市田忠義
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テンプレート:日本の国会議員 市田 忠義(いちだ ただよし、1942年12月28日 - )は、日本の政治家。日本共産党所属の参議院議員(3期)。日本共産党副委員長、常任幹部会委員、議員団総会会長、全国革新懇代表世話人、国連難民高等弁務官事務所議員連盟副会長。
日本共産党書記局長を務めた。
来歴
大阪府出身。学歴は滋賀県立八日市高等学校、1967年に立命館大学法学部二部法律学科卒業[1]。大学在学中から龍谷大学図書館で働き、大学卒業後は龍谷大に就職した。龍谷大学教職員組合書記長を経て、1971年(昭和46年)から日本共産党の専従職員となる。1988年(昭和63年)には日本共産党京都府委員会委員長、1994年(平成6年)には党中央委員会常任幹部会委員に選任される。
1998年(平成10年)に、第18回参議院議員通常選挙に日本共産党公認で比例区から出馬して、初当選を果たした。共産・民主・自由3党の協力により、参議院環境委員会では野党が委員長ポストを獲得して、市田が参議院環境委員長に就任した。1999年(平成11年)に、党選挙対策局長に就任した。翌年の2000年(平成12年)に、志位和夫書記局長の委員長への昇格に伴い、後任の書記局長に就任する。2004年(平成16年)の、第20回参議院議員通常選挙で再選される。
2010年(平成22年)、第22回参議院議員通常選挙で3選を果たす。比例区から東京都選挙区に鞍替えし落選した党参議院議員団長の小池晃に代わり、参議院議員団長を兼務。
2013年(平成25年)、参議院議員団長を山下芳生に譲り、議員団総会会長に就任[2]。
2014年(平成26年)、日本共産党第26回大会で副委員長に就任。
人物
- 2001年暮れに大腸がんが見つかって手術を受けた。手術後に抗がん剤治療が必要な状況になった時には党の書記局長を辞任することも覚悟していたという[3]。
- 2003年(平成15年)の、静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[4]。
- 2007年(平成19年)11月8日に、在日本大韓民国民団が主催する「永住外国人地方参政権の早期立法化を!」と訴える全国決起大会に各党代表らとともに参加した。
- 2009年(平成21年)11月2日、たばこ税増税について「庶民増税、大衆課税はよくなく、喫煙権もある」として批判したが、同年11月5日、委員長である志位和夫が「増税になった場合には、たばこ被害の医学研究や予防対策の財源に充てるなど、国民の健康に利用する立場を明確にする必要がある」と述べ、税収の使途次第では引き上げに賛成する考えを示し、市田の発言は事実上修正させられた。
- 阪神タイガースのファンであることを公表。しんぶん赤旗日曜版紙上において吉田義男と対談を行った。
- 松竹映画『男はつらいよ』シリーズのファンである。お気に入り作品は、シリーズ第25作の『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』[5]。
- 内親王愛子の誕生について「どんな家庭でも子どもが産まれるということはおめでたいのではないか」とコメントした。
- 選択的夫婦別姓制度導入に賛成。「(民法改正問題などの)人権問題に対する態度は政党の根本が問われる問題だ。現在の民法は国際的な流れや憲法にも反している」と述べる[6]。
出演
脚注
関連項目
- 来賓経験
外部リンク
- 市田忠義ホームページ - 公式サイト
- ↑ 庶民の思いわがことに(2009年12月6日)
- ↑ 日本共産党国会議員団 役員体制と委員会担当 しんぶん赤旗 2013年2月25日付
- ↑ 闘病記|がんサポート 術後後遺症の苦しみを、笑いで包みながら語る庶民派政治家
- ↑ 空港はいらない静岡県民の会 - 国会議員署名これまでと今後の展望。(2009年3月7日時点のアーカイブ)
- ↑ サンデー毎日 2008年7月20日号。
- ↑ 「しんぶん赤旗」2010年11月11日(木)