ウカノミタマ

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テンプレート:Sidebar with heading backgrounds ウカノミタマは、日本神話に登場する。『古事記』では宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)、『日本書紀』では倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)と表記する。名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。両書とも性別が明確にわかるような記述はないが、古くから女神とされてきた[1]。『日本書紀』に嚴稻魂女(厳稲魂女、イツノウカノメ)という神名もあるが、これはイズウカノメとも読まれる[2]

伏見稲荷大社主祭神であり、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている。伊勢神宮ではそれより早くから、御倉神(ミクラノカミ)として祀られた。

記載

記紀神話

『古事記』では、スサノオの系譜において登場し、スサノオがクシナダヒメの次に娶ったカムオオイチヒメとの間に生まれている。同母の兄に大年神(オオトシ)がいる。大年神は一年の収穫を表す年穀の神である。

『日本書紀』では本文には登場せず、神産みの第六の一書において、イザナギイザナミが飢えて気力がないときに産まれたとしている。飢時、食を要することから穀物の神が生じたと考えられている[3]。『古事記』『日本書紀』ともに名前が出て来るだけで事績の記述はない。

延喜式祝詞

神名の「ウカ」は穀物・食物の意味であり、同じ意味の「ウケ」「ケ」を名前に持つ食物の女神とは同一視されてきた。中でも、トヨウケビメとは早くから同一視され、平安時代の『延喜式』(大殿祭祝詞)ではトヨウケヒメについて、「これ稲の霊(みたま)なり。世にウカノミタマという。」と説明している。「ミタマ」とは神秘的な生命力を意味する。また、産屋の戸口に稲束を置いたり、屋中で散米するなど、稲の霊には邪気を祓う神威があるとしている。このように、食物の持つ生命力や稲霊は女性的なものと考えられていた[4]

神道五部書

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御稲御倉(みしねのみくら)
伊勢神宮・内宮

鎌倉時代に伊勢神宮で編纂された「神道五部書」には、内宮外宮の主な社殿と祭神が記されている。その一つ、『御鎮座伝記』では内宮について、「御倉神(みくらのかみ)の三座は[5]、スサノオの子、ウカノミタマ神なり。また、専女(とうめ)[6]とも三狐神(みけつかみ)とも名づく。」と記される。

外宮についても、「調御倉神(つきのみくらのかみ)は[7]、ウカノミタマ神におわす。これイザナギ・イザナミ 2柱の尊の生みし所の神なり。また、オオゲツヒメとも号す。また、保食神(ウケモチ)とも名づく。神祇官社内におわす御膳神(みけつかみ)とは[8]これなるなり。また、神服機殿に祝い祭る三狐神とは同座の神なり。故にまた専女神とも名づく。斎王専女とはこの縁なり。また、稲の霊もウカノミタマ神におわして、西北方に敬いて祭り拝するなり。」と記される。

記紀神話に登場する食物神は、天照大神天皇の食事を司ることから「御饌津神」(みけつかみ)とも呼ばれるが、ウカノミタマには「三狐神」の字が当てられている。これは関西方言では狐を「ケツ(ネ)」と呼んだことから付けられたといわれる[9]

また、『日本書紀』ではウカノミタマを倉稲魂命と表記し、伊勢神宮でも御倉神として祀られることから、この神は五穀の神である食物神の中でも、特に稲倉に関係の深い神ではなかったかとも考えられている[10]

吉田家神道書

室町時代に神祇次官・吉田兼倶が著した『神名帳頭註』の伏見稲荷の条では、「本社。ウカノミタマ神なり。この神はスサノオの娘なり。母はオオイチヒメなり。ウカノミタマ神は百穀を播きし神なり。故に稲荷と名づくか。イザナギの御娘にこの名これ有り。」と記される。

平安・鎌倉時代の文献に登場する稲荷神は女神であるが[11]、神名についての記述はなく、ここで稲荷主神としてウカノミタマの名が登場する[12]。 最古の稲荷縁起は『山城国風土記』逸文に記されるが、この伝承によると稲荷神は稲の神であるため、いつしか同じく稲の神格を持つウカノミタマのことと認識されるようになったのだろうといわれる[13]

ファイル:Hushimi-inari-taisha kitoden.jpg
伏見稲荷・御膳谷奉拝所
(中社のあった場所ともいわれる)

また、同じく神祇次官の吉田兼右が著したといわれる『二十二社註式』の伏見稲荷の条では、「中社。ウカノミタマ命。この神は百穀を播きし神なり。一名をトヨウケヒメ命という。大和国の広瀬大明神、伊勢の外宮とは同体の神なり。ヒメ大明神と名づく。」と記されている。

伏見稲荷社記

江戸時代になると、伏見稲荷の神職等により諸々の由緒記(『水谷記』他)が著されるが、その多くが稲荷三神の主神をウカノミタマとしている(天倉稲魂命、若倉稲姫魂命、と表記される場合もある[14])。本来は稲荷山の上・中・下の三社のうち、中社に遷座するとされていたが、江戸後期から下社とする記述が増え、現在もそのようになっている。

これに対し、他の 2神の神名は文献によって異同があり、現在の形(ウカノミタマ、サタヒコオオミヤノメ)に決まるのは明治になってからである[15]

真言宗総本山・東寺縁起に登場する、稲束を担いだ翁の稲荷明神がウカノミタマと呼ばれる事もあるが、近世以降の付会である[16]。中世の東寺縁起では、この翁の稲荷神に固有の神名はなく、遷座場所も稲荷山の上社である[17]。伏見稲荷社記の一つ『稲荷五所大事聞書』では、この翁の稲荷神の名は「太多羅持男」としている。

ウカノミタマは、現在は穀物の神としてだけでなく、農業の神、商工業の神としても信仰されている。伏見稲荷大社(京都市)、笠間稲荷神社茨城県)、祐徳稲荷神社佐賀県)などの全国の稲荷神社で祀られているほか、ビルやデパートの屋上、工場の敷地内などにも、屋敷神として稲荷神を祀る社が設けられている。 例えば、日本橋三越デパート屋上の三囲神社などがある。

ウカノミタマを祀る神社

  • 小津神社 (滋賀県守山市) 
    平安後期に制作された、ウカノミタマの神像(重要文化財)を祀る。垂髪(たれがみ)の女神の座像で、片膝を立て、手に宝珠を持つ。木製で像高50cm。ウカノミタマを主祭神とするが、稲荷神社ではない。
  • 小俣神社 (三重県伊勢市
    伊勢外宮の境外摂社。神道五部書の『御鎮座本紀』では、トヨウケ大神に随行してきた「ウカノミタマ稲女神」を祀ると記される。地元では、稲女(いなめ)さん・稲嘗(いなべ)さん、とも呼ばれる。
  • 上社 (三重県伊勢市)
    合祀により、4座の宇迦之御魂神を祀る[18]

※稲荷神として祀られる場合は、稲荷神稲荷神社を参照。

脚注

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関連項目

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  1. 三橋健 「女人形稲荷神像の系譜」『神道及び神道史』55・56号 国学院大学神道史学会 2000年。
  2. 吉川弘文館編 『百家説林: 正編 上』 2009年(初版1905年)、一〇四八ページ(pdf版223ページ)。
  3. 喜田貞吉 『福神』 宝文館出版 昭和51年 34頁。
  4. 三橋 前掲論文。
  5. 調御倉(つきのみくら)、御稲御倉(みしねのみくら)、由貴御倉(ゆきのみくら)。調御倉は中世末に廃絶した。
  6. 元々は老女を意味していたが、平安後期にはキツネを指して呼ぶようになった。
  7. 外宮の調御倉は倉自体は廃絶したが、調御倉神は御酒殿(みさかどの)で合祀されている。
  8. 朝廷の神祇官にある八神殿で、御巫(みかんこ)によって祀られた八神のうちの一柱。
  9. 喜田 前掲書 49頁。
  10. 喜田 前掲書 59頁。
  11. 三橋 前掲論文。
  12. 松前健・編 『稲荷明神』 筑摩書房 1988年 7頁。
  13. 稲田智宏 「稲荷大神五柱とは何か」『稲荷大神』 戎光祥出版 平成21年。
  14. 山折哲雄・編 『稲荷信仰事典』 戎光祥出版 1999年 34頁。
  15. 『官幣大社稲荷神社明細図書』に基づく。
  16. 『稲荷大明神利現記』(元禄年間・成立)など。
  17. 『稲荷大明神流記』(南北朝初期・成立)など。
  18. 宇治山田市役所 編『宇治山田市史 下巻』宇治山田市役所、昭和4年3月5日、1690p.(948ページより)