市川大門駅
テンプレート:駅情報 市川大門駅(いちかわだいもんえき)は、山梨県西八代郡市川三郷町市川大門にある、東海旅客鉄道(JR東海)身延線の駅である。
駅構造
島式ホーム1面2線を有する地上駅である。北側から見ると駅舎、1番のりば、2番のりばの順に並んでおり1番のりばに甲府方面の列車が、2番のりばに富士方面の列車が発着する。このほか当駅は駅舎と1番のりばの間に側線を1本有している。ホームの鰍沢口方の端はスロープになっておりこれを下ったところから1番のりばの線路と側線を越えて駅舎に構内踏切(遮断機・警報機つき)がのびている。
駅舎は1995年(平成7年)10月15日に竣工したものでコンクリート造り、1994年(平成6年)に市川大門町(当時)内に出来た大門碑林公園に合わせて中国風のデザインとなっている。この駅舎は市川大門下地区公民館との合築となっていて、駅舎内部には待合所のほか市川大門下地区公民館の設備として、調理実習室や町民のみ利用可能な風呂場などがあるが、一般の旅客が立ち入ることが出来るのは待合所のみである。待合所の片隅に市川大門下地区公民館への入り口がありここを入ると公民館の受付がある。基本的には一階建てであるが公民館部分の一部のみ二階建てとなっている。
南甲府駅管理の簡易委託駅である。2013年4月1日から、市川三郷町の受託による簡易委託駅として有人化された[1]。
2013年3月31日までは無人駅で、自動券売機も設置されていないので当駅で切符を購入することは基本的に出来なかった(特急列車、車掌乗務列車に乗車の場合は車内で乗車券類を購入する形だった。ワンマン列車の場合は整理券を取って下車駅か乗りかえ先の列車内で精算となった。現在も窓口閉鎖時間は同様の扱いである)が、毎年8月7日に開かれる神明の花火大会の際には臨時窓口が設置され当駅発の切符が販売されていた。
かつての急行富士川号は当駅を通過して隣の市川本町駅に停車していたが、急行列車が特急に格上げされた際に、町が新駅舎を新築するのと引き換えに当駅に停車する事になった。
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | テンプレート:Color身延線 | 下り | 甲府方面[2] |
2 | テンプレート:Color身延線 | 上り | 身延・富士方面[2] |
駅周辺
市川の街の西端に位置する。駅の北500メートルほどのところには笛吹川と釜無川が並行して流れており鰍沢口駅の近くで両者は合流し、富士川と名前を変える。
路線バス
山梨交通路線バスの廃止後数年間は市川大門駅を経由するバス路線は存在しなかったが、2006年から川を挟んで対岸の増穂町が山交タウンコーチに運行を委託して始めた増穂町コミュニティバスが当駅と増穂商業高校を結んでいる。運行は土曜と平日の朝夕のみ、また乗り場は駅前ではなく200メートルほど歩いた所にある道路際に設けられている。なお市川大門駅以外に市川三郷町内では停車せず次のバス停は増穂町内まで存在しない。
利用状況
1日平均乗車人員は以下の通りとなっている。
乗車人員推移 | |
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年度 | 1日平均人数 |
2006 | 533 |
2007 | 543 |
2008 | 582 |
2009 | 544 |
2010 | 536 |
歴史
- 1927年(昭和2年)12月17日 - 富士身延鉄道線が身延駅から延伸、その終着駅として当駅が開業(当時は一般駅)。
- 1928年(昭和3年)3月30日 - 富士身延鉄道線が甲府駅まで延伸。
- 1938年(昭和13年)10月1日 - 富士身延鉄道を国が借り上げ。
- 1941年(昭和16年)5月1日 - 国有化され、国鉄身延線の駅となる。
- 1974年(昭和49年)10月1日 - 貨物の取扱を廃止。
- 1985年(昭和60年)4月1日 - 無人駅化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東海の駅となる。
- 1995年(平成7年)10月15日 - 中国風の駅舎に改築。
- 2006年 (平成18年) 4月3日 - 増穂町コミュニティバスが乗り入れ開始、当駅と増穂商業高校を結ぶ。
- 2013年 (平成25年) 4月1日 - 市川三郷町の受託による簡易委託駅化。
隣の駅
※特急「ふじかわ」の隣の停車駅は列車記事を参照のこと。
脚注
関連項目
- 日本の鉄道駅一覧
- イリヤの空、UFOの夏 - 秋山瑞人作のライトノベル。作中で「市川大門駅」が登場する。