省級経済開発区に認定などしてきたが、2006年に遼寧省の「五点一線」沿海工業区計画をまとめて発表している。これは遼寧(営口)沿海産業基地、遼西錦州湾沿海経済区、大連長興島、大連荘河市花園口工業区、遼寧丹東産業園区を五点として、西の葫芦島綏中県から東の丹東東港市までの海岸を一線として高速道路などで結ぶ大計画である。[1]
メディア
- 瀋陽(省都)
- 遼寧広播電視台
教育
大学
高等教育機関は二大都市である瀋陽と大連に集中しているが、その他の主要都市にも配置されている。主なものを地域別にあげると、
- 瀋陽(省都)
- 大連
- その他の都市
世界遺産
- 北京と瀋陽の明・清王朝皇宮
- 明・清王朝の皇帝墓群
- 高句麗前期の都城と古墳
- 五女山城
- 万里の長城
- 九門口