「土肥洋一」の版間の差分
(相違点なし)
|
2014年8月23日 (土) 14:59時点における最新版
テンプレート:サッカー選手 土肥 洋一(どい よういち、1973年7月25日 - )は熊本県出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。
目次
来歴
中学校1年生の時にサッカーを始めた[1]。1992年、熊本県立大津高等学校卒業後の日本サッカーリーグが内定していたが、足の骨折により契約が流れた[1]。
日立 / 柏レイソル
プロ選手への夢を諦めきれず、日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の番組内企画「GENKI FC」(コーチはセルジオ越後)に出演[2][3]。Jリーグクラブへのアピールを行い、ジャパンフットボールリーグ・日立製作所本社サッカー部(後の柏レイソル) との契約を果たした。
加藤竜二らとのポジション争いを経て正GKの地位を掴み、1996年にはアトランタ五輪予備登録メンバー選出や、JOMOカップ出場など活躍を見せたが、1998年以降は南雄太[3]や吉田宗弘の台頭を受け、ベンチ入りメンバーからも外れがちとなっていた[4][5]。
FC東京
2000年には出場機会を求め[3]、この年よりJ1に昇格したFC東京に完全移籍で加入。大熊清監督の標榜する全員守備の要として、開幕からレギュラーポジションを維持。課題のポジショニングや状況判断を向上させ、安定感を高めた[6]。
2002年に原博実監督が就任してからもその信頼は揺るがず、2004年2nd第11節対広島戦で、146試合連続フルタイム出場というJリーグ新記録を達成[7](以前の記録は元清水GK真田雅則の145試合)[8]。この年のJリーグベストイレブンにも選出された[9][10]。また、同年のナビスコカップ決勝では、退場者を出す不利な状況の中、浦和の猛攻に耐え[5]、優勝に貢献すると共に自らもMVPを獲得[11][10]。
その後は、日本代表との並行によるコンディション調整に苦心しながらも[10][5]、シュートへの鋭い反応と正確なキャッチング、守備陣を動かすコーチングを武器に[12]正GKとして出場を続け、2006年第33節対浦和戦の不出場に至るまで、2000年開幕戦から延べ216試合連続フルタイム出場というJリーグ新記録を打ち立てた[12][2]。2007年は塩田仁史にレギュラーを奪われるようになり、同年末に退団。試合での好守だけでなく、主将を任され[1]精神的にもチームを牽引する存在だった[13]。
日本代表
2003年、J1ファーストステージにおいてFC東京がリーグ最小失点を記録したことで評価を高め[14]、同年6月に日本代表としてコンフェデレーションズカップに帯同[15][16]。
以後も川口能活、楢崎正剛に次ぐ第3GKの立場ながら[17]メンバー入りを続け、2004年2月のキリンチャレンジカップ・マレーシア戦で国際Aマッチ初出場を果たした[14]。2005年の東アジア選手権第3戦の韓国戦ではスーパーセーブを連発し[18]、日本の勝利に貢献した。
2006年ドイツワールドカップにも選出され、試合出場こそ無かったが最年長選手としてチームを盛り立て[1]、対ブラジル戦のハーフタイムでは出場していた川口を励ます様子が見られた。日本代表の紅白戦では攻撃的なポジションを任されることが多く、得点を挙げることもあった。
東京ヴェルディ
2008年、福西崇史と共に、J1へ復帰した同じ東京のライバル・東京ヴェルディ1969へと完全移籍[19][20]。移籍後は高木義成を抑えて正GKの座を獲得し、リーグ戦全試合出場と奮闘したがチームは17位となりJ2降格。クラブの経営悪化により[21][22]一度は契約非更新が発表されたが[23]、減俸での再オファーに応じ[24][22]、翌2009年の1月に再契約が発表された[25]。J2降格後も正GKの座を守り、高木を名古屋移籍へと追いやった。
2011年5月4日、古巣FC東京との「東京ダービー」試合中に負傷交代。左アキレス腱断裂により全治6ヶ月と診断され[26]離脱。
持ち前の闘志は衰えず[2]、2012年7月15日、第24節鳥取戦で1年2ヶ月ぶりに復帰し、柴崎貴広からポジションを奪取。至近距離でのシュートセーブの鋭さを見せ、健在ぶりを発揮していたが[27]、この年限りで戦力外となり[28]、シーズン終了後、契約満了により退団[29]。
現役引退以後
2013年1月、現役引退と東京Vの育成GKコーチ就任が発表された[30]。同年末、Jリーグ功労選手賞受賞[31]。2014年、JFA公認A級ジェネラルライセンス取得[32]。
また、トレーナー木場克己と共にアスリートのコンディション調整治療やトレーニング指導などを行う株式会社アスリートウェーブの経営者としても活動している。
所属クラブ
- ユース
- プロ
- 1992年 - 1999年 テンプレート:Flagicon 日立製作所本社サッカー部 / 日立FC柏レイソル / 柏レイソル
- 2000年 - 2007年 テンプレート:Flagicon FC東京
- 2008年 - 2012年 テンプレート:Flagicon 東京ヴェルディ
個人成績
テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1992||日立||||rowspan="2"|旧JFL1部||0||0||colspan="2"|-|||||||| |- |1993||rowspan="7"|柏||rowspan="2"|31|||0||0||colspan="2"|-||0||0||0||0 |- |1994||旧JFL||15||0||1||0||0||0||16||0 |- |1995||rowspan=2|-||rowspan="4"|J||17||0||colspan="2"|-||2||0||19||0 |- |1996||30||0||15||0||2||0||47||0 |- |1997||rowspan="3"|1||19||0||8||0||3||0||30||0 |- |1998||8||0||0||0||1||0||9||0 |- |1999||rowspan="10"|J1||3||0||0||0||0||0||3||0 |- |2000||rowspan="8"|FC東京||20||30||0||2||0||0||0||32||0 |- |2001||rowspan="12"|1||30||0||3||0||1||0||34||0 |- |2002||30||0||7||0||1||0||38||0 |- |2003||30||0||6||0||2||0||38||0 |- |2004||30||0||1||0||3||0||34||0 |- |2005||34||0||0||0||2||0||36||0 |- |2006||32||0||2||0||0||0||34||0 |- |2007||14||0||4||0||0||0||18||0 |- |2008||rowspan="5"|東京V||34||0||4||0||0||0||38||0 |- |2009||rowspan="4"|J2||43||0||colspan="2"|-||1||0||44||0 |- |2010||34||0||colspan="2"|-||1||0||35||0 |- |2011||2||0||colspan="2"|-||0||0||2||0 |- |2012||18||0||colspan="2"|-||0||0||18||0 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始341||0||52||0||17||0||410||0 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行97||0||colspan="2"|-||2||0||99||0 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行15||0||1||0|||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終453||0||53||0|||||||| |}
- 1995年[[7月1日|7月テンプレート:01日]]:Jリーグ初出場 - J1サントリー第21節 vs浦和レッドダイヤモンズ (柏)
- 2000年[[8月5日|8月テンプレート:05日]]:J1 100試合出場 - J1 2nd第8節 vs柏レイソル (西部緑地陸)
- 2004年[[4月3日|4月テンプレート:03日]]:J1 200試合出場 - J1 1st第3節 vs東京ヴェルディ1969 (味スタ)
- 2007年5月26日:J1 300試合出場 - J1第13節 vs名古屋グランパスエイト (味スタ)[33]
代表歴
出場大会など
- 2003年 FIFAコンフェデレーションズカップ2003、東アジアサッカー選手権2003
- 2004年 FIFAワールドカップアジア1次予選、AFCアジアカップ・中国大会
- 2005年 FIFAワールドカップアジア最終予選、東アジアサッカー選手権2005、FIFAコンフェデレーションズカップ2005
- 2006年 FIFAワールドカップ・ドイツ大会
試合数
- 国際Aマッチ 4試合[12] 0得点 (2003-2006)
テンプレート:サッカー代表個人成績 |- |2003||0||0 |- |2004||2||0 |- |2005||2||0 |- |2006||0||0 |- !通算 |4||0 |}
個人タイトル・記録
- ナビスコカップMVP (2004年)
- Jリーグベストイレブン (2004年)
- Jリーグ優秀選手賞 (2002年、2003年、2004年、2005年)
- Jリーグ連続出場記録 (216試合/2000年-2006年)
- Jリーグ功労選手賞 (2013年)
脚注
関連項目
- 柏レイソルの選手一覧
- FC東京の選手一覧
- 東京ヴェルディの選手一覧
- 浅利悟 - 自身の引退時、尊敬する選手に土肥の名を挙げ賛辞を送る。
外部リンク
- 特集
- テンプレート:Wayback - WEBサッカーマガジン (2003年8月6日)
- テンプレート:Wayback - 東京中日スポーツ (2004年10月27日)
- 【J2日記】東京V:ジョギング開始。 - J's GOAL (2011年7月22日)
- プロフィール・成績
- テンプレート:FIFA playerテンプレート:En icon
- プロフィール (2006年版) - 日本サッカー協会
- テンプレート:Wayback - FC東京
- テンプレート:Wayback - 東京ヴェルディ
- テンプレート:Nfteamsテンプレート:En icon
- テンプレート:Fussballdaten
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 「心一つに」大きな声 チームの兄貴、土肥選手 47NEWS (2006年6月15日)
- ↑ 2.0 2.1 2.2 元日本代表GK土肥が引退…今後は東京V下部組織のコーチに スポーツニッポン (2013年1月9日)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 テンプレート:Cite book
- ↑ 選手出場記録 Jリーグ (1999年11月27日)
- ↑ 5.0 5.1 5.2 テンプレート:Wayback スポーツ報知 (2004年11月3日)
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Wayback FC東京 (2004.10.31)
- ↑ J1 2nd 第11節 土肥 洋一選手(F東京)J1リーグ戦連続出場記録更新! Jリーグ (2004年10月31日)
- ↑ テンプレート:Wayback FC東京 (2004年12月13日)
- ↑ 10.0 10.1 10.2 テンプレート:Cite book
- ↑ 【2004 Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝】PK戦の末、FC東京が初優勝! MVPは土肥洋一選手に決定!! Jリーグ (2004.11.03)
- ↑ 12.0 12.1 12.2 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「maga
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 【スペシャルインタビュー Vol.21】FC東京:石川直宏選手 J's GOAL (2005年9月22日)
- ↑ 14.0 14.1 14.2 14.3 テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Wayback 日本サッカー協会 (2003年6月9日)
- ↑ テンプレート:Wayback FC東京 (2003年6月9日)
- ↑ イニシエーションとしての日韓戦 (8月7日@大邸) (2/2) スポーツナビ (2005年8月8日)
- ↑ テンプレート:Wayback FC東京 (2007年12月30日)
- ↑ テンプレート:Wayback 東京ヴェルディ (2007年12月30日)
- ↑ 東京Vが大リストラ! 服部、福西ら解雇 日刊スポーツ (2008年12月1日)
- ↑ 22.0 22.1 テンプレート:Wayback スポーツ報知 (2009年11月19日)
- ↑ テンプレート:Wayback 東京ヴェルディ (2008年12月1日)
- ↑ 高木ヴェルディ 19日に新チームスタート スポーツニッポン (2009年1月19日)
- ↑ テンプレート:Wayback 東京ヴェルディ (2009年1月19日)
- ↑ 土肥洋一選手の負傷について 東京ヴェルディオフィシャルウェブサイト、2011.05.07
- ↑ 東京V 土肥を戦力外に…7月に1年2カ月ぶりに復帰も スポーツニッポン (2012年11月29日)
- ↑ 土肥洋一選手の契約について 東京ヴェルディ (2012年11月29日)
- ↑ 土肥洋一選手引退ならびに育成GKコーチ就任のお知らせ 東京ヴェルディ (2013年1月20日)
- ↑ 功労選手賞について Jリーグ (2013年10月15日)
- ↑ テンプレート:PDFlink 日本サッカー協会 (2014年4月10日)
- ↑ J1 第13節 土肥 洋一 選手(F東京)・林 健太郎 選手(甲府)J1リーグ戦通算300試合出場達成 Jリーグ (2007年5月26日)