調教師
テンプレート:国際化 調教師(ちょうきょうし)とは、競馬において厩舎を運営し競走馬を管理することを業とする者のことである。日本の現場では、俗に騎手を逆にした手騎(テキ)と呼ばれている。
日本では競馬法第23条により、農林水産大臣の認可を受け日本中央競馬会と地方競馬全国協会が調教師試験の施行および免許を交付している。
日本における免許制
日本で調教師になろうとする者は中央競馬では日本中央競馬会から、地方競馬では地方競馬全国協会から、それぞれ調教師免許を取得することが必要である。この2つの免許は異なるものである。
また、調騎分離の制度があり、騎手免許と調教師免許は同時に取得することは出来ないため、騎手免許を持っていた者が調教師免許を取得した場合、騎手免許を返上し騎手を引退するのが通例である。調教師免許を持っていた者が騎手免許を取得した例は、日本では過去の地方競馬の例外的な事例を除けば無い[1]。
調教師試験の合格者は、下記の「開業まで」にもあるとおり、日本の競馬では馬房の数を事実上の物理的制限として利用しているために、ある年に調教師になることができる人数は、引退する調教師の人数との関係で自ずと制限される。調教師となることの出来る人数が限られる以上、調教師免許試験の合格者数も限られている。
中央競馬の調教師免許試験では年に5〜8人ほどというのが通例である。そのため、しばしば合格率が1割にも満たない難関となる。学科試験が免除されていた1000勝以上の勝ち星がある騎手を除けば合格者は騎手・調教師・生産者の血縁者や畜産学部出身者が多数を占める。だが、中には大学の馬術部出身者や畑違いの仕事から転職しての合格者も存在する。
資格をとるとき、 18歳未満であることなどの条件がある。
開業まで
日本において、調教師が調教師業を始めるにあたっては免許の他に、馬房(馬を飼育する施設)が必要である。馬房は主催者[2]から貸与されているもののみが使用できる。自分の資金で独自に馬房などの設備を構えて開業することは認められていない[3]。馬房は競馬場もしくはトレーニングセンター[4]と呼ばれる場所に存在する。
なお、調教師免許取得者は、免許取得からいくらかの期間をすでに開業している調教師の下で研修を積むのが通例である。中央競馬ではこの期間の肩書は「技術調教師」と呼ばれている。この期間に馬主との人脈を確保し、開業時の管理競走馬を確保する準備期間も兼ねている。通常、免許所得年は技術調教師として研修し、翌年の3月1日付で開業するケースがで殆どであったが、近年は、業績悪化に伴い調教師が定年を待たずして勇退するケースも多々見られる事で空き馬房が発生し、新規調教師免許の合格発表から殆ど日を得ず、3月1日の免許交付と同時に開業するケースも見られる様になった(このため、以前は2月中旬に新規調教師免許の合格者が発表されていたが、最近は12月初旬に合格が発表されている)。
また、調教師が死亡したり、免許を返上するなどして、急に馬房が空いた場合には、臨時貸付期間[5]を経て、研修中の調教師が予定を繰り上げて開業することになる。この場合、馬房やスタッフの都合などから、前担当の調教師の管理馬や人脈をある程度の割合で事実上引き継ぐ事も見られる。
開業後
主催者から与えられる一定数の馬房を使って競走馬を管理し、レースに出走させる。収入源は馬を預かって調教する預託料と、競走賞金[6]である。競走で勝利を収めることによって馬主への信頼を得て、預託料も増加することから、競走で勝利することが調教師の収益に大きな影響を与える。
中央競馬では物理的な制約という要因から総馬房数が決定され、それを各調教師ごとに配分している。現在では新調教師には少なく割り当てられ、年々その数を増やすことで、開業当初の不慣れな調教師業での負担軽減と、慣れてきた頃に調教師業の拡大を円滑に行わせる目的がある。また、近年では馬房数は競争原理により増減させるメリットシステムを導入している(#メリットシステムを参照)、調教師が馬主と預託契約を結ぶことのできる頭数には一定の制限が設けられている[7]。
メリットシステム
中央競馬において2004年度より、調教師の厩舎経営状況・調教技術により、厩舎の管理馬房数が増減する制度(メリットシステム)が導入された。中央競馬にも優勝劣敗の法則を導入するべきであるとの声に応えての取り組みである。なお、2006年の年末にルールの一部見直しが発表された。
対象は20馬房の割り当てを受けている(過去に受けた)調教師であり、新人や開業後まもない調教師[8]は対象から外される。具体的には、経営状況(1馬房あたりの出走実頭数、1馬房あたりの出走延頭数)と調教技術の評価(1馬房あたりの勝利数、1馬房あたりの獲得賞金、勝率)の項目を偏差値化し、前2年間の合計(2008年より出走実頭数、出走延頭数は1/2とされる)に基づき評価される。
評価の結果、各トレーニングセンター毎に下位である約1割(2007年度より)の馬房が2ずつ削減され、その馬房が上位の調教師に分配される[9]。馬房数の変更は物理的なものを伴う為、評価は同一トレーニングセンター内でのみ行われ、美浦と栗東の異なるトレーニングセンターの調教師が比較されることはない。また、2008年より過去に削減された調教師がその翌年以降、査定順位の中央値を上回った場合には、馬房を加増の対象となる。
同一の調教師が2年連続で削減の対象となることはない[10]。2009年には馬房数の加増は28まで、削減は12までの範囲で行われることとなっていた。
しかし、近年の不況も影響してか、調教師の経営環境が悪化、また成績不振の調教師が自主的に馬房を返上するケースが続出。馬房数の余剰化が見られ、メリットシステム自体に空洞化現象が見られる様になり、中央競馬は2010年3月1日以降の貸付からシステムを改善する方向となった。成績優秀調教師に対する加増査定は継続する一方、加増する馬房数の原資を、定年または勇退で解散、もしくは自主的に返上した返還馬房とする事となった。また、成績優秀厩舎に対して以前は2年連続の馬房数加増は認められていなかったが、今回の改善でこれも認められる事となった[11]。
引退・定年制
調教師は肉体労働というよりもマネージメント業であるため、騎手とは異なり高齢になっても仕事を行うことは難しくない。
しかし、中央競馬では総馬房数が限られているにもかかわらず高齢の調教師が引退しないために世代交代がうまく進まず、調教師試験の合格率が5%前後にまで落ち込むなど旧来の制度の弊害が顕著に表れた。そのため、日本調教師会の提案により1989年2月28日から調教師の70歳定年制が導入された。ただし当時は70歳を超える調教師が多数であったため1999年までは経過期間とされ、要件どおりの制度運用が開始されたのは2000年以降である。この制度により、稲葉幸夫、二本柳俊夫、大久保房松といった数多くのベテラン調教師が勇退した。
地方競馬では定年制の有無は所属場毎に異なっている。たとえば大井競馬では定年制(75歳)が導入されている。一方で川崎競馬では定年制が無く、八木正雄調教師(1917年2月23日 - 2009年11月24日)は、92歳で亡くなるまでの73年間(騎手兼業時代も含む)、現役の調教師として活躍した。
厩舍経営の厳しい現在では、所属馬の成績不振や馬主・競走馬の確保難による収入減によって厩舍運営が立ち行かなくなる事も見られ、実態としては経営破綻に等しい形で調教師免許を返上し、事実上の廃業を余儀なくされるケースも見られる。この場合、定年よりも前の段階で自ら調教師免許を返上し、勇退する。過去には理由として「健康面の都合」と公表されていたことがある。早いうちに勇退した岩城博俊(2009年2月勇退)は、他の調教師の調教助手として引き続き競馬界に携わっている。
脚注
- ↑ 地方競馬では、馬房制限制度が現在よりも厳しかった時代に、調教師免許を取得しても厩舎を開業出来ず、やむなく騎手免許を再取得して騎手復帰をした例が存在する(船橋競馬場の溝邊正など)。中央競馬でも2000年に内藤繁春が調教師定年を機に騎手免許試験を受験したことがある。
- ↑ 中央競馬においては日本中央競馬会。
- ↑ ただし、現在は「外厩」と呼ばれる制度が一部の地方競馬で導入されている。
- ↑ 中央競馬では美浦トレーニングセンターと栗東トレーニングセンター。
- ↑ 調教師が不在の厩舎の競走馬は競走に出走できない為、既に開業している調教師に馬房を臨時で割り当て、競走馬の出走などの日常業務を滞りなく行うとともに、転厩などの為の準備期間。
- ↑ 一般的には、新馬戦で1着になった場合、1着賞金700万円のうち10%(70万円)を調教師が、5%(35万円)をその馬にかかわった厩務員、調教助手などに分配される。つまり、JRAにおける最高賞金額のレースであるジャパンカップ(1着賞金2億5000万円)を勝利すれば調教師は2500万円の収入を得ることになる。
- ↑ 現在は管理馬房数の3倍が上限。馬房数の上限は24とされているため、72頭を上回ることはない。
- ↑ 開業直後は20馬房より少ない数から始まり、年々加増される。
- ↑ 実際には2004年は下位5厩舎、2005年は下位8厩舎、2006年は下位12厩舎の馬房が削減された。
- ↑ しかし、逆に言えば2年後もまた評価順位が下位ならば再削減を食らうということでもある。
- ↑ JRAの馬房貸付システム、大幅に変更へ サンケイスポーツ 2009年12月29日