マプト
テンプレート:世界の市 マプト(Maputo)は、モザンビークの首都。同国の南端に位置し、単独で州を構成する。天然の良港で、モザンビーク最大の近代的な都市である。植民地時代のポルトガル風建物も多く残っている。人口は約1,000,000人(2007年)。
概要
インド洋に望む港町であり、マプト川が流れ、マプト湾へ注ぐ。マプト市の経済はこの近代的な港湾を中心とする。公式の統計による総人口は約100万人(1997年)である。実際にはスラムと非公式の居住地のためにそれ以上の住民がいると推定される。マプト港からの主な輸出品目は、石炭、木綿、砂糖、クロム、サイザル麻、コプラ、機械類である。また、モザール(Mozal) 社のアルミニウム精錬のプラントがある。
マプトは、マプト湾の西側、テンベ川の河口に位置する。マプト湾は奥行き 95km 幅 30 km である。マプト川がマプト湾の南端で海に注いでいる。
歴史
マプトは18世紀にポルトガル人によって創建された。この地方を1544年に最初に探検したポルトガルの貿易商人ロウレンソ・マルケスの名にちなみロウレンソ・マルケス(Lourenço Marques)と命名された。1895年、南アフリカのプレトリアと結ぶ鉄道が開通し、都市人口が増加した。1907年、ロウレンソ・マルケスはモザンビーク植民地の首都となった。独立後、都市の名前は現在のマプトに改称された。
マプトは計画都市であり、街路は直交し、道幅は広い。しかし、独立の過程においてポルトガル人に放棄されてしまったため、地方の部族の村から直接に出てきた住民によって占拠されることが少なくなかった。これらの住民は近代的な都市生活に満足せず、占拠した家を破壊した。激しい内戦によって破壊の度合いはさらに著しいものとなり、2004年頃まで、都市は大きな損害を受けたままにあった。
その後修復と復興が開始され、古い建物を修復するのではなく、新たな建物が勃興しつつある中産階級によって建てられている。しかし公共サービスは依然として信頼性がなく、不安定な状態にある。
気候
交通
モザンビークの南端に位置して、鉄道が国土を縦断していないため、北部との経済格差がある。道路は、長く続いた内戦時代の後遺症で、各地に地雷が無数にあり、発展を阻害する要素になっていた。しかしながら近年はこれらの事態を克服しつつあり、プラス成長に転じた。
文化施設
エドゥアルド・モンドラーネ大学、モザンビーク教育大学、モザンビーク歴史博物館、軍事博物館、ローマ・カトリックのファティマの聖母大聖堂がある。
著名な出身者
姉妹都市
脚注