永井均
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
永井 均(ながい ひとし、1951年11月10日 - )は、日本の哲学者。日本大学教授。自我論・倫理学などを専門分野とする。東京都出身。
哲学・人物
自我論では、独自に〈私〉という術語を創出し、これを中心に議論を進めている。永井によれば、歴史上のあらゆる哲学は「どうして自分だけが私なのか、どうして他者は私ではないのか」というアポリアに答えを与えられず、その意味で哲学は始まってすらいないという。〈私〉とは、言語によって抹消されるために論じることはきわめて難しいが、しかし「私」概念の理解の根底に痕跡を残しているなにものかであるという。永井はこの概念を武器に、他我問題などの哲学上の難問へと切り込んでゆく。近著『なぜ意識は実在しないのか』では、〈私〉という術語こそ用いていないが、チャーマーズの『意識する心』を批判的に検証した。「他の誰でもない私」を偏重して論じるため、独我論またはそれに近接する学説として扱われることも多い。
またウィトゲンシュタイン・ニーチェなどの研究も行っている。西田幾多郎の哲学についても解説書(永井の言によるなら、西田哲学を使って独立に哲学した本)を書いている。
2008年4月から10月まで、朝日新聞夕刊上で悩み相談も行っていた。
経歴
- 1970年 慶應義塾高等学校卒業
- 1974年 慶應義塾大学文学部哲学科卒業
- 1976年 慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了
- 1982年 慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得
- 1990年 信州大学人文学部助教授
- 1995年 信州大学人文学部教授
- 1998年 千葉大学文学部教授
- 2002年 千葉大学大学院社会文化科学研究科教授
- 2007年 日本大学文理学部教授
著書
単著
- 『〈私〉のメタフィジックス』(勁草書房、1986年)
- 『〈魂〉に対する態度』(勁草書房 1991年)
- 『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書、1995年)
- 『翔太と猫のインサイトの夏休み――哲学的諸問題へのいざない』(ナカニシヤ出版、1995年、ちくま学芸文庫、2007年)
- 『〈子ども〉のための哲学』(講談社現代新書、1996年)
- 『ルサンチマンの哲学』(河出書房新社、1997年)『道徳は復讐である』文庫
- 『子どものための哲学対話――人間は遊ぶために生きている!』(講談社、1997年、講談社文庫、2009年)
- 『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房、1998年)のち講談社学術文庫
- 『これがニーチェだ』(講談社現代新書、1998年)
- 『マンガは哲学する』(講談社、2000年)のち岩波現代文庫
- 『転校生とブラック・ジャック――独在性をめぐるセミナー』(岩波書店、2001年)のち現代文庫
- 『倫理とは何か――猫のアインジヒトの挑戦』(産業図書、2003年)のちちくま学芸文庫
- 『私・今・そして神――開闢の哲学』(講談社現代新書、2004年)
- 『西田幾多郎――「絶対無」とは何か』(NHK出版、2006年)
- 『なぜ意識は実在しないのか』(岩波書店、2007年)
- 『ヴィトゲンシュタインの誤診―『青色本』を掘り崩す』(ナカニシヤ出版、2012年)
- 『哲学の密かな闘い』(ぷねうま舎、2013年)
- 『哲学の賑やかな呟き』(ぷねうま舎、2013年)
共著
- (小泉義之)『なぜ人を殺してはいけないのか?』(河出書房新社、1998年)
共編著
- (大庭健・安彦一恵)『なぜ悪いことをしてはいけないのか』(ナカニシヤ出版、2000年)
- (小林康夫・大澤真幸・山本ひろ子・中島隆博・中島義道・河本英夫)『事典哲学の木』(講談社、2002年)
- (入不二基義・上野修・青山拓央 『〈私〉の哲学 を哲学する』(講談社、2010年)
訳書
- トマス・ネーゲル『コウモリであるとはどのようなことか』(勁草書房、1989年)
共訳
関連項目
外部リンク
執筆の途中です | この「永井均」は、哲学に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正して下さる協力者を求めています(Portal:哲学)。 |