アクバル2世
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テンプレート:基礎情報 君主 アクバル2世(Akbar II, 1760年4月22日 - 1837年9月28日)は、北インド、ムガル帝国の第16代君主(在位:1806年 - 1837年)。アクバル・シャー2世(Akbar Shah II)ともよばれる。
生涯
1806年に父シャー・アーラム2世の死をうけて即位した[1][2]。当時のムガル帝国はすでにデリー周辺を支配するだけの小国となり、一方でシク王国やマラーター同盟、ラージプートを制圧しつつあったイギリス東インド会社の勢力が増大していた。
そんな中、宮廷ではウルドゥー語を用いた文芸活動が流行し、ムガル皇帝たちもまた数々のウルドゥー詩を詠んだ。アクバル2世も例外ではなく、政治を諦め、一地方勢力としてそこに落ち着き、詩作にふけって日々を送った。彼はウルドゥー詩に長じた文学者として有名である。
ムガル帝国の存在が形骸化する一方で、イギリス東インド会社は確実に勢力を増大させ、1818年には帝国とイギリスにとって長きにわたり目の上のたんこぶとなっていたマラーター同盟を滅ぼした。だが、約40年後にはムガル帝国本体に攻撃の矛先が向けられることになる(インド大反乱)。
在地勢力と列強の勢力が入り乱れるなか、帝国の権威を回復する術も見当らず、1837年77歳で死亡[3][4]。帝位は子のバハードゥル・シャー2世が引き継いだ[5]。
脚注
参考文献
- フランシス・ロビンソン著、小名康之監修・月森左知訳『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206 - 1925)』創元社、2009年