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	<title>津藩 - 版の履歴</title>
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		<title>210.162.60.12: /* 藩史 */</title>
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		<updated>2014-08-20T01:11:25Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;span class=&quot;autocomment&quot;&gt;藩史&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;津藩&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（つはん）は[[伊勢国|伊勢]][[安濃郡 (三重県)|安濃郡]][[安濃津]]（現在の[[三重県]][[津市]]）に置かれた[[藩]]。&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;安濃津藩&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（あのつはん）と呼ばれることもある。藩庁は[[津城|安濃津城]]（津城）。石高は伊勢・[[伊賀国|伊賀]]2[[令制国|国]]を合わせた22万石（[[大坂の役]]後、32万3,000石に加増で大和国にも飛び地領が存在）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 藩史 ==&lt;br /&gt;
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の津は安濃津と呼ばれ、[[長野工藤氏]]の支配下にあった。[[永禄]]11年（[[1568年]]）、[[織田信長]]の伊勢侵攻で長野工藤氏は信長に降伏し、信長の弟・[[織田信包|信包]]を[[養子]]に迎えて当主とした。信長没後、信包は[[豊臣秀吉]]に仕え、[[文禄]]3年（[[1594年]]）に2万石を削減されて[[近江国|近江]]に移封された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代わって、[[富田知信]]が5万石で入る。知信は[[慶長]]4年（[[1599年]]）に死去し、後を子の[[富田信高|信高]]が継いだ。信高は[[徳川家康]]に接近し、家康主導による[[会津征伐]]に参加し、[[石田三成]]ら西軍が挙兵すると本国に戻り、西軍の[[伊勢国|伊勢]]侵攻軍である[[毛利秀元]]や[[長束正家]]と戦い、敗れて[[高野山]]に逃れた（[[安濃津城の戦い]]）。関ヶ原の戦い後、家康は信高を2万石加増の7万石で安濃津城主として復帰させた。慶長13年（[[1608年]]）8月24日、信高は[[伊予国|伊予]][[宇和島藩]]に移封された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌日の8月25日、伊予[[今治藩]]10万石から[[藤堂高虎]]が22万石に加増された上で入る。高虎は[[江戸城]]の普請などにも功を挙げて家康から絶大な信任を受け、外様でありながら早くから別格譜代の厚遇を受けることとなる。慶長19年（[[1614年]]）からの[[大坂の陣]]でも家康側に与して戦功を挙げ、[[伊賀国|伊賀]][[伊賀上野藩|上野藩]]主・[[筒井定次]]の[[改易]]もあって伊勢津藩は最終的に32万3,000石を領する大大名となった。&amp;lt;!--: そのため、高虎は「走狗」・「裏切り者」と評する意見もある。だが利を見て主家を変えることは戦国の常であったから、高虎が非難される謂れはない。また、高虎とは全く関係のない200年以上後の[[鳥羽・伏見の戦い]]における津藩の行動（高浜砲台事件）が重ね合わされているとの意見もある。それはともかくとして、高虎は功績を挙げていって順次加増を受け、最終的には32万3950石の[[大名]]となった。--&amp;gt;なお、藩政は初代藩主・高虎の時代に行なわれた城郭普請や家臣団編成、農業制度改革、城下町建設などで確立する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第2代藩主・[[藤堂高次]]は[[寛文]]9年（[[1669年]]）9月29日に隠居する際、子の第3代藩主・[[藤堂高久]]に命じて次男[[藤堂高通]]に5万石を分与して、支藩である[[久居藩]]を立藩させた。このため、津藩は27万3,950石となる。高久も元禄10年（[[1697年]]）10月5日に[[藤堂高堅]]に3,000石を分与して、27万950石となった。高久は藩財政再建のため、[[地方知行]]制の廃止と蔵納制の移行、田畑永代売買の禁止、新田開発、商業統制などを行なったが効果は無かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第4代藩主・[[藤堂高睦]]の在職期には3度にわたる地震などの天災に見舞われた上、藤堂家の嫡流も彼をもって早くも終焉し、以後は支藩・[[久居藩]]から招かれて藩主となった者が多い。第5代藩主・[[藤堂高敏]]、第6代藩主・[[藤堂高治]]、第7代藩主・[[藤堂高朗]]（藤堂高豊）らはいずれも久居藩主を経て、津藩主になった面々である。なお、これら養子藩主時代は幕命による手伝い普請などによる出費や天災・凶作が相次いで藩財政は悪化した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第9代藩主・[[藤堂高嶷]]も久居藩から津藩主となった養子藩主で、藩財政の再建を中心とした藩政改革を行なったが、あまりに急性すぎる改革は周囲の反発を受け、寛政年間に津藩最大の百姓一揆が発生して改革は挫折した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特筆すべき藩主が、第10代藩主・[[藤堂高兌]]である。彼も久居藩から転任した藩主で高嶷の実子だが、すでに久居藩主時代からその敏腕を持って藩政の再建に成功していた。このため、津藩の藩政でも綱紀粛正・倹約・植林や養蚕の奨励、福祉政策、文武の奨励などを実行して藩政改革を成功させ、藤堂家中興の英主と讃えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高兌の後を継いだ第11代藩主・[[藤堂高猷]]は無能で、凶作や地震などの天災も相次ぎ、藩の借金は明治に至ると212万両にまで悪化したといわれる。[[慶応]]4年（[[1868年]]）1月の[[鳥羽・伏見の戦い]]では当初は幕府側であったが、山崎高浜砲台の津藩守備隊の機転で官軍側を支援し、対岸の幕軍砲台を砲撃するなど官軍の勝利に大きく貢献することになった。しかし、幕府側の将兵からは突然の裏切り行為であり「その行い、藩祖（高虎）に似たり」とそしられた。その後、藤堂軍は[[戊辰戦争]]で東海道の先鋒となって、各地で旧幕府軍と戦った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[明治]]2年（[[1869年]]）の[[版籍奉還]]で、高猷は津藩知事に任じられる。しかし明治3年（[[1870年]]）には高猷が行なった藩政改革で平民による部隊が編成され、これに不満を持った士族派の長谷部一（[[藤堂監物]]）らが反対して処刑されるという庚午事変（[[監物騒動]]）が起こるなどしている。また、[[伊賀国|伊賀]]4郡で打ちこわし（[[平高騒動]]）も起こっているなど、高猷の失政が目立った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治4年（[[1871年]]）6月28日、高猷は[[隠居]]し、第12代藩主と津藩知事には[[藤堂高潔]]が就任したが、直後の7月14日に行なわれた[[廃藩置県]]で津藩は廃藩となり[[安濃津県]]となる。明治5年（[[1872年]]）に三重県と改称され、明治9年（[[1876年]]）には[[度会県]]が三重県に編入された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴代藩主==&lt;br /&gt;
===富田（とだ、または、とみだ）家===&lt;br /&gt;
[[外様]]。5万石→7万石（1595年－1608年）&lt;br /&gt;
#[[富田知信|知信]]（とものぶ）&lt;br /&gt;
#[[富田信高|信高]]（のぶたか）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===[[藤堂氏|藤堂（とうどう）家]]===&lt;br /&gt;
外様。22万950石→27万950石→32万3950石→27万3950石→27万950石（1608年－1871年）&lt;br /&gt;
#[[藤堂高虎|高虎]]（たかとら）〔従四位下・左近衛権少将・和泉守〕 &lt;br /&gt;
#[[藤堂高次|高次]]（たかつぐ）〔従四位下・左近衛権少将・和泉守〕&lt;br /&gt;
#[[藤堂高久|高久]]（たかひさ）〔従四位下・左近衛権少将・和泉守〕&lt;br /&gt;
#[[藤堂高睦|高睦]]（たかちか）〔従四位下・和泉守〕 &lt;br /&gt;
#[[藤堂高敏|高敏]]（たかとし）〔従四位下・和泉守〕 &lt;br /&gt;
#[[藤堂高治|高治]]（たかはる）〔従四位下・大学頭〕 &lt;br /&gt;
#[[藤堂高朗|高朗]]（たかあき、たかほら）〔従四位下・和泉守〕 &lt;br /&gt;
#[[藤堂高悠|高悠]]（たかなが）〔従四位下・和泉守〕 &lt;br /&gt;
#[[藤堂高嶷|高嶷]]（たかさと、たかさど）〔従四位下・和泉守〕 &lt;br /&gt;
#[[藤堂高兌|高兌]]（たかさわ）〔従四位下・和泉守〕 &lt;br /&gt;
#[[藤堂高猷|高猷]]（たかゆき）〔正二位・和泉守〕 &lt;br /&gt;
#[[藤堂高潔|高潔]]（たかきよ）〔正三位・大学頭〕&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 幕末の領地 ==&lt;br /&gt;
* [[伊勢国]]&lt;br /&gt;
** [[三重郡]]のうち - 15村&lt;br /&gt;
** [[河曲郡]]のうち - 29村&lt;br /&gt;
** [[鈴鹿郡]]のうち - 3村&lt;br /&gt;
** [[安濃郡 (三重県)|安濃郡]]のうち - 73村&lt;br /&gt;
** [[一志郡]]のうち - 56村（うち1村を[[紀州藩|和歌山藩]]に編入）&lt;br /&gt;
** [[飯野郡]]のうち - 33村（うち1村を和歌山藩に編入）&lt;br /&gt;
** [[多気郡]]のうち - 20村&lt;br /&gt;
* [[山城国]]&lt;br /&gt;
** [[相楽郡]]のうち - 14村&lt;br /&gt;
* [[大和国]]&lt;br /&gt;
** [[添上郡]]のうち - 42村&lt;br /&gt;
** [[式上郡]]のうち - 9村&lt;br /&gt;
** [[十市郡]]のうち - 24村&lt;br /&gt;
** [[山辺郡]]のうち - 59村（うち1村を[[柳生藩]]に編入）&lt;br /&gt;
* [[伊賀国]]一円&lt;br /&gt;
** [[阿拝郡]] - 69村&lt;br /&gt;
** [[山田郡 (三重県)|山田郡]] - 26村&lt;br /&gt;
** [[名張郡]] - 41村&lt;br /&gt;
** [[伊賀郡]] - 61村&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[明治維新]]後、山辺郡1村が柳生藩領から柳生藩・津藩の[[相給]]となって領地に加わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 支藩 ==&lt;br /&gt;
===久居藩===&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;久居藩&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（ひさいはん）は、[[伊勢国]]久居周辺（[[三重県]]旧[[久居市]]、現在は合併により津市）を支配した津藩の支藩。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====藩史====&lt;br /&gt;
[[寛文]]9年（[[1669年]]）、津藩の第2代藩主・藤堂高次が隠居して家督を子の[[藤堂高久]]に譲ったとき、次男の[[藤堂高通]]に5万石を分与して津藩の支藩である久居藩を立藩した。しかし[[城主大名|城主格]]の大名でありながら、築城を許可されず、陣屋と城下町を建設するに留まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
久居藩は高次が本家の嗣子が絶えた場合の無嗣子による改易に備えて設置した藩である。[[元禄]]10年（[[1697年]]）に高通の後を継いだ[[藤堂高堅]]は、3000石をさらに分与されて5万3000石を領する藩主となる。久居藩の内部状況であるが、常に津藩の本家の慣習を踏襲し、相談も行なうこととなった。しかし5回にもわたって[[江戸]]藩邸が焼失し、さらに連年にわたって凶作が相次ぐなどの悪条件も重なって、第5代藩主・[[藤堂高豊]]、第6代藩主・[[藤堂高雅]]の頃から財政悪化が顕著となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのため、倹約令を出して俸禄の借り上げを行なったが、その後も[[天明の大飢饉]]、[[天保の大飢饉]]、[[甲斐国|甲州]]の諸川の手伝い普請などから、遂に財政は破綻寸前となった。しかし名君で有名な第12代藩主・藤堂高兌の藩政改革により、藩財政は再建された。しかし高兌の死後（高兌は本家の藩主となっていた）、再び久居藩は財政が悪化し、第15代藩主・[[藤堂高聴]]は新田開発や[[雲出川]]の治水工事に取り組むことで藩政を再建しようとした。この改革は成功し、再び久居藩は再建された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
幕末期は本家の津藩と共に[[天誅組]]討伐に参加した。[[明治]]2年（[[1869年]]）、第16代藩主・[[藤堂高邦]]は[[版籍奉還]]により知藩事となる。明治4年（[[1871年]]）の[[廃藩置県]]で久居藩は廃藩となって[[久居県]]、[[安濃津県]]、翌年には[[三重県]]に編入された。久居藩領の一志郡は久居県を経て[[度会県]]となり、明治9年（[[1876年]]）には三重県に編入されることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歴代藩主の多くは若死、もしくは本家の津藩を継承した者が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 歴代藩主 ====&lt;br /&gt;
*&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039; 藤堂（とうどう）家 &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&lt;br /&gt;
[[外様]]。5万石→5万3000石→5万8700石。&lt;br /&gt;
#[[藤堂高通|高通]]（たかみち）〔従五位下。佐渡守〕&lt;br /&gt;
#[[藤堂高堅|高堅]]（たかかた）〔従五位下。備前守〕&lt;br /&gt;
#[[藤堂高陳|高陳]]（たかのぶ）〔従五位下。佐渡守〕&lt;br /&gt;
#[[藤堂高治|高治]]（たかはる）〔従五位下。大膳亮〕&lt;br /&gt;
#[[藤堂高朗|高豊]]（たかとよ）〔従五位下。大膳亮〕&lt;br /&gt;
#[[藤堂高雅|高雅]]（たかまさ）〔従五位下。佐渡守〕&lt;br /&gt;
#[[藤堂高嶷|高敦]]（たかあつ）〔従五位下。大膳亮〕&lt;br /&gt;
#[[藤堂高朶|高朶]]（たかえだ）〔従五位下。左京亮〕&lt;br /&gt;
#[[藤堂高興|高興]]（たかおき）〔従五位下。弾正忠〕&lt;br /&gt;
#[[藤堂高衡|高衡]]（たかひら）〔従五位下。佐渡守〕&lt;br /&gt;
#[[藤堂高矗|高矗]]（たかなお）〔従五位下。佐渡守〕&lt;br /&gt;
#[[藤堂高兌|高兌]]（たかさわ）〔従五位下。左近将監〕&lt;br /&gt;
#[[藤堂高邁|高邁]]（たかとう）〔従五位下。佐渡守〕&lt;br /&gt;
#[[藤堂高やつ|高秭]]（たかやつ）〔従五位下。佐渡守〕 - 「ヤツ」は「秭（禾＋弔に似た字）」&lt;br /&gt;
#[[藤堂高聴|高聴]]（たかより）〔従五位下。佐渡守〕&lt;br /&gt;
#[[藤堂高邦|高邦]]（たかくに）〔従五位下。佐渡守〕&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 幕末の領地 ====&lt;br /&gt;
* 山城国&lt;br /&gt;
** 相楽郡のうち - 14村　&lt;br /&gt;
* 大和国&lt;br /&gt;
** 添上郡のうち - 4村&lt;br /&gt;
** [[広瀬郡]]のうち - 1村&lt;br /&gt;
** 式上郡のうち - 1村&lt;br /&gt;
** 十市郡のうち - 7村&lt;br /&gt;
** 山辺郡のうち - 15村&lt;br /&gt;
* 伊勢国&lt;br /&gt;
** 三重郡のうち - 11村&lt;br /&gt;
** 河曲郡のうち - 16村&lt;br /&gt;
** 鈴鹿郡のうち - 7村&lt;br /&gt;
** 安濃郡のうち - 15村&lt;br /&gt;
** 一志郡のうち - 16村&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家老 ==&lt;br /&gt;
* [[津藩家臣団]]を参照&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* [[深谷克己]]『津藩』（[[吉川弘文館]]、2002年） ISBN 4-642-06660-8&lt;br /&gt;
* 深谷克己『藩政改革と百姓一揆 &amp;lt;small&amp;gt;津藩の寛政期&amp;lt;/small&amp;gt;』（比較文化研究所、2004年） ISBN 4-902292-01-7&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[藩の一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{s-start}}&lt;br /&gt;
{{s-bef|before=（[[伊勢国]]・[[伊賀国]]）|表記=前}}&lt;br /&gt;
{{s-ttl|title=行政区の変遷&lt;br /&gt;
|years=[[1595年]] - [[1871年]]&amp;lt;br&amp;gt;|years2=津藩→津県}}&lt;br /&gt;
{{s-aft|after=[[安濃津県]]|表記=次}}&lt;br /&gt;
{{s-bef|before=（伊勢国）|表記=前}}&lt;br /&gt;
{{s-ttl|title=行政区の変遷&lt;br /&gt;
|years=[[1669年]] - 1871年&amp;lt;br&amp;gt;|years2=久居藩→久居県}}&lt;br /&gt;
{{s-aft|after=[[度会県]]|表記=次}}&lt;br /&gt;
{{end}}&lt;br /&gt;
{{江戸時代の藩}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:つはん}}&lt;br /&gt;
[[Category:藩]]&lt;br /&gt;
[[Category:津藩|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:伊勢国]]&lt;br /&gt;
[[Category:富田氏|藩]]&lt;br /&gt;
[[Category:藤堂氏|藩]]&lt;br /&gt;
[[Category:津市の歴史]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>210.162.60.12</name></author>
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