森永太一郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:Infobox 人物 森永 太一郎(もりなが たいちろう、慶応元年6月17日(1865年8月8日) - 昭和12年(1937年)1月24日)は、日本の実業家。佐賀県伊万里市出身。
経歴
父は常次郎、母はキク。生家は陶磁器の積み出し港として栄えた伊万里で一番の陶器問屋だった。伊万里湾の漁業権を握る網元でもあったが、父の代には家勢も衰え、6歳の時に父が病死すると財産は人手に渡り、母は再婚。親類の家を転々とする幼少時代を過ごした。やがて伯父の山崎文左衛門に引き取られ、商人の心構えを教え込まれた。[1]。
横浜の陶器問屋で数年を過ごしたのち焼き物の販売を目論み渡米した。
焼き物の販売は失敗に終わり一度は日本に帰国することとなったが再び渡米し今度は菓子の技術を学んで帰国する。
帰国後1899年に現在の森永製菓の前身となる森永西洋菓子製造所を東京赤坂に設立。
主にマシュマロを製造していたが、後にキャラメルを主力製品とする。
晩年はキリスト教の教えを説きながら全国をめぐる日々を過ごした。