久留島通春
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久留島 通春(くるしま みちはる、1607年(慶長12年) - 1655年3月18日(承応4年2月11日))は、豊後森藩の第2代藩主。
初代藩主・来島長親の長男。母は福島高晴の娘・玄興院(福島正則の養女)。正室は飯山藩主・佐久間安政の娘。子は通清(長男)、通貞(次男)、通迥(四男)、通方(五男)、二神種春(六男)、玉井通徳(七男)。官位は従五位下、越後守、丹波守。
慶長17年(1612年)、父の死去により家督を継ぐ。元和2年(1616年)、姓を来島から久留島と改めた。大坂城普請や江戸城普請において活躍する一方で、父からの老臣である村上氏らを遠ざけて有能な人材を登用し、藩政の整備を行なった。大坂に蔵屋敷も設立し、度重なる普請で財政難に悩まされていたにもかかわらず、これを解決した。承応4年(1655年)2月11日に死去した。享年49。跡を長男・通清が継いだ。法号は安祥院。