北畠停留場

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テンプレート:駅情報 北畠停留場(きたばたけていりゅうじょう)は、大阪府大阪市阿倍野区北畠1丁目7番地先(住吉公園我孫子道方面)もしくは北畠2丁目3番地先、(天王寺駅前方面)のもと熊野街道路上にある阪堺電気軌道上町線停留場駅番号HN05

この停留場の北方200m程の地点より帝塚山四丁目停留場直前まで、上町線はもと熊野街道上の併用軌道となっているが、この区間は交通量が少なく速度も30km/hに制限されているため、中心市街地を走ることの多い他の路面電車ではあまり見られない独特の趣となっている。また、ここから帝塚山三丁目停留場付近までが、いわゆる北畠帝塚山界隈である。

歴史

  • 1910年(明治43年)10月1日 南海上町線の開業と同時に当駅設置。
  • 1944年(昭和19年)6月1日 会社合併のため近畿日本鉄道の停留所になる。
  • 1947年(昭和22年)6月1日 会社分離のため南海電気鉄道の停留所になる。
  • 1980年(昭和55年)12月1日 南海電気鉄道からの分社により、阪堺電気軌道の停留所となる。

停留場の構造

道路上にのりば(安全地帯)が、上下線斜向かい(住吉公園駅・我孫子道停留場方面が北東、天王寺駅前駅方面が南西)に配されている。丁字路が二つ連続しているために上下ののりばは離れている。かつては天王寺駅前方面ののりば付近に古風な待合所が設置されていたが、現在は簡易な上屋と椅子に更新された上で若干面積が縮小された。

なお、当該待合所付近には清涼飲料水自動販売機が存在する。

のりば

上り テンプレート:Color上町線 天王寺駅前方面 天王寺駅前
下り テンプレート:Color上町線 住吉・住吉公園方面 住吉公園
テンプレート:Color上町線 住吉・我孫子道・浜寺駅前方面
阪堺線直通
我孫子道
浜寺駅前

地名の由緒

1338年延元3年)、阿倍野合戦で戦死した北畠顕家の墓が当地にあり、「大名塚」と呼ばれていた。江戸時代になると本格的な墓所として整備され、それから当地を北畠と称するようになったという。現在は北畠顕家の墓は北畠公園(阿倍野区王子町3丁目8番地)の中にある。

周辺

隣の停留場

阪堺電気軌道
テンプレート:Color上町線
東天下茶屋停留場 (HN04) - 北畠停留場 (HN05) - 姫松停留場 (HN06)
  • ()内は駅番号を示す。

関連項目

テンプレート:阪堺電気軌道上町線