金達寿

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金 達寿キム・タルス/キム・ダルス김달수1919年11月27日 - 1997年5月24日)は朝鮮慶尚南道昌原郡(現馬山市)出身の小説家在日朝鮮人文学者嚆矢ともいえる存在である。

経歴・人物

  • 10歳の時に日本に渡り、苦学しながら習作に励んだ。日本大学芸術科在学中の1940年に最初の作品『位置』を発表するが、実質的には第二次世界大戦終戦後の1946年から『民主朝鮮』に連載を始めた長編小説『後裔の街』が出発となった。骨太な文体で書かれたその作品は、「朝鮮的なるもの」「民族的なるもの」が軸となっていて、在日一世作家としての存在を誇示しており、以後『玄海灘』(1954年)、『太白山脈』(1969年)などに展開した。1958年には中篇「朴達の裁判」で芥川賞の候補にもなったが、すでに経験豊富な作家であるという理由で、選考からもれてしまったこともあった。
  • 戦前の1941年から『文芸首都』の同人となり、戦後は1946年10月新日本文学会会員となった。『文芸首都』は朝鮮人先輩作家として金史良が活躍した雑誌でもあり、後輩には金泰生金石範がいた。『新日本文学』には初期の代表作である「玄海灘」の連載など多くの作品を発表して、『民主朝鮮』とともに金達寿が足場を置いた二大拠点であった。
  • 朝鮮民主主義人民共和国建国以後、「北」共和国を支持する立場を取っていたが、1958年に発行された『朝鮮――民族・歴史・文化』が朝鮮総連から批判されて以後、だんだんと「北」支持の立場から遠ざかるようになり、1975年に『季刊三千里』を李進熙姜在彦らと創刊したときには総連からは完全に離れていた。逆に、1981年に韓国を訪問したことで、金石範から、独裁政権を支持してしまうことになるという批判を受けた。
  • 1970年代頃からは古代史の方面にも活動領域を広げ、「日本古代史は、朝鮮との関係史である」との視点から「日本の中の朝鮮文化」を追求した。皇国史観の要素となっていた「帰化人」に代わる「渡来人」の呼称を提唱した歴史学者上田正昭に賛同し、当時の先進文化を伝えたという高句麗人・百済人・新羅人等の存在を「渡来人」として日本人に認識させ、日本人の対朝鮮観に影響を与えようとした。

古代史に関する諸著作には『日本の中の朝鮮文化』シリーズや『日本古代史と朝鮮』(講談社学術文庫)等がある。これらの著作は彼の小説作品の読者層を超えて影響を与え、司馬遼太郎らの文学者からも一定の理解を得、日本史の教科書で戦後も長年使われてきた用語「帰化人」が「渡来人」に書き換えられる大きな原動力となった。ただ、その主張には多くの日本語を朝鮮語由来と決め付けるなど荒唐無稽な韓国起源説もあり、発表当初から学術的批判にさらされ、井上光貞関晃平野邦雄らの日本史学界主流の歴史学者から厳しい反論を受けることになった。創作活動が1982年の『行基の時代』で終わったのに対し、この作業はライフワークとして晩年まで続けられた。

  • 季刊雑誌『三千里』などの雑誌編集者としての業績も重要である。

著作

小説

  • 『後裔の街』朝鮮文芸社、1948年
  • 『叛乱軍』冬芽書房、1950年
  • 『富士のみえる村で』東方社、1952年
  • 玄海灘筑摩書房、1954年
  • 『前夜の章』東京書林、1955年
  • 『故国の人』筑摩書房、1956年
  • 『日本の冬』筑摩書房、1957年
  • 『番地のない部落』光書房、1959年
  • 『朴達の裁判』筑摩書房、1959年
  • 『夜きた男』東方社、1961年
  • 『密航者』筑摩書房、1963年
  • 『中山道』東方社、1963年
  • 『公僕異聞』東方社、1965年
  • 太白山脈』筑摩書房、1969年
  • 『小説 在日朝鮮人史』創樹社、1975年(全2巻)
  • 『落照』筑摩書房、1979年4月
  • 対馬まで』河出書房新社、1979年10月
  • 『金達寿小説全集』筑摩書房、1980年(全7巻)
  • 行基の時代』朝日新聞社、1982年3月

評論・エッセイ

  • 『私の創作と体験』葦出版社、1955年
  • 『朝鮮 -民族・歴史・文化-』岩波新書、1958年
  • 『日本の中の朝鮮文化 その古代遺跡をたずねて』講談社、1970-1991年(全12巻)
  • 『古代文化と「帰化人」』新人物往来社、1972年
  • 『古代遺跡の旅 飛鳥ロマンを散歩する』サンケイ新聞出版局、1972年
  • 『日本古代史と朝鮮文化』筑摩書房、1976年
    • のち『日本古代史と朝鮮』に改題し講談社学術文庫
  • 『金達寿評論集』筑摩書房、1976年
    • 上巻「わが文学」、下巻「わが民族」
  • 『わがアリランの歌』中公新書、1977年6月
  • 『日本の中の古代朝鮮』学生社、1979年1月
    • のち『古代朝鮮と日本文化』に改題し講談社学術文庫
  • 『古代日朝関係史入門』筑摩書房、1980年2月
  • 『故国まで』河出書房新社、1982年4月
  • 『私の少年時代 差別の中に生きる』ポプラ社、1982年8月
  • 『古代日本と朝鮮文化』筑摩書房、1984年9月
  • 『古代の日本と朝鮮』筑摩書房、1985年9月
  • 『渡来人と渡来文化』河出書房新社、1990年12月
  • 『見直される古代の日本と朝鮮』大和書房、1994年6月
  • 『わが文学と生活』青丘文化社、1998年5月

共編著・対談

  • 司馬遼太郎上田正昭『日本の朝鮮文化 座談会』中央公論社、1972年
  • 司馬遼太郎、上田正昭『古代日本と朝鮮 座談会』中央公論社、1974年
  • 司馬遼太郎、上田正昭『日本の渡来文化 座談会』中央公論社、1975年
  • 谷川健一『日本文化の源流を求めて 討論』筑摩書房、1975年
    • のち『古代日本文化の源流』に改題し河出文庫
  • 『日本と朝鮮 金達寿対談集』講談社、1977年6月
  • 姜在彦『手記=在日朝鮮人』竜渓書舎、1981年6月
  • 司馬遼太郎、陳舜臣『歴史の交差路にて 日本・中国・朝鮮』講談社、1984年4月
  • 『回想 唐木邦雄』審美社、1987年2月
  • 谷川健一『地名の古代史 近畿篇』河出書房新社、1991年6月
  • 谷川健一『地名の古代史 九州篇』河出書房新社、1988年8月

翻訳

  • 李箕永『蘇える大地』ナウカ社、1951年(朴元俊共訳)

研究文献

関連項目