安藤利吉
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テンプレート:基礎情報 軍人 安藤 利吉(あんどう りきち、1884年(明治17年)4月3日 - 1946年(昭和21年)4月19日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功二級。宮城県仙台市出身。旧制宮城県第二中学校1回、陸軍士官学校16期。陸軍大学校26期。第19代台湾総督。
経歴
安藤房太郎の長男として生まれる。
1940年(昭和15年)2月10日、南支那方面軍司令官に着任。同年6月に北部仏領インドシナへの進駐を指揮する(仏印進駐)。当初は政府方針に基づき武力に拠らない進駐を進める予定だったが、参謀本部第一部長富永恭次少将が独断で武力進駐を行うという事件が発生。安藤はこの事件の責任を負い、1941年(昭和16年)1月に予備役となった。
しかし同年11月に再召集され台湾軍司令官に着任。1944年(昭和19年)9月22日には第10方面軍司令官に着任した。その後同年12月30日、台湾総督も兼任。
敗戦後中華民国政府に拘束され、上海に抑留されたが1946年(昭和21年)に服毒自殺した。
年譜
- 1901年(明治34年)3月 宮城県第二中学校卒業
- 1904年(明治37年)10月 陸軍士官学校卒業(16期)
- 1907年(明治40年)12月 歩兵中尉
- 1913年(大正2年)11月 歩兵大尉
- 1914年(大正3年)11月 陸軍大学校卒業(26期)
- 1915年(大正4年)5月 歩兵第50連隊中隊長
- 1916年(大正5年)2月 陸軍技術審査部付(軍事調査委員)
- 1919年(大正8年)1月 イギリス駐在(- 1921年9月)
- 1920年(大正9年)8月 歩兵少佐・平和条約実施委員(欧州駐在)
- 1923年(大正12年)4月 参謀本部員
- 1924年(大正13年)7月 兼陸大教官
- 8月 歩兵中佐
- 1925年(大正14年)8月 インド駐剳武官
- 1927年(昭和2年)4月 参謀本部員
- 1928年(昭和3年)3月 歩兵大佐・歩兵第13連隊長
- 1930年(昭和5年)3月 第5師団参謀長
- 1931年(昭和6年)3月 陸軍省軍務局兵務課長
- 1932年(昭和7年)5月 イギリス大使館付武官
- 8月 陸軍少将
- 1934年(昭和9年)5月 参謀本部付
- 12月 歩兵第1旅団長
- 1935年(昭和10年)8月 陸軍戸山学校長
- 1936年(昭和11年)4月 第5独立守備隊司令官・陸軍中将
- 1937年(昭和12年)8月 教育総監部本部長
- 1938年(昭和13年)2月 教育総監
- 5月 第5師団長
- 11月 第21軍司令官
- 1940年(昭和15年)2月 南支那方面軍司令官
- 10月 参謀本部付
- 12月 待命
- 1941年(昭和16年)1月 予備役
- 11月 召集・台湾軍司令官
- 1944年(昭和19年)1月 陸軍大将
- 9月 第10方面軍司令官
- 12月 兼台湾総督
参考文献
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