私掠船
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私掠船(しりゃくせん、英語:privateer)とは、戦争状態にある一国の政府から、その敵国の船を攻撃しその船や積み荷を奪う許可、私掠免許を得た個人の船をいう。 私掠免許を「海賊免許」と呼称する場合もあるが、厳密には私掠船は海賊ではない。
私掠船の歴史
この慣習は16世紀の英国にはじまり、18世紀の英仏戦争中には非常に多数の私掠船が活動した。
私掠船を運用するメリットは、この慣習を始めた16世紀の英国にとって、自軍の海軍の常備兵力を削れることにあり、そもそも海外進出でスペインやポルトガルに後れをとった英国の苦肉の策でもあった。そのような意味で同時代の傭兵に類似する。反面、統制がきかず、同盟国や母国籍の船まで襲う者もあった。
ナポレオン戦争ではフランス側の私掠船が活躍し、交戦国・中立国に対し略奪し、大陸封鎖令を側面から支援した。
アメリカの南北戦争において南部連合政府は私掠船免状を発行したが、それにより活動した少数の私掠船はたちまち圧倒的に優勢な北部海軍により鎮圧された。独立戦争中にも私掠船と似た形態の軍事行動が行われた。
1856年のパリ宣言でヨーロッパ列強は私掠船の利用を放棄した。さらに1907年のハーグ平和会議で武装した商船[1]は軍艦として登録されるべきことが国際法として規定され、アメリカ合衆国を含む諸国もそれに従い、私掠船の慣習は消滅した。パリ宣言以後、戦時に民間船は特設艦船として用いられることとなった。
私掠船の収益
私掠船の航海で得られた利益は、国庫・出資者・船長以下乗組員に所定の比率で分配された。国家や出資者にとっては私掠船はおおむね儲かる事業だった。エリザベス1世がフランシス・ドレークに私掠免許を与え投資した際の利益率は、6000%にのぼったという説もある。