藤田太陽
テンプレート:Infobox baseball player 藤田 太陽(ふじた たいよう、1979年11月1日 - )は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手(投手)。テンプレート:Byからテンプレート:Byまでの登録名は「太陽」。
目次
経歴
プロ入り前
秋田県立新屋高等学校への進学後には、外野手としてのプレーを経て、2年生の秋から本格的に投手へ転向。3年生夏の全国高等学校野球選手権大会では、秋田大会の2回戦で敗退した。
高校卒業後のテンプレート:Byに、社会人野球の川崎製鉄千葉へ入社。2年目のテンプレート:Byに頭角を現し、第14回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出され、大会では最優秀防御率賞に輝き日本の3位入賞に貢献した。
テンプレート:Byにシドニーオリンピックの代表候補として直前合宿に参加したが、肘に違和感を覚え本選には選出されなかった。同年秋のドラフト会議では読売ジャイアンツと阪神タイガースが最後まで獲得を競ったが、阪神を逆指名しての1位指名で入団。
阪神時代
テンプレート:Byはオープン戦の対日本ハムファイターズ戦(阪神甲子園球場)に先発した際、その試合を中継した朝日放送が、公式戦ではないもののゴールデンルーキーの初登板ということで、CMに入る直前に随所で藤田の幼い頃の写真を紹介したり、『週刊ベースボール』の選手名鑑号では他主力選手を差し置いて表紙にも掲載されるなど、周囲の期待の高さをうかがわせた。しかし、キャンプで投手コーチに命ぜられたフォーム改造と投げ込み過多で右肘に炎症を起こし、開幕戦に登板したもののすぐに二軍降格。シーズン最終戦でプロ初先発するも、4回を投げてエディ・ディアスと野村謙二郎に本塁打を打たれるなど被安打8, 5失点だった[1]。
テンプレート:Byは春季キャンプで右ふくらはぎの肉離れを起こして出遅れ、7月24日になって一軍昇格。藤川球児と共に積極的に先発投手として起用され、同年プロ初勝利初完投を記録。テンプレート:Byは開幕ローテーション入りを果たすが、右肘靭帯の損傷で離脱して6月に右手首からの靭帯移植手術を受けた。
テンプレート:Byは秋の教育リーグで実戦登板したのみで終わった。テンプレート:Byは開幕ローテーションに入るが結果を残せず二軍に降格し、その後は8月に中継ぎとして数試合に登板するにとどまった。
テンプレート:Byの秋季キャンプから、それまでのオーバースローより腕の位置を下げたスリー・クォーターにフォーム改造をし、テンプレート:By2月にはさらに腕を下げてサイドスローに転向した。
このように阪神在籍時は潜在能力こそ高く評価されていたが、怪我が多く、一軍では目立った成績を挙げることがなかったため、「未完の大器」とも「ブルペンエース」とも称された。
テンプレート:By7月11日、内野手陣を強化したい阪神と中継ぎ投手を求める西武の思惑が一致したことにより[2]、水田圭介との交換トレードで西武へ移籍した[3]。この1か月ほど前にも、同じく西武の赤田将吾(現・北海道日本ハムファイターズ)とのトレードが合意に達した、と一部のスポーツ紙で報道されていた[4]。背番号は水田が着けていた「45」を引き継いだ。
西武時代
移籍後は中継ぎとして安定した投球を披露し、終盤には抑えとして起用されることもあった。移籍後はわずか2か月半で25試合に登板し、防御率2.00を記録するなど、同年不安定さの目立った西武リリーフ投手陣の中で中継ぎとして活躍した。
テンプレート:Byは、ブライアン・シコースキーにつなぐセットアッパーを務め、4月30日の対日本ハム戦でサヨナラ打を喫するまで無失点、防御率0.00の活躍をしたものの、故障と不調で2度の登録抹消。復帰した後も精彩を欠く登板が続き、被本塁打が増えるなど、安定感に欠ける面も見られた。しかし、最終的には自己最多となる48試合に登板し19ホールドを記録した。
テンプレート:Byは、開幕直後に打ち込まれ、二軍降格。その後も、二軍で好投を見せ一軍に昇格し、打ち込まれ二軍に逆戻りを繰り返した。
テンプレート:By10月2日、戦力外通告を受けた[5]。11月9日に東京ヤクルトスワローズが獲得を発表[6]。
ヤクルト時代
テンプレート:By8月7日中日ドラゴンズ戦で4年ぶりにセーブをあげる[7]など、リリーフとして20試合に登板するも、10月8日に球団から2度目の戦力外通告を受けた[8]。慢性的な右肘の痛みに悩まされていることもあり、現役を引退した[9]。
現役引退後
現役引退後は、東京・西麻布の焼肉店に勤務するかたわら[10]、フリーランスの野球解説者として出身地の秋田や関東・関西地方のテレビ・ラジオ番組へ随時出演。また、大久保博元主宰の野球塾「デーブベースボールアカデミー」で講師を務めている[11]。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | 阪神 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 39 | 7.1 | 11 | 2 | 7 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 12 | 12 | 14.73 | 2.45 |
テンプレート:By2 | 12 | 8 | 1 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | -- | .286 | 238 | 57.1 | 55 | 9 | 21 | 0 | 3 | 46 | 4 | 0 | 25 | 23 | 3.61 | 1.33 | |
テンプレート:By2 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 99 | 23.1 | 21 | 3 | 11 | 0 | 0 | 14 | 0 | 0 | 8 | 8 | 3.09 | 1.37 | |
テンプレート:By2 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 54 | 12.0 | 16 | 4 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 9 | 8 | 6.00 | 1.58 | |
テンプレート:By2 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 79 | 18.2 | 23 | 2 | 2 | 0 | 1 | 19 | 2 | 0 | 7 | 7 | 3.38 | 1.34 | |
テンプレート:By2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 27 | 6.0 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 3 | 2 | 3.00 | 1.50 | |
テンプレート:By2 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 48 | 11.0 | 11 | 2 | 2 | 0 | 1 | 7 | 0 | 0 | 7 | 5 | 4.09 | 1.18 | |
テンプレート:By2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 9 | 1.1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 6.75 | 3.75 | |
西武 | 25 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | 4 | 1.000 | 113 | 27.0 | 24 | 2 | 9 | 2 | 1 | 10 | 0 | 0 | 6 | 6 | 2.00 | 1.22 | |
'09計 | 27 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | 4 | 1.000 | 122 | 28.1 | 28 | 2 | 10 | 2 | 1 | 11 | 0 | 0 | 7 | 7 | 2.22 | 1.34 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
テンプレート:By2 | 48 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 3 | 0 | 19 | .667 | 183 | 46.0 | 43 | 8 | 7 | 2 | 2 | 29 | 2 | 0 | 20 | 20 | 3.91 | 1.09 | |
テンプレート:By2 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 71 | 15.1 | 19 | 4 | 3 | 0 | 2 | 13 | 0 | 0 | 10 | 10 | 5.87 | 1.44 | |
テンプレート:By2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 21 | 3.2 | 9 | 2 | 1 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 6 | 6 | 14.73 | 2.73 | |
テンプレート:By2 | ヤクルト | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | ---- | 78 | 18.2 | 13 | 3 | 6 | 0 | 3 | 6 | 2 | 0 | 5 | 4 | 1.93 | 1.02 |
通算:12年 | 156 | 16 | 1 | 0 | 0 | 13 | 14 | 4 | 24 | .481 | 1059 | 247.2 | 258 | 41 | 73 | 4 | 15 | 161 | 10 | 0 | 119 | 112 | 4.07 | 1.34 |
記録
- 初登板:2001年3月30日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、3回裏に2番手で救援登板、2回1/3を7失点
- 初先発:2001年10月8日、対広島東洋カープ28回戦(広島市民球場)、4回5失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、2回裏に高橋建から空振り三振
- 初勝利・初完投勝利:2002年9月3日、対広島東洋カープ22回戦(広島市民球場)、9回5安打2失点
- 初セーブ:2009年8月12日、対千葉ロッテマリーンズ14回戦(千葉マリンスタジアム)、12回裏に5番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初ホールド:2009年8月16日、対北海道日本ハムファイターズ16回戦(札幌ドーム)、6回裏2死に3番手で救援登板、1回1/3を無失点
背番号
- 15 (2001年 - 2009年途中)
- 45 (2009年途中 - 2012年)
- 51 (2013年)
登録名
- 藤田 太陽 (ふじた たいよう、2001年 - 2003年、2009年 - 2013年)
- 太陽 (たいよう、2004年 - 2008年)
脚注
関連項目
- 秋田県出身の人物一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
- 埼玉西武ライオンズの選手一覧
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
- 後藤光尊(東北楽天ゴールデンイーグルス) - 同じ秋田県の出身で、川崎製鉄千葉時代の先輩。藤田から1年遅れてプロ入りを果たした。
外部リンク
- 藤田太陽 Taiyo blog (公式ブログ)
- ↑ ベースボールマガジン社『2002ベースボール・レコード・ブック』、269頁。
- ↑ 阪神藤田と西武水田の交換トレードが成立 日刊スポーツ、2009年7月11日。
- ↑ トレードのお知らせ 埼玉西武ライオンズ公式ウェブサイト、2011年3月10日閲覧。
- ↑ [1] スポーツニッポン、2009年6月17日。テンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 【ヤクルト】西武戦力外の藤田太陽獲得日刊スポーツ2012年11月9日
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 戦力外通告のお知らせ東京ヤクルトスワローズ公式ウェブサイト2013年10月8日配信
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web