紀元前319年
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テンプレート:Yearbox 紀元前319年は、ローマ暦の年である。当時は、「ルキウス・パピリウス・クルソルとクィントゥス・アウリウス・ケッレタヌスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元435年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前319年と表記されるのが一般的となった。
できごと
マケドニア王国
- アテナイの演説者で外交官のデマデスは、マケドニア王国の裁判所に送られたが、マケドニア王国の摂政アンティパトロスかその息子カッサンドロスのどちらかが、デマデスが前の摂政ペルディッカスと密通していたことを知っていたため、死刑となった。
- アンティパトロスは病気になり、マケドニア王国の摂政の地位を息子のカッサンドロスではなく、ポリュペルコンに引き継がせ、すぐに死亡した。
- カッサンドロスは、ポリュペルコンを新しい摂政と認めなかった。フリギアの支配者アンティゴノス1世及びリュシマコスのプトレマイオス1世の支援を得て、カッサンドロスはマケドニア王国を攻撃した。
- カルディアのエウメネスは、摂政ポリュペルコンと同盟を結んだ。彼は何とかノラの包囲から逃れ、彼の軍はすぐにシリアやフェニキアを脅かすようになった。ポリュペルコンはエウメネスを小アジアの王族将軍であると認めた。
- アレクサンドロス3世の未亡人ロクサネは、エピロスでアレクサンドロス3世の母オリュンピアスに合流した。