グアダルーペの聖母 (メキシコ)
グアダルーペの聖母(グアダルーペのせいぼ、Nuestra Señora de Guadalupe、英語:Our Lady of Guadalupe)は、カトリック教会が公認している聖母の出現譚の一つであり、メキシコで最も敬愛されている宗教的シンボルである。
1531年12月9日、メキシコ・グアダルーペのインディオ、フアン・ディエゴの前に聖母が現れたとされる。聖母は、司教に聖母の大聖堂を建設する願いを伝えるよう求めた。病気の親類の助けを求めにいこうとしていたディエゴが話しかける聖母をふりきって走り去ろうとした時、聖母は彼を制止し、親類の回復を告げた。ディエゴが戻った時、病気だった親類は癒されていた。聖母に司教へしるしとして花を持っていくよういわれたディエゴは、花をマントに包み、司教館に運んだ。司教館に花を届けた際、ディエゴのマントには聖母の姿が映し出されていた。
1537年、ローマ教皇パウルス3世は、インディオは理性ある人間として扱われるべきという回勅を発し、植民地におけるインディオへの迫害を禁じた。近年の調査では、マントの聖母像の瞳部分にはディエゴとおぼしき人物が写っていると主張する人がいる。フアン・ディエゴは後に列聖され、彼が聖母を見たメキシコ市近郊のテペヤク(Tepeyac)の丘には巨大なグアダルーペ寺院(Basílica de Nuestra Señora de Guadalupe)が建っている。
聖母はメキシコの民族主義の象徴ともなっており、メキシコ独立革命の指導者ミゲル・イダルゴの蜂起の宣言(ドロレスの叫び)では「聖母万歳」と唱えられている。メキシコ革命の指導者の一人、エミリアーノ・サパタの軍隊は聖母の像を帽子につけていた。グアダルーペの聖母と、キリスト教が入る以前のアステカの女神、トナンツィン (Tonantzin) とを関連付ける見方もある。
瞳にはプルキンエ‐サンソン鏡像が正確に描かれている。当時の技術でなぜ描くことが可能だったのか、は不明。