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中邑 真輔(なかむら しんすけ、男性、1980年(昭和55年)2月24日 - )は、日本プロレスラー総合格闘家。画家。京都府峰山町(現・京丹後市)出身。新日本プロレス(以下新日本)所属。エーケー・グローバル・エージェントとマネジメント契約。京都府立峰山高等学校青山学院大学卒業。

来歴

青山学院大学ではレスリング部と美術部に同時に在籍し、レスリング部で主将を務めた。並行して和術慧舟會RJWでも1期生として練習を行っていた[1][2]。画家としても展覧会に出展している。

2002年、新日本プロレスに入団(同期は山本尚史田口隆祐後藤洋央紀長尾浩志)。同年8月29日、日本武道館における安田忠夫戦でデビュー、セコンドには当時引退をして中邑を指導していた木戸修が付いた。レスリングでの実績とデビュー前に総合格闘技のトレーニングを行っていたことから、当時の新日本の格闘技路線の申し子として期待を受け、デビュー戦後はシリーズには帯同せずLA道場で総合格闘技のトレーニングを重ねるという新人としては異例の待遇を受けた。

12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2002におけるダニエル・グレイシー戦で総合格闘技に初参戦。2R2分14秒、腕ひしぎ逆十字固めで敗北。

2003年 - 2005年

2003年5月2日、新日本「アルティメット・クラッシュ」大会でヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキアと総合格闘技ルールで対戦し勝利。8月にはデビュー1年にも満たないキャリアでG1 CLIMAXへ初出場。安田、柴田勝頼から勝利を収める。

12月9日、天山広吉の所持するIWGPヘビー級王座に初挑戦。逆十字固めで天山からタップを奪いデビュー最速、最年少での同王座戴冠を果たす。

12月31日、K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!アレクセイ・イグナショフと対戦。3Rでイグナショフの膝蹴りを受けダウンし、すぐに立ち上がるもレフェリーの平直行が即座にTKOを宣告し敗北を喫するも、中邑側からの抗議によりジャッジを見直されて無効試合となった。

2004年1月4日、自身の持つIWGPヘビー級王座とNWFヘビー級王座の統一戦と銘打たれた試合で高山善廣と対戦。チキンウィングアームロックで高山からギブアップを奪い、IWGP王座を防衛、並びにNWFヘビー級王座に戴冠し二冠王となるも、後日NWFを封印。その後、精密検査の為欠場しIWGP王座も返上。

5月22日、K-1 ROMANEXでイグナショフと再戦し、2R1分51秒ギロチンチョークで勝利。以降、総合格闘技のリングには上がらずプロレス業に専念する。

この時期から同じく次期エース候補である棚橋弘至、柴田勝頼と共に「新闘魂三銃士」と称されたが、3人それぞれこのプランに前向きではなく、更に翌年1月31日付で柴田が新日本と契約更新せず退団し、団体の新三銃士構想は立ち消えとなる。

11月、大阪ドーム大会で突然のカード変更により、中西学と組んで藤田和之ケンドー・カシン組と対戦したがピンフォール負け。試合後にカード変更を打診したアントニオ猪木から鉄拳制裁を受けた。

12月、棚橋と組み、IWGPタッグ王者決定戦にて佐々木健介鈴木みのる組と対戦。棚橋が鈴木からドラゴン・スープレックス・ホールドでピンフォール勝ちを収め、第47代IWGPタッグ王座に就き、翌年10月に陥落するまでに4度の防衛を果たした。

2005年1月4日、棚橋を破ってIWGP U-30無差別級王座を奪取し、ベルト封印を宣言した。

3月12日に全日本プロレスに流出したIWGPヘビー級王座を奪還する為全日本のリングに単身乗り込み小島聡に対戦を直訴。26日にタイトルマッチが組まれるも60分時間切れ引き分けで王座奪還は失敗に終わる。

2006年 - 2008年

2006年1月4日、IWGPヘビー級王者ブロック・レスナーに挑戦したが惨敗。

3月、会社は無期限の海外遠征に出すことを決意。この遠征は元IWGP王者の肩書が団体・対戦相手を制限するため、覆面レスラーとして行うと発表された。かつては海外遠征からの帰国後、王者となるのが日本プロレス界におけるレスラーの格上げの常套手段であったが、中邑の場合はこの手順を逆転させた稀な例である。しかし、遠征先では試合を一切行なわずに新日本ロス道場で汗を流し、9月24日に凱旋帰国した。

10月、蝶野正洋とタッグを組み、ベビーフェイスからヒールへの路線変更を図る。また、半年間の海外修行でビルドアップされた肉体に合わせ、コスチュームもロングタイツからショートタイツに変更。長州力中西学組相手に凱旋試合を行い、新技ランドスライドで長州から3カウントを奪った。同月に行われたG1 TAG LEAGUEでは蝶野とタッグを組んでエントリー。決勝トーナメントにてジャイアント・バーナードトラヴィス・トムコ組を撃破し、決勝戦で棚橋弘至、金本浩二組の王者タッグを破り優勝。試合後に蝶野、バーナード、トムコと共に蝶野政権を築くと宣言。

12月10日に帰国後初となるIWGP王座に挑戦。棚橋と対戦するも、ドラゴン・スープレックス・ホールドでピンフォール負けを喫した。

2007年1月4日、川田利明と対決するも顔面へのミドルキックを喰らい敗戦。8月にはG1 CLIMAXに出場。決勝トーナメントまでコマを進めるも12日、準決勝で永田裕志に敗れる。この試合中に雪崩式エクスプロイダーを受けた際、左肩側から不自然な形でマット上に落下。後日、肩鎖関節靭帯断裂および脱臼で3か月間の絶対安静と診断された。26日よりC.T.U解散に伴いミラノコレクションA.T.等と共闘を選択。後日に新ユニットRISEを結成した。

9月1日に結婚披露宴を行なった[3]

11月11日にジャイアント・バーナードをパートナーに復帰戦を行い、永田裕志中西学組と対戦し勝利すると、メインイベントのIWGPヘビー級選手権試合終了後に「次はこの俺と闘え」とマイクアピール。直後に同じく挑戦を表明してきた真壁刀義と12月9日の挑戦者決定戦で対決し勝利した。

2008年1月4日、棚橋弘至を破り第48代IWGPヘビー級王者となった。試合後に3代目IWGPヘビー級王座を所持するカート・アングルとの対戦を要求。2月17日にベルト統一戦を行い腕ひしぎ逆十字固めで勝利し3代目ベルトを奪還したが、同ベルトに対する世間のイメージが悪くなってしまった為封印。新たに4代目のIWGPベルトが制作される事になった[4]。それに伴い「借りていた」かたちになっていた2代目IWGPベルトを、3月2日、ZEROONE-MAX後楽園大会に参戦時に橋本大地に手渡し橋本家へ返却した[5]

3月20日、4代目ベルトを掲げた初の防衛戦で棚橋から勝利を収めるも、4月27日に全日本プロレス武藤敬司に敗れ、IWGPヘビー級王座から陥落しベルトの他団体に流出を許してしまう。

9月5日に後藤洋央紀と組んで真壁刀義矢野通の持つIWGPタッグ王座に挑戦。G・B・Hのセコンド乱入とジャイアント・バーナードリック・フーラーによる裏切り行為により不利な状況を強いられ敗戦。試合後に救援に駆け付けた棚橋と握手を交わし本隊と共闘をアピールした。10月13日にリマッチ権を行使し武藤とのタイトルマッチに臨むも、フランケンシュタイナーでピンフォール負けを喫した。

12月6日の試合後にプロレスリング・ノア対抗戦に出陣することを宣言し、対戦相手に三沢光晴を指名した。

2009年 - 2011年

2009年1月4日東京ドーム大会で後藤洋央紀と組み、NOAHの三沢光晴、杉浦貴組と対戦。杉浦から腕ひしぎ十字固めでタップを奪い勝利。以降、ホーム・アウェイ問わず両団体での対抗戦で継続されていった。2月15日に王座を奪回した棚橋弘至から指名を受ける形でIWGPに挑戦するも、ハイフライフローでピンフォール負けを喫する。

3月1日にNOAHの日本武道館大会にミラノコレクションA.T.と共に参戦し杉浦貴、潮崎豪組と対戦。ミラノが潮崎にピンフォールを奪われ敗北。

4月5日、真壁刀義とのシングルマッチでレフェリー不在の中、矢野通が乱入し真壁に椅子で殴打。このアシストを経て真壁に勝利し、後日に矢野ら旧G・B・Hメンバーと共にCHAOSを結成。コスチュームも黒のロングタイツに変更した。CHAOSの他のメンバーのようなあからさまな反則やヒール行為などは行っていないが、ファイトスタイルが今まで以上に殺伐としたものになった。

8月に行われたG1 CLIMAXでは全勝し決勝トーナメントで一番乗りを挙げるも決勝で真壁に敗れ準優勝。G1終了後に、棚橋が怪我によりIWGP王座を返上。それにより9月27日、真壁とのIWGPヘビー級王者決定戦が急遽決定する。この試合に勝利し、第53代IWGPヘビー級王者に載冠。また同試合では最年少で同王座を獲得したときのテーマ曲Moving Cityで入場した。その後、大谷晋二郎、棚橋弘至、永田裕志を相手に防衛に成功する。

2010年1月4日、高山善廣と6年振りに対戦。ボマイェでピンフォール勝ちを収め4度目の防衛に成功した。その後も中西学、後藤洋央紀からもベルトを防衛するも、5月3日に真壁刀義との防衛戦に敗戦。この試合中真壁の雪崩式パワースラムを受けた際に、古傷である左肩を負傷。その後の興業でもテーピングを張って出場するが、ドクターストップがかかり治療に専念するため欠場に入る。6月19日、ダニエル・ピューダー戦で復帰戦を行い勝利。7月19日にリマッチ権を使い真壁とのタイトルマッチに臨むも敗北。

8月のG1 CLIMAXに出場し最終戦で潮崎豪と対戦するも時間切れ引き分けに終わり予選落ち。22日にNOAHに乗り込み再戦するも変形ゴーフラッシャーで敗戦。

10月、小島聡が真壁からIWGPベルトを奪取した際、次期挑戦者として逆指名される。のらりくらりと指名を拒み続けたが、頑なに嘆願する小島に結局会社の同意のもとでそれを承諾した。12月11日にIWGP戦で小島に敗れた。

2011年1月4日のレッスルキングダムVにて、昨年8月の屈辱を晴らすために潮崎と対戦し、勝利。対戦成績を五分に戻した。3月に開催されたNEW JAPAN CUPでは決勝にまで進出したが、永田裕志に敗れ準優勝。

4月、永田との防衛戦を終えた直後の棚橋のマイクに対して「うっとうしくねえだろ」[6]と突っかかる形で返答し、IWGP王者挑戦をアピール。公約通りに5月3日の福岡大会で挑戦するも敗北。

6月に短期海外武者修行に単身メキシコに渡り、7月3日に凱旋。CHAOS結成以来初めてコスチュームの黒タイツを赤いラインのある物に変える。

8月のG1 CLIMAXでは、自身の出場ブロック(Bブロック)で、最終戦までに勝ち点が5人も並ぶという混戦状態に陥るも、最終戦の対戦相手であり同点で並んでいた鈴木みのるとの事実上の決勝進出決定戦に勝利。決勝戦では内藤哲也を破り初めて優勝した。

9月の神戸ワールド記念ホールで行われた「星野勘太郎追悼大会」で、IWGPヘビー級王者棚橋に挑むも敗れる。11月12日の試合終了後に勝利を挙げた内藤に突っかかり、内藤もこれに応戦しG1でのリベンジマッチを要求。12月4日にシングルマッチが組まれ、内藤を返り討ちにした。

2012年 - 現在

2012年7月22日、KIZUNA ROAD最終戦にて、後藤洋央紀が保持するIWGPインターコンチネンタル王座(以降IC)に挑戦。勝利を収め、第4代王者に輝いたが、試合後のコメントで同王座のデザインに対して酷評し、会社に対して作り直しを要求する。8月26日、アメリカカリフォルニア州に拠点を置くSWFに参戦。同団体で新たに製作されたIC王座を賭けて、オリバー・ジョンと対戦し、初防衛に成功した。以降、後藤洋央紀カール・アンダーソンを相手に防衛に成功を果たす。

2013年1月4日、レッスルキングダム7のダブルメインイベントに登場し、IC王座選手権試合で桜庭和志を破り、4度目の防衛に成功。以降、CMLLラ・ソンブラ鈴木軍ランス・アーチャーデイビーボーイ・スミスJr.シェルトン・X・ベンジャミンを相手に防衛を積み重ねていく。5月31日のCMLL遠征時に行われたタイトルマッチでソンブラに敗れ、一度は王座を手放すも、7月20日のKIZUNA ROAD 2013最終戦で再びIC王座を奪取し、第6代王者に返り咲いた。

2014年1月4日、レッスルキングダム8で棚橋と対戦して敗北し、IC王座から陥落。2月9日のTHE NEW BEGINNING in HIROSHIMAでリマッチを敢行したが、ここでも敗北。

3月、NEW JAPAN CAPに出場し、決勝戦でバッドラック・ファレを下して初優勝。今大会の優勝者にはIWGPヘビー級王座とIWGPIC王座のいずれかに挑戦できる権利が与えられ、中邑はICを選択する。4月6日、INVASION ATTACKで棚橋と再戦。この試合に勝利を収め、第8代王者に返り咲いた。

2014年5月25日、12年前に総合格闘技ルールで敗れたグレイシー一族ダニエル・グレイシーにIC初防衛戦で勝利を収めた。しかし6月21日、バッドラック・ファレに敗れIC王座から陥落した[7]。 2014年 8月10日 G-1 CLIMAX 24 決勝戦 西武ドーム大会でのメインイベントにて同門CHAOSのオカダカズチカと対戦したが敗北を喫し、G-1 24は準優勝で終わった。

芸術家として

中邑はペインティングを得意としている。学生時代からレスリング部と美術部を掛け持ち、双方で活躍してきた。岡本太郎にインスパイアされWEB上で彼の描く「プロレスラー」という作品が公開されている。そして自ら描いた100点を越える絵画をもって、以下の絵画展を主催した。

『TOKYO WRESTLING ARTS』中邑真輔 vs ロジャー・ミカサ 現代美術展
2008年(平成20年)12月12日 - 18日
東京・青山SPACE INTART GALLERY

その他

今でこそ総合格闘技色の強いスタイルであるが、学生時代はインディーから女子プロレスまで追いかける生粋のプロレスマニアであった。LLPWの旗揚げ当時のメンバーを暗唱できるなど、知識も豊富である。2008年2月に放送されたFIGHTING TV サムライの『P-1選手権 第1回プロレスクイズ王決定戦』では新日本チームの一員として出場し(メンバーは他に海野宏之週刊プロレス記者1名)、その豊富な知識量の一端を披露してチームの優勝に貢献した。

高校の先輩に野村克也がいる。

なおインタビューにおいて、ファン時代にスコーピオのファンサービスに感銘を受け、プロになった現在、彼のファンサービスの良さを目標にしていると語っている。

他にも、テレビにも度々出演しており、『恋するハニカミ!』(相手は「当時は年下」の夏川純)や『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』などのバラエティ番組マクドナルド資生堂unoのCMに出演した。

得意技

元々は、関節技を主体とした総合格闘技色が強かった。その後、肉体改造を行って身体を大きくしパワーファイトも行うようになる。CHAOS結成後からはキックや膝蹴りなどの打撃技と大きな受け身を主体とし、加えて近年では入場時や試合中に随所でクネクネと体を脱力させるという独自のムーブで会場を見せている。

フィニッシュ・ホールド

ボマイェテンプレート:Lang-sw
現在のフィニッシュ・ホールド。 全身をエビ反らせるような独特のフォームで放つ顔面への膝蹴り。CHAOS結成後から使い始めた。
名称はリンガラ語で「kill you」の意で、アントニオ猪木の入場テーマ曲「炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜」中の台詞「ボンバイエ」と同義。
下記にあるようにナックルパートの後に移行したり、後頭部へ放つこともある。当初は右足で放っていたが半月板を断裂して以降、左足で繰り出す事が主要となった。本人曰く、この技は高山善廣の必殺技であるニー・リフトを意識して使い始めたという。
この技の発展形として、コーナー二段目から飛び上がって放つ「ジャンピング式」、トップロープに乗りその反動を生かしてから放つ「スワンダイブ式」、コーナーヘうつ伏せに張り付けた相手に助走をつけて見舞う「串刺し式」、尻餅をついた相手に対して首元へ滑り込ませるように当てる「スライディング式」等、派生技もいくつか存在する。

打撃技

ナックルパート
主に打撃合戦中の際、不意に相手の喉元へ食い込ませ、上記のボマイェに移行することもある。トップロープ等から飛んで来た相手を迎撃する際に使用することもある。
ゼロ戦キック
助走をつけてジャンプし、脛の外側の部分で相手の顔面を蹴る技。レッグ・ラリアットともいえる。主にカウンターで使用する。
キック
ローキックミドルキックハイキックそれぞれを使う。CHAOS結成後は、主にこの技を使って試合を組み立てる。
ライダーキック
顔面への跳び蹴り。キングオブプロレスリングでは「ジャンピングカラテキック」と表記されている。
虎尾(ヒールキック・スピンキック)
ハイキックからのフェイントでよく使用するカンフー由来の技[8]望月成晃のイリュージョンと同型。
膝蹴り
ダウンした相手に連続で叩きこんだり、フロントネックロックの状態から相手の腹部目掛けて叩きこんだり、相手の飛び技を迎撃したり等、バリエーションが非常に多い。
バッククラッカー
背後から相手の顎を掴み、そこから自分の両膝を相手の背中にあてがうようにして飛び付きながら相手引き倒す変形のバックブリーカー
カリートの得意技で中邑の場合、膝を使った攻撃のバリエーションの一部として使用している。
コード・ブレイカー
自分の両膝を使ってのフェイスバスター。首を掴んでから仕掛けたりする他、相手に片足を掴まれたときにも使用する。
上記のバッククラッカー同様、膝攻撃の一種として使用している。

投げ技

ランドスライド
肉体改造後のフィニッシュ・ホールド。ファイヤーマンズキャリーで相手をかつぎ、ファルコンアローのような形でシットダウンしながら前方へホイップし相手の後頭部から背中にかけてマットに叩き付ける。ハリケーン・ドライバーと同型の技。大一番では雪崩式で披露することもあったが、ボマイェを取得してからはほとんど使用していない。
2013年1月4日のレッスルキングダム7の舞台で対戦した桜庭和志との試合で久々に解禁した。
変形ランドスライド
ファイヤーマンズキャリーで担ぎ上げる所までは上記のランドスライドと同じ。相手を前方へホイップする所からが相違点で、こちらの技の場合は、自分の左膝を立てその膝に相手の頭部を叩きつけるようにホイップする。最終的には後藤洋央紀の「牛殺し」と同型になる。2011年のG1決勝戦(対内藤哲也戦)で初披露。正式名称について本人からの言及は無く不明。ただし、公式サイト [1]週刊プロレス2011年8月31日号[2]の記事で『変形ランドスライド』と記載されていた。
ダブルアーム式パイルドライバー
ダブルアームで抱え上げ、そのまま自身が尻から着地し相手の頭をマットに落下させる危険技。2008年1月4日の棚橋戦で初公開。フィニッシュ・ホールドとして使っていたこともある。
リバースパワースラム
中邑のオリジナル技。相手を背後から抱え上げ、パワースラム状に投げ落す技。綺麗に決まれば相手はパワースラムと表裏逆に落ちることとなり、顔面や胸部等をマットへ打ち付けるのだが、タイミングや角度によっては相手が頭部や肩から先に落ちている場合もあり、危険な技とも言える。雪崩式も存在するが前述のように通常でも危険技に匹敵するため、あまり使用しない。
おからボム
相手の蹴り足を片腕でキャッチし、もう片方の腕を相手の股に潜り込ませ、そのまま抱え上げてライガーボムで落とす。蹴りのディフェンス用に効果を発揮する技。イグチボムとほぼ同形技。
タイガー・スープレックス
新三銃士と呼ばれ始めた頃に対棚橋戦で、棚橋のドラゴン・スープレックスに対抗するように使用し始めた。基本的に大一番でしか使用しない。クラッチは三沢光晴式。
ジャーマン・スープレックス
デビュー当時から現在も使い続けている技。高山善廣や吉江豊などの巨漢レスラーも投げたことがあるが、使用頻度は少なめ。

関節技

シャイニング・トライアングル
肉体改造前のフィニッシュ・ホールド。相手が片膝を立てて屈んでいる状態で、相手の片膝を踏み切って相手の上体に跳びつき素早く三角絞めを極める。現在はほとんど使用していない。
腕ひしぎ十字固め
デビュー時から愛用している必殺技。特に相手のラリアット等を切り返しての跳びつき腕ひしぎ十字固めは非常に素早くフィニッシュとして絶大な効果を発揮している。
スタンド式腕ひしぎ十字固め
シャイニング・トライアングルを決め、そこから首に巻きつけた足を外して腕ひしぎ十字固めに移行する。この技で、天山広吉を破り、デビューから史上最速最年少でIWGPヘビー級王座を獲得した。
スリーパーホールド
スタンディング式のこの技から前述のリバースパワースラムへ移行するパターンが多い。スタンディング式からそのまま絞め続け胴締め式等に移行する場合もある。
フロントネックロック
フロントチョークと同様の体勢から首を絞めるのではなく、相手の首を曲げることにより、頸椎へのダメージを狙う首関節技。2003年1月の、東京ドーム大会で、安田忠夫からギブアップを奪った技で、デビュー直後からシャイニング・トライアングルを編み出すまでの間は、腕ひしぎ逆十字固めと並ぶ必殺技であった。CHAOS結成頃から使用頻度が再び増え、この技でギブアップを奪うことは殆どないが、相手のスタミナを削ぐ技としても使われる。

飛び技

ムーンサルトプレス
2008年のIWGP王座獲得以降、一時的に使用した技。基本的に2回連続に放っていた。また、実況がよくムーンサルトとエルニーニョを間違ってしまうことがあった。
エルニーニョ
片足をセカンドロープに乗せた状態から膝を当てるムーンサルトプレス。技名の由来は2004年のG1 CLIMAXに向け、「エルニーニョ現象を起こす」とマスコミに向けて発したコメント。この技も今となっては見られなくなった。
羅骭下(らかんか)
コーナーから放つ相手の顔面に向けてのニー・ドロップ。2004年のG1 CLIMAXにおける永田戦で初公開。なお、技名は漢方薬の原料であるラカンカ(羅漢果)をもじったものとされる(「骭」は「脛(の骨)」の意)。相手の頭部をうつ伏せ状態でリングのエプロンに突き出るように置き、自らはエプロンから場外にダイブする形で決める「断崖式」も存在。

獲得タイトル

新日本プロレス
23歳8ヶ月という若さで戴冠。最年少戴冠記録保持者で未だにこの記録は破られていない。
パートナーは蝶野正洋。
NWF
  • NWFヘビー級王座(第21代)
戴冠後、封印。
プロレス大賞

入場テーマ曲

  • Subconscious entry version
2004年5月 - 2009年4月、2009年8月 - 現在まで使用。
2009年5月 - 7月まで使用。現在は「CHAOSのテーマ曲」として使用されている。
  • Moving City
デビュー当時のテーマ曲。2002年 - 2004年4月まで使用。以降、使用されることはなかったが、2009年9月27日のIWGP戦で再び使用した。

総合格闘技

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関連書籍

  • スポーツアルバムNo.49『中邑真輔』2014年6月(「週刊プロレス」編集部・編 ベースボールマガジン社) ISBN 978-4-583-62172-2

脚注

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関連項目

外部リンク

テンプレート:新日本プロレス

テンプレート:IWGPヘビー級王座
  1. RJW WK NETWORK
  2. 中邑真輔と岡見勇信の対談実現、岡見が新日本参戦の夢を語る!! kamipro.com 2009年11月16日
  3. 祝!中邑真輔選手結婚! 新日本プロレス公式サイト 2007年9月1日
  4. 3代目IWGPベルトは、ブロック・レスナーによって流出後、カート・アングルへの無断譲渡される等「負のイメージ」が強がったため
  5. 3代目IWGPベルトが流出中、新日本プロレスは、2代目IWGPベルトを仮のベルトとして使用していた。2代目ベルトは、橋本真也が急逝した2005年に新日本から橋本家に寄贈された形になっていた
  6. かつて中邑がIWGPヘビー級王座についた際、棚橋がしつこく挑戦をアピールした時に棚橋が「うっとうしいだろ」と、マイクアピールしたパターンを坂手に取る形になる
  7. テンプレート:Cite web
  8. テンプレート:Cite web