景徳鎮市

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『景徳鎮陶録』(藍浦ほか著)

景徳鎮市(けいとくちんし)は中華人民共和国江西省東北部に位置する地級市。古来より陶磁器の生産地として有名で、国家歴史文化名城に指定され、対外開放市でもある。

地理

省東北部に位置し、西北は安徽省東至県、南は万年県、西は鄱陽県、東北は安徽省祁門県、東南は婺源県と接する。気候は亜熱帯性で降雨に恵まれ、気温は温和である。周囲を山々がめぐり、河川も多い。鄱江の支流、昌江が流れる。市区の海抜は320メートルである。

歴史

原名は新平、後に昌江の南岸に位置することから、昌南鎮と改名された。北宋景徳年間、年号により景徳鎮と改名され、浮梁県に属した。1960年に浮梁県から出て、浮梁県をも含めた景徳鎮市となった。

文献によれば、すでに代から陶磁器生産が始まっていたとされ、代には、青白磁梅瓶など、の時代にはいわゆる「青花」と呼ばれる染付磁器の優品を輩出し、宮廷でも用いられる一方、欧州イスラム圏など海外諸国にも広く輸出され、chinaの語源にもなった。広東省佛山、湖北省漢口、河南省朱仙鎮とともに中国4大名鎮とされる。 文化大革命の折には「旧文化」であるとされ、紅衛兵による被害を受けた。

経済

陶磁器以外にも古来から重要な産品であった。また近年は各種工業も発達している。

行政区画

2区・1県級市・1県を管轄する。

年表

贛東北行政区

贛東北行政区楽平専区

  • 1949年10月1日 - 中華人民共和国江西省贛東北行政区楽平専区が成立。浮梁県楽平県徳興県婺源県が発足。(4県)
  • 1949年10月 - 贛東北行政区楽平専区が贛東北行政区鄱陽専区と合併し、楽平専区の発足により消滅。

楽平専区

  • 1949年10月 - 江西省贛東北行政区鄱陽専区(6県)・楽平専区(4県)が合併し、江西省楽平専区が発足。(1市7県)
  • 1950年6月9日 - 楽平専区が浮梁専区に改称。

浮梁専区

  • 1952年10月8日 - 浮梁専区が上饒専区と合併し、鷹潭専区の発足により消滅。

景徳鎮市

  • 1953年6月15日 - 上饒専区景徳鎮市が地級市の景徳鎮市に昇格。(1市)
  • 1958年11月10日 - 上饒専区浮梁県を編入。(1市1県)
  • 1960年9月30日 - 浮梁県が景徳鎮市に編入。(1市)
  • 1979年3月14日 - 昌江区珠山区を設置。(2区)
  • 1980年4月16日 - 珠山区の一部が分立し、鵞湖区蛟潭区が発足。(4区)
  • 1983年7月27日 (4区1県)
  • 1988年10月11日 - 蛟潭区・鵞湖区が合併し、浮梁県が発足。(2区2県)
  • 1990年2月17日 - 昌江区の一部が浮梁県に編入。(2区2県)
  • 1992年7月27日 - 楽平県が市制施行し、楽平市となる。(2区1市1県)
  • 2002年8月8日 (2区1市1県)
    • 珠山区の一部(西郊街道)が昌江区に編入。
    • 昌江区の一部(太白園街道)が珠山区に編入。
  • 2014年1月9日 - 昌江区・浮梁県の各一部が珠山区に編入。(2区1市1県)

交通

文献

  • 『藍浦 景徳鎮陶録』 愛宕松男訳注 (平凡社東洋文庫全2巻、1987年) 原典訳
  • 佐久間重男 『景徳鎮窯業史研究』 (第一書房、1999年) 研究の大著
  • 陳舜臣 『景徳鎮の旅 中国やきもの紀行』 (たちばな出版 2007年、初版新潮社
  • 『中国やきもの入門』 <別冊太陽>(平凡社、2009年、伊藤郁太郎監修)

教育施設

  • 景徳鎮陶磁学院

観光地

  • 湖田古窯遺跡 (国家級文物保護単位)
  • 明清御窯厰遺跡(省級文物保護単位)
  • 明清古建筑村
  • 徽派建筑群
  • 古劇場台
  • 中国第二、江南第一の旧・浮梁県衙(役所)
  • 屈原命名と伝えられる古建築・三閭廟

友好都市

外部リンク

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