藤森駅
藤森駅(ふじのもりえき)は、京都府京都市伏見区深草キトロ町にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。
駅構造
相対式2面2線ホームを持つ地上駅。出町柳方面ホームは淀屋橋方面ホームより北側へ数両分ずれて設置されており、ホームの真上を名神高速道路が通っている。改札口は東西両側にあり、90年代半ばに自動改札機が導入された。駅の南側には踏切が、北側には地下自由通路が駅の両側を通じている。バリアフリー設備として、車イス対応のエレベーター・多目的トイレが設置されている。
1980年代半ばより、駅名にちなんでホームの柱を薄紫(藤色)に塗りかえられていたことがある[1]。
のりば
1 | テンプレート:Color京阪本線(上り) | 三条・出町柳方面 |
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2 | テンプレート:Color京阪本線(下り) | 中書島・枚方市・淀屋橋・中之島線方面 |
※両ホームとも有効長は8両(但し停車する列車は7両のみ)。
- Fujinomori Station.jpg
駅舎(南東側より撮影)
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ホーム
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藤森駅北改札口及び自由通路
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地下自由通路西側口
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地下自由通路西側口前
駅周辺
駅舎のすぐ東側を琵琶湖疏水が流れており、1928年に竣工された歩行者専用の堀田橋が架けられている。
- 深草バスストップ(京都深草) - 名神ハイウェイバスなど高速バス(約500m、徒歩6分)
- 駅の改札口付近には、深草バスストップまでの経路を示した案内板が存在する。
- 聖母女学院短期大学・京都聖母学院中学校・高等学校・京都聖母学院小学校
- 京都市立深草小学校
- 京都市立深草中学校
- 京都市立藤森中学校
- 深草郵便局
- ダイエー藤森店(2013年5月6日閉店)
- マックスバリュ藤森店
- 京都市青少年科学センター
- 京エコロジーセンター(京都市環境保全センター)
- 伏見保健所深草支所
- 伏見区役所深草支所
- 京都医療センター
- 藤の森ローズタウン
バスのりば
京阪藤森駅には、バス路線は乗り入れていない。
- 深草西浦町
- バス停は駅前ではなく、駅から徒歩5分の師団街道沿いにある。
- 藤ノ森
- バス停は駅前ではなく、駅から徒歩5分の師団街道沿いにある。京阪バスは1988年6月までは「京阪藤ノ森駅口」と称していたが、現在は京都市営バスに停留所名を合わせて統一している。かつては奈良方面や淀、久御山団地に行くバスも数便設定されていたが、いずれも廃止されている。
利用状況
2009年11月10日の乗降人員は14,836人[2]。
近年の1日あたり利用客数の推移は下記の通り。
年度 | 乗降人員[3] | 乗車人員[4] |
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2007年 | 16,293 | 7,904 |
2008年 | 16,224 | 8,181 |
2009年 | 15,518 | 7,767 |
2010年 | 15,285 | 7,696 |
2011年 | 14,375 | 7,142 |
2012年 | 15,308 | 7,592 |
歴史
京阪線の開通と同時に師団前駅として開業した駅。駅名由来は大日本帝国陸軍第十六師団の駐屯地の側にあったことからで、駅周辺は列車の運行が陸軍の訓練や演習に支障をきたさないようにと開通時から3ヶ所の高架橋が造られた。1941年「駅名が陸軍師団の所在地を示す」として現在の駅名『藤森駅』と改められた。
また戦前から駅の柱や梁を藤森神社の藤の花に色「藤色(紫)」に塗られたが戦争の激化で「爆撃の目印」になるとグレーに塗り直され、1980年代にプラットホームの柱や梁を藤色に塗り直された[5]
以前は駅舎(改札口)は淀屋橋方面ホーム側のみにあり、現在の東側南改札口が唯一の改札口で大阪行きホームのみ車イス対応のスロープが設置されていた。北側は聖母学園生徒学生専用出入口、売店などなっていたが現在は改札口が設けられている。出町柳方面ホームへは改札内の地下道で連絡しているだけで、トイレも東側の階段の途中に造られていた。2008年3月、京都市との合同で西改札口の設置・改札階と上下ホームを結ぶエレベーターの設置の整備計画が発表[6]され、京都市の援助を得て駅のバリアフリー化工事が進められ2009年9月26日に西改札口が造られ、トイレも改良された。2010年3月26日に京都行きホームへ車イス対応エレベーターの設置工事が竣工[7]した。しかし駅の特徴の一つだった紫色に塗られたホームの柱は、ほかの駅と同じグレーに塗りなおされた。
- 1910年(明治43年)4月15日 - 京阪本線開業と同時に、師団前駅として設置。
- 1941年(昭和16年)9月1日 - 藤森駅に改称[8](師団所在地であるため防諜上の理由)。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(阪急)の駅となる。
- 1946年(昭和21年)2月15日 - 急行運転の再開、急行停車駅に[9]。
- 1949年(昭和24年)
- 1967年(昭和42年)9月7日 - 駅改良工事竣工[8]。
- 1968年(昭和43年)7月21日 - 上りホームを踏切北側へ移設、地下道使用開始[8]。
- 1971年(昭和46年)11月29日 - 学生専用出口開設[8]。
- 1977年(昭和52年)3月30日 - 駅の西側に京阪電鉄初の分譲マンション「ローズマンション藤の森」の分譲開始。
- 1978年(昭和53年)3月30日 - 「ローズマンション藤の森」竣工、京阪藤の森ビル竣工[11]。
- 1992年(平成4年) - プラットホームの屋根が延長される[12]。
- 1994年(平成6年) - 自動改札機設置[13]。
- 1999年(平成11年)3月29日 - 大阪行きホームに車椅子用スロープ設置。
- 2003年(平成15年)- 「二代目おけいはん」(江本理恵)が出演するCM撮影に使われる。
- 2008年(平成20年)2月 - ホーム異常通報装置設置[14]。
- 2009年(平成21年)9月26日 - 西改札口、開設[8]。
- 2010年(平成22年)3月26日 - 身体障害者対応エレベーター2基設置[6]。
その他
- 2000年頃までは車内放送の際、駅名の後に「科学センター前」と呼称していた。
- 1980年頃までは、名神ハイウェイバスの日本急行バス(現:名鉄観光バス)への乗換を案内していたことがある(その時期には「科学センター前」の呼称はなし)。この時期には各ホームに乗り換えを示す電照看板や「ハイウェイバスのりかえ」の案内標識のほか、改札近傍には電照式の時刻表もあった。1979年以降はこの案内は行われなくなった。なお、日本急行バスには京阪が出資をしていたが、1971年に京阪からの出資などが引き揚げられ名古屋鉄道(名鉄)資本に一本化された。さらに1979年には運行が名鉄傘下の名古屋観光自動車に委託されたのち、現在は名鉄バスの運行。
隣の駅
- 京阪電気鉄道
- テンプレート:Color京阪本線
- テンプレート:Color快速特急・テンプレート:Color特急・テンプレート:Color通勤快急・テンプレート:Color快速急行・テンプレート:Color急行
- 通過
- テンプレート:Color通勤準急(平日下りのみ運転)・テンプレート:Color準急・テンプレート:Color普通
- テンプレート:Color快速特急・テンプレート:Color特急・テンプレート:Color通勤快急・テンプレート:Color快速急行・テンプレート:Color急行
脚注
- ↑ 出典元・駅置き広報誌「くらしの中の京阪」1983年5月号より
- ↑ 出典元・京阪百年のあゆみ[資料編]
- ↑ テンプレート:Cite web暦年数値を日数で除したものであり、統計表は年1回実施される流動調査の実績を基礎として、京阪の提示する数値を基に京都市が作成している。
- ↑ テンプレート:Cite web年度数値を日数で除して算出。
- ↑ 出典元・「鉄道ピクトリアル」1984年1月増刊号118ページ『京阪電車と私』寄稿者は、当時の鉄道友の会理事・京都支部長の「宍戸圭一京都大学名誉教授」
- ↑ 6.0 6.1 「東福寺地区」及び「京阪藤森地区」バリアフリー移動等円滑化基本構想の策定について - 京都市(2008年10月1日付)
- ↑ テンプレート:PDFlink - 京阪電気鉄道ホームページ藤森駅構内図、2010年3月26日作成
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 出典元・京阪開業100周年記念誌「京阪百年のあゆみ」(2011年3月24日刊)資料編141頁
- ↑ 出典元・関西鉄道研究会(1991年2月1日発行)「車両発達史シリーズ1 京阪電気鉄道」の35頁
- ↑ 出典元・関西鉄道研究会(1991年2月1日発行)「車両発達史シリーズ1 京阪電気鉄道」の36頁
- ↑ 京阪開業90周年記念誌「街をつなぐ 心をむすぶ」75頁
- ↑ 出典元・駅置き広報誌「くらしの中の京阪」1992年3月号
- ↑ 出典元・駅置き広報誌「くらしの中の京阪」1994年11月号
- ↑ 出典元・駅置き沿線情報誌『K PRESS』2009年3月号の16面「くらしのなかの京阪」
関連項目
外部リンク
- 駅情報局:藤森駅(おけいはん.ねっと) - 京阪電気鉄道