ワイドショー・プラスα
テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『ワイドショー・プラスα』(ワイドショー・プラスアルファー)は、1972年1月から1982年12月まで朝日放送(ABCテレビ)で平日午後に放送された主婦向けのワイドショーである。
概要
開始当初の放送時間は午後2時15分からの45分番組で、それから3か月後に午後2時開始となる。司会に乾浩明アナウンサーを迎え、主婦層に向けた情報なら何でも、夫婦や暮らしの問題、また視聴者層に密着した社会問題などを、取材映像、ゲストや専門家の解説などで展開。これをスタジオでわかりやすく、かつ親しみ易く解説した。
番組ではスタジオを開放し、また司会である乾アナウンサーが自由奔放に地の関西弁を使い、スタジオの舞台裏までも見せるざっくばらんな司会ぶりを発揮。また番組初期に脇を固めていた日下部吉彦(朝日放送解説委員)は、後に夕方のニュースワイド番組『たいむ6』のメインキャスターに就任した。
『べかこの自遊時間』最終回まで同時ネットを続けた地域は、広島県域(中国放送→広島ホームテレビ)だった。
番組開始時は関西ローカルだったが、西日本各局にも順次ネットされた(1975年の腸捻転解消に伴い、TBS系列からNET→テレビ朝日系列へ変更)。なお、東日本エリアにおいても静岡県や長野県でネットされていた時期がある。各局の主なネット状況は下記の通り。
- 静岡朝日テレビ(当時:静岡県民放送[愛称:けんみんテレビ]。『プラスα』途中までネット、その後テレビ朝日制作『こんにちは2時』ネットに変更)
- 名古屋テレビ(時折朝日放送・名古屋テレビ共同制作で名古屋テレビのスタジオから放送することもあった。『晴れ時々たかじん』までネット、その後『こんにちは2時』ネットに変更。なお、腸捻転時代は名古屋テレビは『奥さん!2時です』をネット。CBCテレビ(当時:中部日本放送)は『プラスα』をネットしていなかった)
- 山陽放送→瀬戸内海放送(『ほっとワイド』までネット、その後再放送枠に変更)
- 中国放送(それまで放送していたMBS『奥さん!2時です』は広島ホームテレビに移行も腸捻転解消より早く打ち切り)→広島ホームテレビ
- RKB毎日放送→九州朝日放送(『晴れ時々たかじん』までネット。『こんな時α』では、KBCの奥田智子アナウンサーが木曜日のアシスタントを務めた)
など西日本を中心にしたテレビ朝日系列局(1975年3月以前はTBS系列局)にネットされていた時期もあった他、1975年頃、長野放送(フジテレビ系列だが、1975年3月31日から1980年9月30日まではABCの番組もネットしていた)やテレビ長崎(当時日本テレビ・フジテレビ系列)にネットされていたことがあった。
なお毎年8月に全国高校野球選手権大会中継を放送する時は、上記ネット局へは裏送り措置がとられた。ただし、決勝戦当日は開催有無に関係なく休止(1日余分に休止した場合もあり)。
稲川淳二の怪談『生き人形』の人形が出演した事があり、実際『生き人形』の話の中でも話されている。