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稲垣 昭央(いながき てるなか、享保16年11月29日(1731年12月27日)- 寛政2年5月17日(1790年6月29日))は、志摩鳥羽藩の第2代藩主。鳥羽藩稲垣家6代。
稲垣昭辰(先々代稲垣重富の次男)の子。正室は松平誠信の娘。子に稲垣長以(長男)、稲垣長守(次男)、娘(三浦前次正室)。官位は従五位下、和泉守、対馬守。
生涯
宝暦2年(1752年)12月29日に先代藩主の伯父昭賢が死去したため、翌年正月25日に家督を継いだ。安永2年(1773年)7月22日に隠居して家督を長男の長以に譲り、寛政2年(1790年)5月17日に60歳で死去した。
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