喜志駅
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テンプレート:出典の明記 テンプレート:駅情報 喜志駅(きしえき)は、大阪府富田林市喜志町三丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)長野線の駅。
富田林市内の駅では最も利用客が多い(富田林市の金剛ニュータウン住民が主に利用している南海高野線金剛駅は大阪狭山市の駅である)。
大阪芸術大学、太成学院大学、上宮太子中学校・高等学校などの学校の最寄り駅であり、朝夕はこれらの学校のバスが駅前に発着する。これに加えて阪南ネオポリスからの路線バスも発着する。
駅構造
相対式2面2線の地上駅で、駅舎は地下にある。改札口は1か所のみ。地下化される前は2面3線であった。
のりば
1 | テンプレート:Color長野線(下り) | 河内長野方面 |
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2 | テンプレート:Color長野線(上り) | 古市・大阪阿部野橋方面 |
利用状況
- 2010年11月9日の調査結果によると、1日の乗降人員は18,072人[1]。
- 近鉄の全調査対象駅(287駅)中、37位。
- 長野線の駅(8駅、他線接続駅含む)の中では、2位。
- 大阪府内の近鉄の駅(61駅)の中では、16位。
- 2008年11月18日の調査では1日の乗降人員は19,779人、2005年11月8日の調査では19,009人。
駅周辺
少し離れた地域は住宅街が広がっている。
- 富田林市民会館
- 国道170号
- 喜志郵便局
- 叡福寺
- 通法寺
- 西方院
- 大阪府立近つ飛鳥博物館
学校
バス
- 東口発
- 西口発
歴史
- 1898年(明治31年)4月14日 - 河陽鉄道古市 - 富田林間開通時に喜志駅として開業。
- 1899年(明治32年)5月11日 - 河陽鉄道の路線を河南鉄道が継承。同社の駅となる。
- 1919年(大正8年)
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 喜志駅に改称[4]。
- 1943年(昭和18年)2月1日 - 関西急行鉄道が大阪鉄道を合併。関急の駅となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 戦時統合により関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身。後に再独立)と合併。近畿日本鉄道長野線の駅となる。
- 1957年(昭和32年)10月18日 - 当駅から古市駅まで複線化。
- 1987年(昭和62年)10月25日 - 当駅から富田林駅まで複線化。
- 2003年(平成15年)9月13日 - 当駅 - 古市駅間の南阪奈道路(翌2004年3月開通)との交差箇所が高架化。
- 2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPa使用開始。
隣の駅
- 近畿日本鉄道
- 長野線
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ 近畿日本鉄道 駅別乗降人員
- ↑ 「軽便鉄道停車場名改称」『官報』1919年1月18日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ↑ 「軽便鉄道停車場名改称」『官報』1919年1月31日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ↑ 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 8号 関西1』新潮社、2008年、p.27