読売新聞社杯全日本選抜競輪
テンプレート:自転車レース 読売新聞社杯全日本選抜競輪(よみうりしんぶんしゃはいぜんにっぽんせんばつけいりん)は毎年2月上旬から中旬頃に開かれる競輪のGI競走であり、略称としては全日本選抜競輪・全日本選抜がある。
歴史
本大会は特別競輪(現在のGI)相当のビッグレースがそれまで存在しなかった夏季に主として避暑地の地方都市を舞台に開催することを目指して発足し、1985年の第1回より「全日本選抜競輪」という名称で開催された。当初は6日制だったが、1996年の第12回から4日制に短縮された。
2001年度から実施された競輪の番組制度改革に伴い、2001年の第17回から以下のように変更された。
- 開催時期がそれまでの7月下旬 - 8月上旬の間から11月に変更された。
- 年末開催になったことにより、KEIRINグランプリ出場の事実上の最終選考会的な要素(優勝者は自動的に同レースに出走できる)が含まれるようになった。
- 読売新聞社から社杯が授与されるようになり、それに伴い開催名称が現在の名称に変更された。
- 本大会の出場選定方法も見直され、ふるさとダービー (4月、6月、8月の3回にわたって地方都市の競輪場で開催)の各決勝戦に勝ち上がった9選手(計27選手)がシードされ、そのうち上位入賞3選手(計9選手)が特別選抜予選(2次予選に自動的に勝ち上がり)へ出場できるようになった。
2005年の第21回から開催時期が12月に変更され、さらに2005年度よりふるさとダービーが全日本選抜競輪のトライアル競走ではなくなった[1]ため、ふるさとダービーの各決勝戦上位入賞3選手が特別選抜予選にシードされるシステムはわずか4年で廃止された。
2009年の第25回から本大会の開催時期が8月に移行し、以前のような夏季開催が復活した[2]。これにより、本大会はKEIRINグランプリへの最終選考会的な要素が含まれなくなった。
決勝戦のテレビ中継は、これまでテレビ東京系列がほぼ独占していたが、2006年以降は日本自転車振興会が「KEIRIN」としてスポンサーとなり、読売新聞社系列の日本テレビとその系列局にて放送されている。特に近年はブラックマヨネーズを司会に起用し「ブラマヨ自転車部」のタイトルで放映されている[3]。この他、独立放送局でも違う内容で中継を放映するケースがある[4]。
なお、2012年度から、特別競輪(GⅡ以上)のレース体系の再見直しによる日程のバランス調整のため、開催時期を年度末の2月に再変更し、2008年以来の冬季開催となる。なお2012年度の大会は2013年2月開催だったため、2012年の同大会は日程調整上行わなかった[5]。
出場選手選抜方法
読売新聞社杯全日本選抜競輪の出場選手は、各都道府県において最も成績を残している選手を中心に選抜される。毎回若干変更・修正されるものの、概ね以下の資格順位により正選手108名、補欠選手8名を選抜する。
- 選考期間…前年6月~11月(6ヶ月)、選考月…12月、最低出走回数…24出走
- S級S班在籍者
- 過去3回以上優勝した者(開催時S級1班所属が条件)
- 開催時S級1班在籍選手のうち47都道府県それぞれにおいて平均競走得点1位の者</br>ただし、選考時において1年以上同じ都道府県に在籍している選手に限る</br>また、S級1班が不在の都道府県からは誰も選出しない
- 全国を8つに分けた地区[6]毎の平均競走得点1~3位の者
- 残余は平均競走得点上位者より順次選抜する
なお、補欠選手は正選手を除く平均競走得点上位者からさらに順次選抜される。
また、正選手のうち、S級S班在籍者と平均競走得点上位者の合計27名については、特別選抜予選に出走できる。
勝ち上がり方式
初日〜3日目は12レース、4日目(最終日)のみ11レースが行われる。
- 初日
- 「一次予選」 合計9レース行われ、各レース1〜4着36名が「二次予選」進出。
- 「特別選抜予選」 一次予選の後に合計3レース行われ、各レース1〜3着9名は無条件で2日目の「スタールビー賞」と、3日目の「準決勝」進出権利が同時に得られる。4〜9着18名は「二次予選」進出。
- 2日目
- 「二次予選」 合計6レース行われ、各レース1〜3着18名が「準決勝」進出。
- 「スタールビー賞」 二次特別選抜予選として、最終レースに行われる。失格にならない限り、9名全員が「準決勝」進出。
- 3日目
- 「準決勝」 後半3レース。各レース1〜3着9名が「決勝」進出。
- 4日目(最終日)
- 「決勝」 最終レース。上位3着は表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。
- 「特別優秀」 「決勝」前の合計2レース。「準決勝」各レース4〜6着9名と、二次予選敗退選手による3日目「特選」各レース1〜3着9名の18名により行われる。
その他、2日目以降に予選敗退者を対象とした「特一般」(2日目)、「一般」、「選抜」、「特選」(3日目以降)が開催される。
最終日の競走が全11レースしか設定されないため、3日目「一般」各レース7〜9着9名が最終日を待たずに強制的に(失格はなくても)途中帰郷(「お帰り」)させられる。
過去の優勝者
回 | 開催年 | 開催場 | 優勝者 | STR賞勝者 |
---|---|---|---|---|
第1回 | 1985年(昭和60年) | 前橋競輪場 | 佐々木昭彦 | 滝澤正光 |
第2回 | 1986年(昭和61年) | 熊本競輪場 | 井上茂徳 | 井上茂徳 |
第3回 | 1987年(昭和62年) | 京都向日町競輪場 | 滝澤正光 | 中野浩一 |
第4回 | 1988年(昭和63年) | 青森競輪場 | 中野浩一 | 坂本勉 |
第5回 | 1989年(平成元年) | 前橋競輪場 | ||
第6回 | 1990年(平成2年) | 青森競輪場 | 井上茂徳 | 井上茂徳 |
第7回 | 1991年(平成3年) | 久留米競輪場 | 鈴木誠 | 滝澤正光 |
第8回 | 1992年(平成4年) | 岸和田競輪場 | 梶応弘樹 | 坂本勉 |
第9回 | 1993年(平成5年) | 青森競輪場 | 高木隆弘 | 吉岡稔真 |
第10回 | 1994年(平成6年) | 大垣競輪場 | 高橋光宏 | 高木隆弘 |
第11回 | 1995年(平成7年) | 青森競輪場 | 神山雄一郎 | 俵信之 |
第12回 | 1996年(平成8年) | 宇都宮競輪場 | 海田和裕 | 神山雄一郎 |
第13回 | 1997年(平成9年) | いわき平競輪場 | 児玉広志 | |
第14回 | 1998年(平成10年) | 青森競輪場 | 山田裕仁 | 市田佳寿浩 |
第15回 | 1999年(平成11年) | 大垣競輪場 | 吉岡稔真 | 金田健一郎 |
第16回 | 2000年(平成12年) | 名古屋競輪場 | 金古将人 | 伊藤保文 |
第17回 | 2001年(平成13年) | 花月園競輪場 | 濱口高彰 | 太田真一 |
第18回 | 2002年(平成14年) | 岸和田競輪場 | 村上義弘 | 松本整 |
第19回 | 2003年(平成15年) | 高知競輪場 | 佐藤慎太郎 | 有坂直樹 |
第20回 | 2004年(平成16年) | 大垣競輪場 | 内林久徳 | 齋藤登志信 |
第21回 | 2005年(平成17年) | 岸和田競輪場 | 加藤慎平 | 小野俊之 |
第22回 | 2006年(平成18年) | いわき平競輪場 | 合志正臣 | 神山雄一郎 |
第23回 | 2007年(平成19年) | 熊本競輪場 | 山崎芳仁 | 佐藤友和 |
第24回 | 2008年(平成20年) | 西武園競輪場 | 三宅伸 | 荒井崇博 |
第25回 | 2009年(平成21年) | 大垣競輪場 | 山崎芳仁 | 井上昌己 |
第26回 | 2010年(平成22年) | 宇都宮競輪場 | 佐藤友和 | 海老根恵太 |
第27回 | 2011年(平成23年) | 岸和田競輪場 | 伏見俊昭 | 深谷知広 |
第28回 | 2013年(平成25年) | 松山競輪場 | 平原康多 | |
第29回 | 2014年(平成26年) | 高松競輪場 | 村上博幸 | 池田勇人 |
今後の開催予定
脚注
- ↑ 『平成17年度ふるさとダービー【GII】』の出場選手の決定について
- ↑ 平成21年度特別競輪等の開催場等について
- ↑ 2014年の第29回大会では開催が一日順延となったため決勝戦も当初予定より一日遅れて2月12日に行われたが、放送は順延されず当初の予定通り2月11日に準決勝戦を放映した。
- ↑ 2010年の第26回大会はBSジャパンでもとちぎテレビ制作のものを放送した。
- ↑ 平成24年度以降の特別競輪等の見直し及び平成23年度高松宮記念杯競輪開催場について
- ↑ 北日本、関東、南関東、中部、近畿、中国、四国、九州に分ける