元山市

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テンプレート:Redirect テンプレート:Infobox 元山市(ウォンサンし)は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)江原道の道庁所在地(北朝鮮では道庁は道人民委員会と呼ばれている)。北朝鮮の日本海側港湾工業都市であり、軍港である。

日本新潟港に入港していた万景峰号の母港でもある。国際観光都市として開放されており、中国人観光客が多い。

地理・気候

朝鮮半島東海岸中部の元山湾に面し、西には馬息嶺の並みが連なる。首都平壌へ200km、金剛山へ120kmの地点にある。

朝鮮半島東海岸にある東朝鮮湾の奥には、南の葛麻半島と北の虎島半島(咸鏡南道金野郡に属する)に囲まれた永興湾があり、日本海の荒波から守られた天然の良港になっている。葛麻半島の内側が元山港のある元山湾(徳源湾)で、葛麻半島の外の永興湾には薪島、大島、小島、熊島、麗島など20余りの離島が点在する。

元山港の北西には海水浴場遊園地のある松涛園遊園地が続き、元山港の東の葛麻半島西岸には明沙十里という長い砂浜があり、いずれも景勝地となっている。

付近の山には長徳山、卧牛山、南山、北望山などがある。

気候は海に面するために、北朝鮮の中では海洋性気候で比較的温暖である。最も寒い1月の平均気温は-2.2℃でケッペンの気候区分では温帯に属する。

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ファイル:Naka-Cho in Gensan.JPG
日本統治時代の元山府の仲町
ファイル:Korean War bombing Wonsan.jpg
1951年頃、米軍B26爆撃機の攻撃を受ける元山港

歴史

  • 高句麗 - 於乙買とよばれた。
  • 新羅 - 井泉郡と改称される。
  • 高麗 - 宣州と改称される。
  • 1413年 - 宣城郡が置かれた。
  • 1437年 - 徳源郡と改称された。

現在の元山港は、李氏朝鮮時代は元山津という漁村にすぎなかったが、1876年日朝修好条規(江華島条約)により1880年に対外開港し、後に元山日本居留地が置かれた。1910年10月1日、徳源郡は「元山府」となった[1]1914年京城府(現在のソウル)と元山府とを結ぶ鉄道京元線)が開通し、天然の良港として、朝鮮の日本海側最大の都市として発展した。

南北分断までは咸鏡南道に属していたが、1949年江原道に編入し北側の道都となる。朝鮮戦争では1950年9月、アメリカ軍を中心とする国連軍が元山上陸作戦を行ったが、中国人民義勇軍の侵攻により12月9日に韓国軍・国連軍とも撤退した。その後1951年から1953年にかけて国連軍は海上から元山港に対して砲撃を続けた。

日本統治時代1910年1945年)においては、日本語読みで「げんざん」と呼ばれていた。

経済

水産物加工、造船化学工業紡績などの工場がある。農業野菜の生産、畜産など。

石板が馬息嶺付近から産出され、一部の地方で屋根を葺くのに使われていた[2]

教育

  • 元山経済大学
  • 金剛大学
  • 元山農業大学

他にも十数校の大学がある。

交通

鉄道

中心駅は元山駅

高速道路

  • 平壌 - 元山間の高速道路
  • 元山 - 金剛山間の高速道路

  • 万景峰号 新潟 - 元山間。ただし不定期 現在は運航していない。

姉妹都市

かつての姉妹都市

出身有名人

関連項目

脚注

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外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:江原道(北)の行政区画
  1. 明治43年10月1日朝鮮総督府令第7号による。『朝鮮総督府官報』第29号p. 14(明治43年10月1日)を参照。
  2. 東京帝国大学工科大学学術報告 東京帝国大学工科大学 1903年
  3. Kim Jong Il Holds Third Summit Talks with Putin during Tour of Far Eastern Region of Russia