大分空港
大分空港(おおいたくうこう、Oita Airport)は、大分県国東市にある空港である。空港法第4条1項5号に該当する空港として政令で定める空港に区分されている。
目次
概要
大分県北東部の国東半島の沿岸海域を埋め立てて造成した空港であり、海上空港とされることもある[1][2]。滑走路は、ほぼ真南北に延び、かつ海上に位置する。
大分県では、かつて高速道路や新幹線の整備が遅れておりテンプレート:Refnest、航空路が唯一の高速交通網であった。1979年、大分県知事平松守彦は、空港を核に小型軽量で航空貨物による輸送が可能な製品を製造する先端技術産業の立地を進める臨空工業地帯構想を打ち出し、さらにこれを「豊の国テクノポリス構想」に発展させた。そして、1984年3月に県北国東地域がテクノポリス(高度技術工業集積地域)に指定されたことから、本空港周辺には大分キヤノン国東事業所、大分キヤノンマテリアル杵築事業所、日本テキサス・インスツルメンツ日出工場等の先端技術産業の立地が進んだ[3]。
かつて日本エアシステムの乗員訓練所もあったため、現在でもJALグループの他、スターフライヤー、フジドリームエアラインズ等航空各社による「タッチ・アンド・ゴー」等の実機乗員訓練が年に何回か行われている。また、宮崎空港に隣接する航空大学校からの訓練飛行も頻繁に行われる。
年間利用客数は、国内1,702,931人、国際15,778人(2013年度)[4]。
マスコットキャラクターは、マーシャルくん[5]。パドルを持ちマーシャラーの姿をしたペンギンのキャラクターである。
他の空港との関係
大分空港は大分県北東部の海岸部にあるため、大分県内でも西部や南部からのアクセス性は高くない。大分県西部の日田市などからは福岡空港、南西部の竹田市などからは熊本空港が、本空港よりも近く、高速バスも運行されているため利便性もよい(ただし、大阪・名古屋・東京などの主要路線は、大分発着の方が飛行距離が短く、普通運賃が安い[注 1])。
また、2006年3月には北九州空港が移転・開港し、従来は大分空港が最寄りであった福岡県豊前市や大分県中津市からは、距離的には新北九州空港が最寄りになった[注 2]。ただし、中津からは大分空港行きの直行バスが運行しているが、新北九州空港に直行する公共交通はない。
沿革
旧大分空港
- 1938年 - 大分海軍航空隊基地として大分市今津留に建設。敷地は大分川と裏川に囲まれた範囲でかなり広大であった。
- 1956年5月 - 駐留アメリカ軍から返還される。
- 1957年 - 第二種空港として供用開始(滑走路長1,080m)。現在の大洲総合運動公園の敷地が滑走路で別大興産スタジアム(新大分球場)の位置がエプロンであった。
- 1964年2月27日 - 富士航空のコンベアCV240(JA5098)が着陸に失敗して墜落、20人死亡(富士航空機墜落事故)。
現大分空港
旧空港が市街地に近かったこと、滑走路の両端を川に挟まれて延伸が困難であったこと、大分市の新産業都市指定の条件として移転が求められたこと[注 3]から、大分市内から現在地に移転[6]。
- 1968年 - 新大分空港の設置が許可される。
- 1970年7月4日 - 起工式。
- 1971年10月16日 - 供用開始(滑走路長2,000m)。開港時の名称は「新大分空港」。
- 1973年 - 「新大分空港」から「大分空港」へ改称。
- 1982年12月1日 - 出発ターミナルビル供用開始。
- 1982年12月10日 - 滑走路を北側に500m延伸し、2,500mで供用開始。
- 1988年10月31日 - 滑走路を南側に500m延伸し、3,000mで供用開始。
- 1991年12月4日 - 到着ターミナルビル供用開始。旧ターミナルビルの一般利用終了。
- 1992年3月28日 - 国際線ターミナルビル供用開始。
- 1996年5月30日 - 新貨物ターミナルビル竣工。
- 2002年3月1日 - 増改築リニュアルが完了し、新旅客ターミナルビル供用開始。
- 2009年10月31日 - 大分ホーバーフェリー運航終了。
施設
国内線到着ロビーの手荷物受取所のアートワークは、2009年にグッドデザイン賞を受賞している[7]。また、地元の観光振興協会「ツーリズムおおいた」が、手荷物受取所のベルトコンベアを回転寿司に見立てて巨大なにぎり寿司の模型を流すのを全国で最も早く2007年5月に始め[8]、佐伯市蒲江のウニと姫島のクルマエビを宣伝している[9][10]。2013年3月15日には新作として津久見のマグロ・佐伯の海老の寿司が登場した[11]。
案内板には、長らく富士通機電(現:富士通フロンテック)製反転フラップ式案内表示機(通称パタパタ式)が使用され特色の一つとなっていたが、現在は手荷物受取所を除き電光掲示板に変更されている。
2006年3月31日の国東市発足までは、ターミナルビルの真ん中を旧安岐町と旧武蔵町の町境が横切っていた。
2009年10月までは、大分ホーバーフェリーによって大分市との間にホバークラフトが運航されており、空港ビルに隣接して乗り場があった。
就航路線
航空会社が2社以上の場合、最前の航空会社の機材・乗務員で運航するコードシェア便。
国内線
- 日本航空 (JAL) [注 4]
- 全日本空輸 (ANA)
- 東京国際空港
- 大阪国際空港
- アイベックスエアラインズ (IBX) ・ 全日本空輸 (ANA)
- 大阪国際空港
- 中部国際空港
- ソラシドエア (SNA) ・ 全日本空輸 (ANA)
- 東京国際空港
- ジェットスター・ジャパン (JJP) ・ 日本航空 (JAL)
かつての定期就航路線
統計
行き先 | 旅客数 | 国内線順位 |
---|---|---|
東京国際空港 | 約114万人 | 上位19位 |
国際線
かつての定期就航路線
また、1980年代にはエチオピア航空の大分空港就航の計画が一時ある程度具体化したが、その後立ち消えとなっている。同社は北京線を日本まで延長したいという意向を有していたが、東京/成田、大阪/伊丹ともに発着枠が満杯で乗り入れが出来ずにいたところ、大分空港への国際線の就航を希望する大分県が代替地として誘致したものであったテンプレート:要出典。
アクセス
バス
リムジンバス
- 大分交通・亀の井バス
- 湯布院高速リムジンバス 由布院駅 - ノンストップ
- 大交北部バス
- 県北快速リムジンバス(ノースライナー) 豊後高田市内・宇佐市内経由中津市内(中津駅・大貞車庫前)方面
- 大分交通・大分バス
- 県南高速リムジンバス(佐臼ライナー) 臼杵・佐伯方面 - 2009年10月1日運行開始。
路線バス
航路(廃止)
- 大分ホーバーフェリー
- かつて大分市や別府市へ向けてのホーバー便があったが、2009年10月末をもって廃止。
脚注
注釈
出典
外部リンク
- 大分空港 - 大分航空ターミナル
- 国交省大阪航空局 大分空港事務所
- 空旅おおいたクラブ - 大分空港利用促進期成会
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 福岡管区内の空港紹介 大分空港出張所 気象庁福岡航空測候所
- ↑ テクノポリス 臨空工業地帯構想の拡大テンプレート:リンク切れ 大分歴史事典
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ テンプレート:Wayback
- ↑ 6.0 6.1 6.2 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite episode
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ ジェットスター・ジャパン、関西国際空港と大分空港を結ぶ国内線を10月9日より運航開始 ジェットスター・ジャパン 2014年7月11日付
- ↑ テンプレート:Cite press release上位50位までを記載
- ↑ 大分・ソウル便が7月から運休 OBS大分放送 2014年6月11日付
- ↑ JAL、大韓航空の日韓線全便でコードシェアを開始 4月22日より Traicy 2014年4月21日付
- ↑ JAL、大韓航空とコードシェア拡大 日本/韓国全路線が対象に FlyTeam 2014年4月21日付
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