吉林省
テンプレート:Redirect テンプレート:基礎情報 中華人民共和国の一級行政区画 吉林省(きつりんしょう/チーリンしょう、中国語:吉林省、英語:Jilin)は、中華人民共和国東北部(満洲)に位置する省。省都は長春市。
地理
北部を黒竜江省、西部を内モンゴル自治区、南部を遼寧省と接す。また東部はロシアと接し、南東部は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と接する。中部には南から延びてきた遼東大平原が広がり、東部は長白山系を中心とする森林地帯、西部も大興安嶺の山岳地帯となっている。
エラー: 画像が無効、または存在しません。
歴史
近代以前
省東部の森林地帯はツングース系狩猟民族の住地であり、中部平原地帯には濊貊系の夫余が古くから建国し、夫余から分かれた高句麗も省西南部の集安を拠点に一大国家を形成した。高句麗滅亡後は辰国(渤海)が敦化の東牟山に建国、後黒竜江省南部の上京竜泉府に都を移した。渤海が契丹に滅ぼされると東丹国の版図とされたが、まもなく女真の活動地域となり、女真民族はその後金王朝を樹立して中国北部を支配した。金朝が滅亡し元朝の支配が開始されると、その統治の下に女真族が狩猟及び農耕による生産活動が行われ、明末まで中央の緩やかな統制による女真族の活動範囲となった。明末に急速に勢力を拡大した女真族は、その後満洲族として周辺諸族を統合し清朝を樹立し中国全土を支配するようになった。
具体的な行政区画としては清初、1676年に寧古塔(ニングダ)将軍が吉林に移駐したのが吉林省設置の始まりで、吉林将軍の管轄範囲は現在の吉林省中東部、黒竜江省東南部からアムール川以北、ウスリー江以東の、日本海や間宮海峡沿岸に至る広大な地域に及んだ。しかしアムール川以北は1858年のアイグン条約で、ウスリー川以東は1860年の北京条約で、ロシア帝国に割譲された。 テンプレート:中国地名変遷
近現代
テンプレート:See also 清代は長白山を皇室を構成する満洲族の聖地としており他民族の立ち入りが制限されていたが、朝鮮族による移住が行われていた。
1907年、清朝により吉林省が正式に設置され、吉林府を省会とした、現在の吉林、黒竜江の大部分を管轄し、吉長、浜江(ハルビン)、依蘭(三姓)、延吉の四道を設置した。
中華民国が成立すると吉林省が設置されたが、民初はその統治権が及ばず、国民政府による行政権が及んだのは1928年1月の易幟以降である。その後は吉林県(永吉県)を省会とし、満洲事変まで沿襲された。この時期には朝鮮が日本に併合されたため、多くの朝鮮人が越境し現在の延辺朝鮮族自治州を中心に吉林省東部に移住し間島という地域を形成した(中華人民共和国成立後に民族自治州が設定された)。
1920年代以降、鉄道建設により交通の要衝であった長春県の経済的重要性が高まり、1932年の満洲国建国に際しては新京特別市となり、首都として吉林省から分離されている。
1945年の日本の敗戦以降、吉林省は国共内戦の舞台となった。1949年の中華人民共和国以降も吉林市(1947年設置)が省会とされたが、1954年に長春市に移転している。
現在は中国の経済発展に伴い、朝鮮族が多く居住する地域には大韓民国からの投資が活発に行われている。
行政区域
下部に8地級市と1自治州を管轄する。詳細については下記データボックスを参照。 テンプレート:Cnpref/table
教育
文化
また、集安市にある高句麗遺跡は2004年、高句麗前期の都城と古墳としてユネスコ世界遺産に登録された。高句麗については中国と韓国の間で中国の少数民族地方政権とみるか、朝鮮史の一部と見るかで論争が展開している。
友好都市
など