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	<title>飯塚高史 - 版の履歴</title>
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		<title>2014年8月22日 (金) 18:08に118.16.142.191による</title>
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		<updated>2014-08-22T18:08:29Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;{{Infobox プロレスラー&lt;br /&gt;
| 名前 = 飯塚 高史&lt;br /&gt;
| 画像 = Takashi Iizuka 2014.JPG&lt;br /&gt;
| 画像サイズ = 200px&lt;br /&gt;
| 画像説明 = 2014年&lt;br /&gt;
| リングネーム = &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;飯塚 高史&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&amp;lt;br /&amp;gt;飯塚 孝之&lt;br /&gt;
| 本名 = 飯塚 孝之&lt;br /&gt;
| ニックネーム = &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;裏切りのアイアンフィンガー&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&amp;lt;br /&amp;gt;クレイジー坊主&amp;lt;br /&amp;gt;狂乱のアイアンフィンガー&amp;lt;br /&amp;gt;裏切りのブリザード&amp;lt;br /&amp;gt;鉄血の処刑人&amp;lt;br /&amp;gt;デスマッチの鬼&amp;lt;br /&amp;gt;魔性のスリーパー&amp;lt;br /&amp;gt;寡黙な闘志&lt;br /&gt;
| 身長 = 181cm&lt;br /&gt;
| 体重 = 107kg&lt;br /&gt;
| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1966|8|2}}&lt;br /&gt;
| 死亡日 = &lt;br /&gt;
| 出身地 = [[北海道]][[室蘭市]]&lt;br /&gt;
| 所属 = [[新日本プロレス]]&lt;br /&gt;
| スポーツ歴 = &lt;br /&gt;
| トレーナー = &lt;br /&gt;
| デビュー = [[1986年]]&lt;br /&gt;
| 引退 = &lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;飯塚 高史&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（いいづか たかし、男性、[[1966年]][[8月2日]] - ）は、[[日本]]の[[プロレスラー]]である。本名・旧リングネーム：&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;飯塚 孝之&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（いいづか たかゆき）。[[北海道]][[室蘭市]]出身。[[新日本プロレス]]所属。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴 ==&lt;br /&gt;
[[北海道室蘭東翔高等学校]]出身である。&lt;br /&gt;
若手時代の1989年、[[馳浩]]と共に[[グルジア]]で[[サンボ (格闘技)|サンボ]]修行を行っており、グラウンドレスリングの技術力が非常に高く、道場でコーチを務めていた時期もあった。またその技術を買われて、[[パンクラス]]のリングでは[[鈴木みのる]]と「キャッチレスリング」（打撃無しルール）で対戦している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
海外遠征からの帰国時、[[闘魂三銃士]]、[[馳浩]]、[[佐々木健介]]の5人にシングル戦を要求する[[マイクパフォーマンス]]をリング上で行い、[[エル・サムライ]]および[[AKIRA (プロレスラー)|野上彰]]との3人で「新世代闘魂トリオ」という形で売り出されたが、希望は通らず、併せて本人の性格の地味さもあってトップ戦線に割って入ることができなかった。なお健介は後にプロレス雑誌の飯塚との対談で、このシングル戦要求に答えなかった理由を、「同い年の同年デビューなのに、短期サンボ修行、[[長州力]]と組んでの[[IWGPタッグ王座]]戴冠、[[ドラゴンボンバーズ]]、お膳立ての整った海外武者修行という、エリートコースに乗った流れが気に食わなかったから」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この後も、野上彰との「[[J・J・JACKS]]」、[[山崎一夫 (プロレスラー)|山崎一夫]]・[[永田裕志]]・[[木戸修]]との「山崎隊」など、ユニットの形でチャンスを与えられるが、生かすことは出来ず、「隠れた実力派」と称される中堅選手の位置に甘んじていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1999年]]1月4日、[[小川直也]]対[[橋本真也]]戦における場外乱闘で、小川のセコンドについていた[[村上和成]]に対し、一時昏睡状態に陥るほどのダメージを負わせた張本人とされる（これが原因で、村上は一時執拗に飯塚の首を狙っていた）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]]1月4日、橋本とのタッグで小川・村上組と対決。橋本を馬乗りパンチで攻める小川をドロップキックで駆逐するなど大活躍し、最後はスリーパーホールドで村上をKOした。この一戦がきっかけで一躍大ブレイクし、決め技となったスリーパーは前述のように彼の代名詞となった。4月7日にはシングルでも村上からスリーパーで勝利すると、7月20日に健介の持つ[[IWGPヘビー級王座]]に挑戦。試合には敗れるものの、その後の[[G1 CLIMAX]]で[[永田裕志]]と大会中ベストバウトと呼ばれる試合を展開。[[G1 TAG LEAGUE|G1タッグリーグ戦]]では永田と組んで初優勝と、飯塚にとって2000年は非常に実りの多い年であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし[[2001年]]、[[長井満也]]との試合で首を負傷し、長期欠場を余儀なくされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、トップ戦線との関わりは無く光が当たる事はなかったが[[2008年]]、復帰したが[[G・B・H (プロレス)|G・B・H]]勢に袋だたきに遭った[[天山広吉]]を助け、タッグ共闘を持ちかけた。最初は冷たくあしらわれていたが、G・B・Hのイス攻撃から身を挺して天山を守る等の捨て身の救助を行い、気持ちが通じて“友情タッグ”を結成した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ヒール転向 ===&lt;br /&gt;
[[File:Takashi Iizuka.JPG|thumb|180px|2011年、観客席を徘徊する飯塚]]&lt;br /&gt;
2008年4月27日、同タッグで[[真壁刀義]]、[[矢野通]]組が保持する[[IWGPタッグ王座]]に挑戦。試合終盤で天山をスリーパーホールドで締め上げ王者組をアシスト。試合後もリング上で天山を痛めつけ、ヒール転向を宣言。「&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;[[G・B・H (プロレス)|G・B・H]]&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;」を果たす。5月2日の天山戦では頭を丸坊主にし、現在の容姿と化す。またこの頃から自身の代名詞とも言われる「&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;アイアン・フィンガー・フロム・ヘル&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;」を使用し、当初は全く喋らない[[ギミック (プロレス)|ギミック]]でその不気味さを際立たせていた。日を経つごとに喋る機会も増えていったが、いつしか会話もままならず、入場時には観客席を破壊する狂乱ぶりを発揮している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
のちのインタビューでは「善良だったころの飯塚高史の魂は等々力のほこらに封印したんだよ！」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://blog.livedoor.jp/ryosijj/archives/51440023.html 昔の飯塚高史は等々力渓谷のほこらに封印したんだよ！] - 多重ロマンチック 2008年10月23日&amp;lt;/ref&amp;gt;と語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月8日に天山と[[デスマッチ#ランバージャック・デスマッチ|ランバージャック・デスマッチ]]で対戦。アナコンダバイスで敗北を喫するも、その後のシリーズでも幾度となく天山を襲撃。10月13日両国大会で天山と今度は[[デスマッチ#チェーン・デスマッチ|チェーン・デスマッチ]]で激突。最後はチェーンで天山の首を締め上げ、レフェリーストップ勝ちを収めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]、3月に開催された[[ニュージャパン・カップ|NEW JAPAN CUP]]で遺恨が芽生えた[[青義軍]]の[[永田裕志]]に標的を変更。4月5日にチェーン・デスマッチを敢行し、レフェリーストップで永田から勝利を収めた。また、23日よりG・B・Hから離脱し、新ユニット「&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;[[CHAOS (プロレス)|CHAOS]]&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;」の一員となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
5月3日、[[レスリングどんたく#2009年|レスリングどんたく]]で、ドッグカラー・チェーン・デスマッチ（[[首輪]]で繋がれたチェーン・デスマッチ）ルールで再び永田と対戦。ロープに絡まり、身動きが取れなくなった所で顔面蹴りを喰らい[[失神]]。K.O.負けを喫した。その後は[[網膜剥離]]から復帰を果たした天山を再度付け狙い、7月20日にチェーン・デスマッチで対戦するも、返り討ちに遭う。8月には[[G1 CLIMAX]]に出場するも、反則負けを繰り返し、G1史上反則決着が最も多かった年の立役者の一人となってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
9月シリーズでは[[真壁刀義]]にピンフォール勝ちを3度も取られるという屈辱を味わい、9月27日のメインイベント終了後に真壁を襲撃し両者に因縁が芽生える。さらに11月1日の全試合終了後、[[菅林直樹]]社長の接待という事で車に乗り込んだ真壁に対して、持参した[[バット]]でテロを引き起こす。11月8日にチェーン・デスマッチとして試合が組まれK.O.負けとなったが、その後も襲撃を繰り返し12月5日、再度チェーン・デスマッチで激突するが、今度はレフェリーストップを食らい、デスマッチ4連敗を喫した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2010年]]8月、入場中に観客席の中を暴れまわり、実況席にいた[[テレビ朝日]]の[[野上慎平]]アナウンサーを襲撃（詳細は「テレビ朝日・野上慎平アナウンサーとの抗争」を参照）。これをきっかけに以降も実況が野上アナ担当の場合は襲撃を敢行している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2011年]]8月27日、[[東日本大震災]]復興支援チャリティープロレス[[ALL TOGETHER (プロレス興行)|ALL TOGETHER]]のセミファイナルに出場。[[矢野通]]と組み[[武藤敬司]]、[[小橋建太]]組と対戦。小橋のムーンサルトプレスでピンフォール負けを喫するが、後に開催された[[プロレス大賞]]で同試合が2011年度年間最優秀試合賞を受賞する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2012年]]3月、矢野と共に[[テンコジ]]（[[天山広吉]]、[[小島聡]]組）を襲撃し、同タッグチームが保持していた[[IWGPタッグ王座]]を強奪。5月3日福岡大会で同王座を賭けたタイトルマッチで対戦する。試合終盤で天山が持参していた[[手錠]]を逆に利用し鉄柵に固定させ、孤立した小島を矢野がピンフォール勝ちを収めて、第59代王者に就く。しかし、目に余る暴挙が後を絶たなかった為、王座を剥奪。7月22日、[[キズナ・ロード#2012年|KIZUNA ROAD]]最終戦にて、タッグ王者決定戦としてテンコジと対戦し、小島のラリアットで敗戦した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2014年]]5月25日、[[横浜アリーナ]]大会で、タッグパートナーである矢野にイス攻撃、アイアンフィンガーを食らわせCHAOSから離脱。対戦相手である[[鈴木みのる]]率いる「&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;[[鈴木軍]]&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;」に電撃加入を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== テレビ朝日・野上慎平アナウンサーとの抗争 ==&lt;br /&gt;
2010年の8月8日のG1クライマックスのスペシャルタッグマッチにて実況席にいた、前述の野上アナを襲撃したことから始まった。2010年度のG1終了後も、襲撃は続き、その度に野上アナが半裸でネクタイが残っているという姿が一部のお約束事になってしまっている。因みに2011年1月以降では野上アナは[[青義軍]]のメンバーから貰った青いTシャツを着て実況を行うようになるも、その態度が気に入らないのか、飯塚はそのTシャツまでも破りにかかっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2011年に入ってからはタッグパートナーである、飯塚と同じくCHAOS所属の[[ヒール (プロレス)|ヒール]]・[[矢野通]]が、野上アナを捕え飯塚に服を破かれている最中に水を掛けるなどして便乗するようになった。また、野上アナが飯塚に襲撃されているのを救出しようと、青義軍の[[井上亘]]や飯塚との遺恨が絶えていない[[天山広吉]]、挙句の果てには解説席の[[山崎一夫 (プロレスラー)|山崎一夫]]が介入するなどより一層の激しさを増している。9月19日の神戸大会では、山崎の背中越しに会場の椅子を投げつけて、山崎の頭部が切れる（出血する）ケガを負わせている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
因みに、この一連の飯塚の行動を見た解説の[[金澤克彦]]は、飯塚は野上アナが飯塚の「J・J・JACKS」時代のパートナー・[[AKIRA (プロレスラー)|野上彰]]の亡霊に見えているからなのではないかと推測を立てており&amp;lt;ref&amp;gt;テレビ朝日『ワールドプロレスリング』において、飯塚達の試合の解説者として金澤が発言&amp;lt;/ref&amp;gt;、大阪尼崎大会では飯塚が実況席に向かうも、実況者が野上アナではなく[[大西洋平]]だと知るや否やすぐさまリングに向かった為、大西は「飯塚は見境なく実況アナを狙っているんでなく&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;野上慎平&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;を狙っているんだ」と実況していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、2011年11月12日の大阪大会では実況が野上アナではなく、先輩である実況担当の[[吉野真治]]アナウンサーであるにもかかわらず、飯塚は吉野アナを野上アナと勘違いして実況席から引きずり落としている。その後、改めて野上アナでないと確認するや吉野アナに対してはそれ以上の攻撃を加える事無くリングへと向かった。この時被害にあった吉野アナは服装を乱される程度で済んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一連の飯塚の行動について、野上アナと同じ席で解説を行っている、東京スポーツの[[柴田惣一]]記者が、[[蝶野正洋]]と対談した際に「飯塚の野上アナ襲撃」について質問したところ、蝶野は自身が新日本所属時代に[[辻よしなり|辻アナウンサー]]を襲撃した過去を基に分析し、「飯塚にとって野上君の実況はただの雑音にしか聞こえておらず、しかもその実況に不満を持っているからだと思う」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;同対談の模様（外部リンク）[http://www.youtube.com/watch?v=de4NuePTSDI]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[プロレス大賞]]2011年度年間最優秀試合賞を[[武藤敬司]]、[[小橋健太]]、[[矢野通]]と共に受賞したが、2012年1月12日に行われた授賞式の最中、司会進行を行っていた野上アナを襲撃した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
因みに、野上アナの襲撃は実況席での襲撃以前にもあり、2008年ごろから控え室でも襲撃していることがわかった。&amp;lt;ref&amp;gt;2012年7月8日付「俺達のプロレス」[http://ameblo.jp/anapro/day-20120708.html]&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年になってからは更に野上アナへの攻撃がエスカレートし、試合後に野上アナを引きずりまわした挙句、選手控え室のシャワールームまで連れて行きずぶ濡れにさせたこともあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、一方の野上アナもやられてばかりでは無く、飯塚と対戦した選手に後押しされる形で反撃に転じた事もある。最初の野上アナの反撃は2012年7月1日の新日本・全日本プロレス40周年記念合同興行の[[武藤敬司]]・[[小島聡]]・[[天山広吉]]組対飯塚・矢野通・[[石井智宏]]組の試合後、武藤達に押されて飯塚に串刺しラリアットを食らわせた&amp;lt;ref&amp;gt;野上アナのラリアット前に、飯塚は[[天コジ]]の串刺しラリアットと武藤のシャイニング・ウィザードを食らっている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二度目の野上アナの反撃は2013年1月4日東京ドーム大会の[[曙太郎|曙]]・[[ジョン・アンダーセン|ストロングマン]]・[[アルヴィン・バーク・ジュニア|MVP]]・[[中西学]]組対飯塚・矢野・[[高橋裕二郎]]・[[ボブ・サップ]]組の試合後、ストロングマンにホールドされた飯塚にラリアットを食らわせている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
11月9日の大阪大会では毎度のように上半身服をボロボロにし、後ろ手に手錠をかけられ青と白スプレーで顔を[[ドラえもん]]にしてしまった。(解説席にいた柴田記者は、野上アナの姿を「ノガえもん」と揶揄していた。)以降、ビッグマッチの度に野上アナにスプレーで様々な(しっかりと形となっている)[[ボディペインティング]]を行うようになり、飯塚に残っていたかすかな[[ユーモア]]を垣間見せるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 得意技 ==&lt;br /&gt;
ヒールターン以後は、各種反則や場外乱闘、殴る、蹴るなど技らしい技はほとんど使用せずに試合を展開している。&lt;br /&gt;
; [[裸絞|スリーパーホールド]]&lt;br /&gt;
: ヒールターン以前から継続して使用している唯一の技。&lt;br /&gt;
: 村上の一件から&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;魔性のスリーパー&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;とも呼ばれる。&lt;br /&gt;
; [[ペディグリー]]&lt;br /&gt;
: ヒールターン後に使用し始めた数少ない技らしい技。&lt;br /&gt;
: フォームとしては[[トリプルH]]のそれに類似し、現在では繋ぎ技の扱いである。&lt;br /&gt;
; [[貫手|地獄突き]]（アイアンフィンガー・フロム・ヘル装着）&lt;br /&gt;
: G・B・H加入時からの主要攻撃で、代名詞となりつつある鉄製のグローブをはめての[[地獄突き]]。&lt;br /&gt;
: 凶器攻撃の一種なので、基本的にレフェリーのブラインドを突いて行われ、発見された場合は即反則負けとなる。&lt;br /&gt;
: 当初、アイアンフィンガーを作成したのは平田（マシン）であり、「&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;飯塚の腕を機械に改造した&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;」というギミックだったが、いつの間にか「&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;飯塚専用の凶器を作成した&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;」という事実に移り変わっている。&lt;br /&gt;
: 2009年の[[G1 CLIMAX]]以降は、さらに大きな「&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;アイアンフィンガー・フロム・ヘル2号&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;」を使用しているが、2号と呼称することはなく、アイアンフィンガー・フロム・ヘル自体が技名として実況されるなど、うやむやな部分も多い。&lt;br /&gt;
; 噛みつき&lt;br /&gt;
: 鉄製のマウスピース（&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;アイアンティース・フロム・ヘル&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;）を使用する場合もある。&lt;br /&gt;
: 上記、地獄突きとは違い、必ずしも装着して行う技ではなく、即反則負けとなることも少ない。&lt;br /&gt;
: アイアンフィンガー・フロム・ヘルよりも使用頻度、認知度ともに低い。&lt;br /&gt;
; 首絞め&lt;br /&gt;
: リングアナウンサーのマイクのコードを使用した首絞め。&lt;br /&gt;
: 近年では狂乱の度合を増し、対戦相手を締めた後に飯塚自身の首を絞めることもある。&lt;br /&gt;
; [[マンハッタン・ドロップ]]&lt;br /&gt;
=== 過去の得意技 ===&lt;br /&gt;
ヒールターン以前は、サンボ仕込みのスープレックスやサブミッションを得意としていた。村上との抗争で再び注目が集まり始める前後からは特にグラウンド重視の試合を展開するようになる。また、新日本プロレスの道場長だったこともあり、[[ドロップキック]]などの基本的な技のフォームに定評がある。&lt;br /&gt;
; [[エクスプロイダー#ブリザードスープレックス|ブリザード]]&lt;br /&gt;
: サンボ修行で会得した[[裏投|裏投げ]]と[[フィッシャーマンズ・スープレックス]]を併せたオリジナル・ホールド。&lt;br /&gt;
: 後に投げっぱなし式も使用し始め、徐々にこちらがメインとなった。&lt;br /&gt;
: 投げっぱなし式を特に&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;投げっぱなしブリザード&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;、&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;ブリザードスープレックス&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;、ホールド型を&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;ブリザード（スープレックス）ホールド&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;と呼ぶなど呼称にバラつきがある。&lt;br /&gt;
: 技名は出身地が北海道であることに由来し、開発当時のリングアナウンサー[[田中ケロ|田中秀和]]の命名である。&lt;br /&gt;
:ヒールターン初期にも稀に使用していた。&lt;br /&gt;
; [[裏投|裏投げ]]&lt;br /&gt;
: こちらもサンボ修行で会得。この技をヒントに上記、ブリザードを開発した。&lt;br /&gt;
: ブリザード開発後も並行して使用していたが、この技の第一人者（プロレス技として）である馳からは「横にひっくり返しているだけ」と度々酷評されていた。&lt;br /&gt;
; [[膝十字固め|ビクトル式膝十字固め]]&lt;br /&gt;
: サンボで会得したサブミッションの一つ。通常式も得意とした。&lt;br /&gt;
: サンボ修行を同時に行った馳の当時の義父、サンボの第一人者であるビクトル古賀に由来する。&lt;br /&gt;
; [[蟹挟み|飛びつき式]][[膝十字固め]]&lt;br /&gt;
: 上記同様サンボで会得したサブミッションの一つ。走り込んで仕掛ける事もあった。&lt;br /&gt;
; 膝固め&lt;br /&gt;
: 山崎から受け継ぐ形で一時期使用していた。&lt;br /&gt;
; [[アンクルホールド#プロレス|アンクルホールド]]&lt;br /&gt;
: スリーパーホールドに変わるフィニッシュ・ホールドとして使用し始めたが、定着にはいたっていない。&lt;br /&gt;
: ヒールターン以後もごくまれに見せる。&lt;br /&gt;
; [[腕挫十字固#立った状態から入るもの|飛びつき式腕ひしぎ十字固め]]&lt;br /&gt;
: いわゆる&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;正面跳び式&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;跳びつき式&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;）を使用。通常式も得意とした。&lt;br /&gt;
: [[ラリアット]]に対するカウンターとしても使用された。&lt;br /&gt;
; 飯塚スペシャル∞（むげん）&lt;br /&gt;
: 未だ使用されたことがない幻の技。&lt;br /&gt;
: 「出せば勝てる」とのことだが、使用するつもりはないと語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 入場テーマ曲 ==&lt;br /&gt;
* against rules&lt;br /&gt;
: ヒール転向後のテーマ曲。2008年5月 - 現在まで使用。&lt;br /&gt;
: G・B・Hに所属していた際には前奏部分にtrick・ster（G・B・Hのテーマ曲）を入れたヴァージョンを使用していた。&lt;br /&gt;
* TERRIBLE AIR&lt;br /&gt;
* GO STRAIGHT&lt;br /&gt;
== タイトル歴 ==&lt;br /&gt;
; 新日本プロレス&lt;br /&gt;
* [[IWGPタッグ王座]]：3回（第10代、第27代、第59代）&lt;br /&gt;
: パートナーは長州力、山崎一夫、矢野通。&lt;br /&gt;
* [[G1 TAG LEAGUE]] 優勝（2000年）&lt;br /&gt;
: パートナーは永田裕志。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; プロレスリングノア&lt;br /&gt;
* [[GHCタッグ王座]]：1回（第28代）&lt;br /&gt;
: パートナーは矢野通。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; プロレス大賞&lt;br /&gt;
* 2000年度プロレス大賞 技能賞&lt;br /&gt;
* 2011年度プロレス大賞 年間最高試合賞（8月27日、[[ALL TOGETHER (プロレス興行)|ALL TOGETHER]]日本武道館大会、[[矢野通]]、飯塚高史VS[[武藤敬司]]、[[小橋建太]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
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* [http://www.njpw.co.jp/data/detail_profile.php?f=002 新日本プロレス 公式プロフィール]&lt;br /&gt;
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