マニエリスム
テンプレート:参照方法 マニエリスム (テンプレート:Lang-it-short ; テンプレート:Lang-fr-short ; テンプレート:Lang-en-short) とはルネサンス後期の美術で、イタリアを中心にして見られる傾向を指す言葉である。美術史の区分としては、盛期ルネサンスとバロックの合間にあたる。イタリア語の「マニエラ(maniera:手法・様式)」に由来する言葉である。テンプレート:疑問点範囲
目次
概念
ミケランジェロに代表される盛期ルネサンスの成果は圧倒的であり、芸術は頂点を極め、今や完成されたと考えられた。ミケランジェロの弟子ヴァザーリはミケランジェロの「手法(マニエラ maniera)」を高度の芸術的手法と考え、マニエラを知らない過去の作家に対して、現在の作家が優れていると説いた。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロら盛期ルネサンスの巨匠たちは古典的様式を完成させた。これをヴァザーリは普遍的な美の存在を前提とし、「最も美しいものを繋ぎ合わせて可能な限りの美を備えた一つの人体を作る様式」として、「美しい様式(ベルラ・マニエラ)」と定義づけた。1520年頃から中部イタリアでは前述の巨匠たちの様式の模倣が目的である芸術が出現し、「マニエラ」は芸術作品の主題となった。その結果盛期ルネサンス様式の造形言語の知的再解釈が行われ、盛期ルネサンス様式は極端な強調、歪曲が行われるようになった。一方で古典主義には入れられなかった不合理な諸原理を表現する傾向も表れるようになった[1]。 16世紀中頃からのマニエリスム期には、ミケランジェロの「マニエラ」を変形させて用いた作品が特徴的である。例えばシスティーナ礼拝堂の壁画「最後の審判」に見られるような、曲がりくねり、引き伸ばされた人体表現が多用された。
しかし、17世紀のピエトロ・ベッローリ(「芸術家列伝」の著者)はミケランジェロの「マニエラ」の模倣者たちを非難し、やがて、型にはまった生気の欠けた作品という評価が支配的になった。(「マンネリズム」は蔑称となった。)
20世紀になって美術史家らから、マニエリスムも独立した表現形態であり、抽象的な表現に見るべきものがあるとして再評価されるようになった。そのきっかけとなったのが、1956年にオランダのアムステルダムにて催された『ヨーロッパ・マニエリスムの勝利』である[2]。
特徴
マニエリスムは、盛期ルネサンス芸術の明快で調和の取れた表現とも、バロック芸術の動感あふれる表現とも異なった特有の表現として位置づけることができる。時代背景としてローマ略奪以降、宗教改革の時代の不安な社会情勢が挙げられる。
絵画
- 諸原理の抽象化
- 遠近法、短縮法、明暗法などが抽象化されている[1]。
- 巨匠の個人的様式の誇張的模倣
- 歪められた空間
- 消失点の高低を極端に設置した遠近法、奥行きが閉ざされ平面化された空間などが挙げられる[1]。
- 蛇状体「フィーグラ・セルペンティナータ」
- 曲がりくねり、引き伸ばされた人体表現が使われている[1]。
建築
古典主義では同じ大きさの柱を並べるのが一般的であったが、ヴィニョーラは、古典的形態要素を自由に組み合わせ大胆な平面の建物を設計し、パラディオはファサードの列柱の柱を大小混在させた。盛期ルネサンスまでの芸術作品は教会や広場など公共施設に置かれることが多かったが、マニエリスム期の作品の多くは宮廷などの閉じたサークル内で鑑賞された。また様々な寓意をちりばめた理知的、晦渋な作品が好まれた。
その他
元々は16世紀美術に対する概念であるが、現代美術(シュルレアリストの作品など)にマニエリスムと共通する性格を認め(例:ホッケ「迷宮としての世界」)、広義に用いる場合もある。
マニエリスム期の代表作
絵画
- ドメニコ・ディ・パーチェ・ベッカフーミ Domenico di Pace Beccafumi (1486-1551)「キリストの黄泉下り」
- ポントルモ Pontormo(Jacopo Carucci, 1494-1556)「十字架降下」
- バッキアッカ Bacchiacca (1494-1557)「マグダラのマリア」
- ロッソ・フィオレンティーノ Rosso Fiorentino (1495-1540)「十字架降下」
- ジュリオ・ロマーノ Giulio Romano (1499?-1546)「巨人族の没落」
- ジローラモ・ダ・カルピ Girolamo Da Carpi(1501-1556)「機会と忍耐」
- パルミジャニーノ Parmigianino (1503-1540)「首の長い聖母」
- ブロンズィーノ Agnolo Bronzino (1503-1572)「愛のアレゴリー」
- ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ Daniele da Volterra(1509頃-1566)「キリスト降架」
- テンプレート:仮リンク Francesco de' Rossi (Il Salviati)(1510-1563)「ダヴィデのもとへ行くバテシバ」
- ジョルジョ・ヴァザーリ Giorgio Vasari (1511-1574)「ゲッセマネの祈り」
- ラヴィニア・フォンターナ Lavinia Fontana (1525年-1614年)「聖家族と諸聖人」
- テンプレート:仮リンクFederico Barocci(c.1526-1612)「エジプトへの逃避途上の休息」
- ジュゼッペ・アルチンボルド Giuseppe Arcimboldo (1527-1593) 連作「四季」など
- テンプレート:仮リンクPellegrino Tibaldi(1527-1596) ボローニャのパラッツォ・ポッジ「オデュッセウスの間」壁画
- ツッカリ兄弟
- タッデオ・ツッカリ Taddeo Zuccari (1529-1566) カプラローラのパラッツォ・ファルネーゼの壁画
- フェデリコ・ツッカリ Federico Zuccari (1542/1543頃-1609) ローマの教皇ピウス4世の小邸宅装飾
- ソフォニスバ・アングイッソラ Sofonisba Anguissola (1532-1625)「スペイン王妃エリザベート・ド・ヴァロワの肖像」
- テンプレート:仮リンク Alessandro Allori (1535–1607) 「大公妃ビアンカ・カッペロの肖像」
- エル・グレコ El Greco(1541-1614)「受胎告知」
- バルトロメウス・スプランヘル Bartholomäus(Bartholomeus)Spranger(1546-1611)「ウェヌスとアドニス」
- テンプレート:仮リンク Luca Cambiaso(1550-1620)エル・エスコリアル宮殿壁画
- ヘンドリック・ホルツィウス Hendrik Goltzius(1558-1617)「人類の堕落」
- ヨアヒム・ウテワール Joachim Anthonisz Wtewae(1566‐1638)「アンドロメダを救うペルセウス」
- ミケランジェロ・メリージ(カラヴァッジォ) Michelangelo Merisi da Caravaggio (1573-1610)「聖母の死」「聖マタイの殉教」
- Jacopo Pontormo 004.jpg
ポントルモ「十字架降下」1526-28年頃
- Angelo Bronzino 001.jpg
ブロンズィーノ「愛のアレゴリー」1545年
- El Greco 057.jpg
エル・グレコ「受胎告知」1600-1610年
- Giuseppe Arcimboldo - Summer, 1573.jpg
ジュゼッペ・アンチンボルド「四季(夏)」1573年
彫刻
建築
- ミケランジェロ サン・ロレンツォ教会図書館
- ジュリオ・ロマーノ 自邸
- ジョルジョ・ヴァザーリ ウフィッツィ宮殿(1560-)
- パラッツォ・ファルネーゼ
- Firenze.Loggia.Perseus01.JPG
ベンヴェヌート・チェッリーニ「ペルセウス」1545-1554年
- Florenz Uffizien.jpg
ジョルジョ・ヴァザーリ「ウフィッツィ宮殿」1560年
マニエリスム手法を採用した作品
脚注
関連文献
- アンドレ・シャステル 『ローマ劫掠―一五二七年、聖都の悲劇』 越川倫明ほか訳 筑摩書房、2006年。
- 森洋子・若桑みどり編 『マニエリスム 世界美術大全集 西洋編15』 小学館、1996年。
- 若桑みどり 『マニエリスム芸術論』 ちくま学芸文庫、1994年、初版岩崎美術社(岩崎美術選書)。
- マリオ・プラーツ 『官能の庭 マニエリスム・エムブレム・バロック』 若桑みどりほか訳、ありな書房 1992年。
- グスタフ・ルネ・ホッケ 『迷宮としての世界 マニエリスム美術』 種村季弘・矢川澄子訳
美術出版社、初版1966年、新版1987年→岩波文庫全2巻、2010年12月-11年1月。 - グスタフ・ルネ・ホッケ 『文学におけるマニエリスムI.II 言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術』
種村季弘訳、現代思潮社 1971年、新版1977年。 - ワイリー・サイファー 『ルネサンス様式の四段階』 河村錠一郎監訳、河出書房新社、1976年、新版1987年。
- ヴァルター・フリートレンダー 『マニエリスムとバロックの成立』 斎藤稔訳、 岩崎美術社:美術名著選書、1973年。
- アーノルド・ハウザー 『マニエリスム ルネサンスの危機と近代芸術の始源』
若桑みどり訳、上中下巻.岩崎美術社:美術名著選書、初版1970年。