デ・トマソ・パンテーラ
パンテーラ(Pantera )は、デ・トマソの第三作目のスーパーカー。1960年代を代表するレーシングカーフォード・GT40の構造的特徴をイメージした、イタリア製のボディにアメリカ製の大排気量エンジンを搭載した、デ・トマソとフォードによる伊米合作のスーパーカーである。フォードの希望により、この種の車としては初めて大量生産性を重視して製作された。
目次
経緯
1960年代後半に、デ・トマソのオーナーで創始者であるアレッサンドロ・デ・トマソと個人的に親しかったイタリア系アメリカ人のリー・アイアコッカが当時副社長をつとめていたフォードが、ブランドイメージ向上のために「フォード・GT40のイメージを踏襲するスポーツカー」のプロジェクトを企画し、このプロジェクトにデ・トマソを招き入れたことによりパンテーラが生まれることとなった。
このプロジェクトの最大の目標は、徹底的にコストダウンを推し進め大量生産して廉価なスポーツカーとして売り出すことにあり、これを受けてパンテーラは前作のマングスタ同様、エンジンはフォード製を使用することとなった。現代の小規模生産のスポーツカーメーカーの大半は、自製でエンジンを製作しないが、その手本のような形態をとることとなった。
デザインは、当時デ・トマソ傘下で、フォードとも密接な協力関係にあったギアのトム・ジャーダが担当した(なおギアはパンテーラの開発中の1970年にフォードに売却されている)。イタリア製の美しいボディにアメリカ製のワイルドな大排気量エンジンをマッチングさせる経緯において、アレッサンドロ・デ・トマソの辣腕振りは遺憾なく発揮された。
なおメインの市場はそれまでデ・トマソなどのヨーロッパの高級スポーツカーメーカーが狙いを定めていたヨーロッパではなく、フォードの本拠地であるアメリカだった。ただし、アメリカでのデ・トマソの知名度は低かったため、フォードの巨大な販売網を利用しフォードブランドの名を借りて販売した。
機構・スタイル
ボディ構造は、マングスタまで受け継がれていたバックボーンフレームを捨て去り、量産性に優れるモノコックを採用している。この頃のスーパーカーには、そもそも大量生産を前提にしたものなどほとんど存在しなかったため、非常に異質な存在とも言える。サスペンションは前後ダブルウィッシュボーンと無難な選択をしているが、リアサスペンションの剛性が充分ではなく破損しやすい欠陥を抱えていた。この点は、後の改良によって修正されている。
エンジンはフォード製の351CDIユニット、生産工場の名を取って通称クリーブランドと呼ばれる、排気量5.8リッターの水冷V型8気筒OHVエンジンを搭載した。330馬力、トルク45kg/mを発生するが、特にチューニングされたものではなく、コストダウン重視でほとんどノーマルのままミドシップに搭載している。このエンジンこそが、パンテーラにとって最大の技術的ネックとなり、販売上の足かせともなってしまう。
このエンジンの動弁機構はOHVで、SOHCやDOHCに比べシリンダーヘッドが小さく、エンジンそのものの重心は高くない。加えてエンジン全体も排気量に比して非常に小型軽量である。しかし、潤滑にウェットサンプ式を採用していたため、エンジンの搭載位置が高くなり、その影響により重心も高くなってしまった。パンテーラは、アメリカのニーズに合わせて車高を高く設定していたので、これらが相まって挙動の不安定さに拍車をかけた。加えて、ライバルであるフェラーリやランボルギーニが、自社のエンジンを搭載していたのに対し、パンテーラはフォードのエンジンだったため、一部のエンスージアストからは「純粋なスポーツカーではない」と根拠のない非難まで浴びてしまう。
しかし、パンテーラはそれらのライバルに対し半額のプライスタグをつけていたため、競争力という点ではかなり強かった。目標生産台数4,000台には及ばなかったが、最盛期の1972年には2,700台以上を記録、この種のスーパーカーとしては大成功の部類に属する販売台数に達した。しかし、1973年に到来したオイルショックの波には勝てず、快進撃を続けていた生産台数は急下降してしまうものの、基本的なスタイルは維持したまま走行性能に関わる改良を続け、また飽きの来ない秀逸なデザインが功を奏し、1970年代を生き残り、1990年代まで、非常に小規模ながら生産され続けた。
谷田部最高速トライにおいて日本で初めて300km/hの大台を超えたのは、パンテーラをベースに高度なチューンナップを施した車両である。
デザインはトム・ジャーダ。
各モデル
パンテーラ(Pre L)
1971〜1972年中期 Lモデル以前のモデルのこと。その中でも「アーリー」と「レイト」で別れていて、「レイト」では以下の点が変更されている。なお、エアコンは全車標準装備。
- トランスミッションのインプットシャフト径
- 車体配線
- ミッションマウント
- ドアハンドル
- エンジン仕様
- シャシーの補強
パンテーラL
イタリア語で「豪華、贅沢」を意味するLussoの名を語尾につけ、1972年に追加されたモデル。アメリカ市場での販売を促進するために設定されたモデルで、扱いやすさを向上させるためにエンジン出力を40馬力ほどデチューンされている。外観に関しては衝撃吸収バンパーに変更(ヨーロピアンモデル以外)他、シートベルト警告ランプとブザーなど充実した装備の関係で約100Kg重量増となっている。
パンテーラGTS
1973年に登場したパンテーラのハイパフォーマンスモデル。同じ名前でアメリカ仕様とヨーロッパ仕様が存在し、ヨーロッパ仕様はエンジンの圧縮比が向上し、それに伴い出力も350馬力、トルク50kg/mに引き上げられている。公称最高速度290km/h。向上したパワーに対応する為にタイヤも若干太いものに変更された。ペイントデザインが変更され、ボディのウェストラインから下がブラックの塗装になっており、これまでのパンテーラより派手な印象が際立っている。日本にも輸入されたことで知られているが、そのほとんどはノーマルエンジンのパンテーラをGTSルックにしたアメリカ仕様だった。
パンテーラGT4
参戦に必須な条件が「連続する12ヶ月間に400台の生産」というグループ4カテゴリーに殴り込みをかけるべく生産され、パンテーラGTSをレースカーとしてリファインしたモデルである。エンジンは通常の市販仕様のパンテーラとは比較にならないほどパワーアップされており、500馬力をオーバーするほどのチューニングが施される。そのパワーを路面に伝える為のワイドトレッドタイヤ(フロント10J・リヤ13J)、それを収める為の豪快なオーバーフェンダー、右サイドウィンドウ後部に設置された給油口が特徴。公称最高速度331km/h。レースではさしたる結果を残していないが、レース仕様であるGT4をそのまま生産に移し1974年に計6台が販売された。
パンテーラGT5
1980年に、大胆なイメージチェンジを果たして追加されたモデル。パンテーラGT4の外観をスマートにし、カウンタック風のウイングを装着しているのが特徴。オーバーフェンダーはリベットを廃したデザインになり、軽量なFRPで成型される。レースカー的な雰囲気を醸し出しているものの、一般公道で扱いやすくする為にエンジン出力が330馬力にデチューンされている。公称最高速度281km/h。
パンテーラGT5S
パンテーラGT5のマイナーチェンジ版として1984年に追加された。GT5の派手な特徴をそのままに、前後まで連なっていたオーバーフェンダーはサイドスカート部を外し、フェンダー一体型の滑らかなデザインに変更されている。エンジンはチューニングの異なる二種類が用意され、標準が300馬力、ハイパフォーマンス仕様は350馬力を発生している。なお、このモデルの前後からアメリカ製だったエンジンが生産中止され、同型のオーストラリア製のものに変更されている。
パンテーラSI
パンテーラの最終型ともいえる改良を施されたモデル。発表は1991年のトリノショー。ヌォーバ・パンテーラ、ガンディーニ・パンテーラとも。ヌォーバはイタリア語で「新しい」という意味であり、それを象徴するように、デザインを鬼才マルチェロ・ガンディーニが務めた。パンテーラのチーフエンジニアであるジャン・パオロ・ダラーラとガンディーニは、ランボルギーニ・ミウラでもコンビを組んでいる[1]。 フェラーリ・F40を髣髴とさせるような造形を有し、特にそれは二分割式リアウイングに現れている。ここに来て初めてエンジンが変更され、フォード・マスタングが搭載していた水冷5リッターV型8気筒OHVエンジンが搭載された。このエンジンは247馬力、トルク40.8kg/mと従来モデルと比較すると控えめなスペックになっている。 1994年、製造された41台の内、4台だけがミラノの車両製造会社Pavesiによって、従来モデルには設定されていなかったタルガトップに改造された。SIタルガは、パンテーラ最後の公式バリエーションとなった[2]。
脚注
- ↑ http://www.caesar.co.jp/collection/91de/91de.html
- ↑ http://fabwheelsdigest.blogspot.jp/2013/06/de-tomaso-pantera-si-1991-93.html