カピトリーノ美術館
テンプレート:Infobox Museum カピトリーノ美術館 (Musei Capitolini) は、イタリアのローマにある美術館である。ローマの7つの丘の1つ、カピトリーノの丘に建つこの美術館は、一般市民に公開された美術館としては世界最古のものと言われている。
沿革
古代ローマの面影を残すフォロ・ロマーノにほど近いカピトリーノの丘は、古代以来ローマの聖地であった。丘の上にあるカンピドリオ広場は、16世紀半ばにミケランジェロの設計で整備されたものである。丘に至るゆったりとした階段を上ると、左右にギリシャ神話に登場するカストルとポルクスの双子の神の像が立ち、広場中央にはマルクス・アウレリウスの騎馬像(レプリカ、台座はミケランジェロが手がけた)が立つ。広場の奥正面は市庁舎であり、右にはパラッツォ・デイ・コンセルヴァトーリ(コンセルヴァトーリ宮殿)、左にはパラッツォ・ヌオーヴォ(新宮殿)が建つ。この広場全体の構想、宮殿のファサード(建物正面の意匠)、広場の敷石が描く幾何学文様などは、ミケランジェロの構想・設計になるものである。パラッツォ・デイ・コンセルヴァトーリ、パラッツォ・ヌオーヴォはそれぞれ美術館となっており、前者を「コンセルヴァトーリ美術館」、後者を「カピトリーノ美術館」と呼ぶ場合もあるが、通常、両者を合わせて「カピトリーノ美術館」と称している。
カピトリーノ美術館の歴史は1471年にまでさかのぼる。この年、時の教皇シクストゥス4世は、それまでラテラノ宮(バチカンに教皇庁が移る以前はここに教皇庁があった)に保管されていた古代ローマのブロンズ像などをローマ市民に返還(寄付)した。この時「返還」された美術品のなかには、現代においてもカピトリーノ美術館の名品とされる『コンスタンティヌス大帝の巨像の頭部』、『とげを抜く少年』『カピトリーノの雌狼』『マルクス・アウレリウス騎馬像』などが含まれていた。これらの彫像は、パラッツォ・デイ・コンセルヴァトーリの中庭に配置されていたという。建物内部が美術館として公開されるようになるのは1734年、クレメンス12世の時のことであったが、これは、一般市民に公開された美術館としては世界最古の事例とされている。1748年にはベネディクトゥス4世によりパラッツォ・デイ・コンセルヴァトーリの3階に絵画館が設置された。時代は下って20世紀になると、1925年にムゼオ・ヌオーヴォ(新美術館)が、1952年にはブラッチョ・ヌオーヴォ(新翼)が建設された。
主な収蔵品
パラッツォ・デイ・コンセルヴァトーリの2階には、『コンスタンティヌス大帝の頭部』、『とげを抜く少年』、『カピトリヌスの雌狼』をはじめとする古代ローマ、エトルリアなどの彫刻が展示され、3階の絵画館にはルネサンス、バロック期のイタリア絵画が展示されている。中でも、『カピトリヌスの雌狼』は、ローマの建国伝説に関わる著名な像である。また、パラッツォ・デイ・コンセルヴァトーリの中庭に置かれている、大理石製の巨大な手や足は、本来高さ12メートル以上あったコンスタンティヌスの巨像の残骸である。一方、パラッツォ・ヌオーヴォには、「ローマン・コピー」と呼ばれる、古代ギリシャ彫刻のローマ時代の模作が多く展示されている。『マルクス・アウレリウス騎馬像』は、元来カンピドリオ広場の中央に設置されていたが、大気汚染による害が深刻であったため、修復後はオリジナル像はパラッツォ・ヌオーヴォに移され、広場中央にはレプリカが置かれている。
- 『コンスタンティヌス大帝の頭部』4世紀)
- 『とげを抜く少年』(紀元前1世紀)
- 『カピトリーノの雌狼』(エトルリア、紀元前5世紀)
- 『マルクス・アウレリウスの騎馬像』(紀元前160-180年)
- 『瀕死のガリア人』(ギリシャ人プラクシテレスの原作のローマ時代の模作)
- 『カピトリーノのヴィーナス』(ギリシャの原作のローマ時代の模作)
- ティツィアーノ『キリストの洗礼』
- ティントレット『マグダラのマリア』
- カラヴァッジオ『洗礼者聖ヨハネ』
- 『アリアドネー』(石膏デッサンで広く親しまれている通称「アリアス」のオリジナル胸像)