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	<title>山本浩 - 版の履歴</title>
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		<title>219.105.210.27: /* 外部リンク */</title>
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		<updated>2014-05-03T01:17:29Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;span class=&quot;autocomment&quot;&gt;外部リンク&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;山本 浩&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（やまもと ひろし、[[1953年]][[4月12日]] - ）は、[[法政大学]]スポーツ健康学部教授&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.hosei.ac.jp/sports/kyoin/index.html スポーツ健康学部 &amp;gt; 教員紹介-法政大学HP2012年5月3日]&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[スポーツ]][[評論家]]。元[[日本放送協会|NHK]][[アナウンサー|エグゼクティブアナウンサー]]、[[NHK解説委員室|解説委員]]（スポーツ・体育分野担当）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物・来歴 ==&lt;br /&gt;
[[島根県]][[松江市]]出身。[[埼玉県立川越高等学校]]、[[東京外国語大学]][[外国語学部]]ドイツ語学科卒業。[[1976年]]入局（初任地は[[NHK福島放送局|福島局]]）。記者志望だったが、たまたま第一希望職種に「アナウンサー職」と記載してあるNHKの願書しか入手できず、そのままアナウンサーとして合格、入局する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元々サッカー競技経験はなかった（ただし小学生時代を[[浜松市|浜松]]で過ごしており、サッカーに親しむ環境にはあったという&amp;lt;ref name=&amp;quot;ss20081115&amp;quot;&amp;gt;[[スーパーサッカー (TBSのサッカー番組)|スーパーサッカー]]（TBSテレビ）2008年11月15日放送「心に残るサッカー実況伝説スペシャル」より&amp;lt;/ref&amp;gt;）が、[[1983年]]に[[森孝慈]]監督時代の[[サッカー日本代表|日本代表]]が[[愛媛県]][[松山市|松山]]で合宿をした際、[[NHK松山放送局|松山局]]勤務でドイツ語学科卒の山本が臨時コーチの[[ベルティ・フォクツ]]にインタビューしたのが契機となってサッカーに関わるようになった&amp;lt;ref name=&amp;quot;allabout&amp;quot;&amp;gt;斉藤健仁『[http://allabout.co.jp/contents/weekender_sp_c/worldsoccer/CU20071210A/index/ NHK山本浩アナの名実況を振り返る]』 [[All About]] WEEKENDER 2007年12月12日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;山本浩、[[倉敷保雄]]『実況席のサッカー論』 出版芸術社 2007年、6、7頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。サッカーの初実況は全国中学校選手権。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[サッカー]]担当としての評価は高く、[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]発足以前からサッカー実況を行っており、1986年より担当している[[FIFAワールドカップ]]などの実況で、数々の名台詞を生んだ。カーブをかけたシュートを放った時の「&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;ま・げ・て・きた～!!&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;」（曲げてきたー）は有名である。他にも攻撃時、ヘディングシュートを試みる選手を「ＯＯ（選手名）、飛んだ～！」は頻繁に実況に出てくる一節である。特に1986年[[1986 FIFAワールドカップ|メキシコワールドカップ]]での[[ディエゴ・マラドーナ]]の5人抜きドリブルのすべてを「マラドーナ」と4度連呼するだけで伝えた実況などにより、多くのサッカーファンの記憶に残る名実況者として名を挙げられている&amp;lt;ref name=number20130515&amp;gt;[http://number.bunshun.jp/articles/-/431730?page=2 アナウンサー山本浩の回想 日本サッカー、幼年期の終わり。] Number Web 2013年5月15日付記事&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1993年Jリーグ開幕節#開幕戦|1993年Jリーグ開幕戦]]では、当時地元チームが存在していなかった[[NHK福岡放送局|福岡局]]勤務だったにもかかわらず抜擢され出張し実況を担当、そのまま東京に異動となったという経歴も持つ&amp;lt;ref name=number20130515/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これは[[TBSテレビ|TBS]]の『[[スーパーサッカー (TBSのサッカー番組)|スーパーサッカー]]』にさえサッカー史の名実況として取り上げられ、NHKの職員である山本へのインタビューも放映された&amp;lt;ref name=&amp;quot;ss20081115&amp;quot; /&amp;gt;。史上最強のサッカー実況アナとも評され、特に敬意を表して「師匠」と呼ばれることもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
NHK解説委員就任後、[[2006 FIFAワールドカップ]]では現地（[[ドイツ]]）からの取材リポートを行っていた。2008年の北京オリンピックでも現地からの取材リポートを担当した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
サッカーに比重を置く前は、プロ野球、高校野球の実況も多く行っていた。サッカー専従となった[[2001年]]には、[[全国高等学校野球選手権大会]]・[[千葉県]]大会決勝の実況を担当し、一部では「最もぜいたくな地区予選中継」という声もあった（ちなみに、同大会の[[千葉テレビ放送]]のダイジェスト番組の司会は同じくサッカー実況で有名な[[八塚浩]]だった）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、[[アルペンスキー]]の実況も多く担当しており、[[長野オリンピックにおけるアルペンスキー競技|長野オリンピックでの実況]]を始め、[[冬季オリンピック]]での滑降などの実況を担当している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
風貌は『[[男はつらいよ]]』の寅さん役で名を馳せた[[渥美清]]に似ており、細い目が特徴である（山本の愛称でもある「トラ（さん）」もこれに由来している。2010年5月1日のラジオ第1放送「[[かんさい土曜ほっとタイム]]」のトークでゲスト出演した際にも実際にその物まねが公開放送に訪れた観客に披露された。）。多趣味であるが、特に[[魚]]をさばくのが好きなようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
解説委員就任後もアナウンサーを兼務していたが、後にアナウンサーの職を離れている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]]10月、[[大相撲]]の[[時津風部屋]]で[[序ノ口]][[力士]]の[[時太山]]が急死した問題を受けて、[[日本相撲協会]]が新たに発足させた「再発防止検討委員会」の外部委員に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]3月NHKを退職。同年4月より[[法政大学]]に新設されたスポーツ健康学部の教授に就任した。2009年[[4月10日]]に教育テレビ、[[4月11日|11日]]未明に総合テレビで「[[視点・論点]]」に出演し、NHK退職後初のテレビ出演となり、その後、同番組は2010年[[2月5日]]、2011年[[2月18日]]に教育テレビ、[[2月6日|6日]]、[[2月19日|19日]]未明に総合テレビに出演した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2014年1月31日より、[[日本プロサッカーリーグ (法人)|日本プロサッカーリーグ]]にリーグ運営の円滑化を目的として新たに設置される、議決権を持たない特任理事（非常勤）に就任&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news|date=2014-01-17|url=http://www.j-league.or.jp/release/000/00005596.html|title=理事・監事内定の件|publisher=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2014-01-18}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==出演番組==&lt;br /&gt;
===現在の出演番組===&lt;br /&gt;
*[[Jリーグ公認 スタジアムへキックオフ]]（[[旅チャンネル]]、2009.10 - ）&lt;br /&gt;
*[[Jリーグタイム]]（[[NHK衛星第1テレビジョン|NHK BS1]]、2009.4 - ） - 月1回出演&lt;br /&gt;
*[[ラジオ深夜便]] 毎月1回第4日曜日「ないとガイド・スポーツいちおし」（[[NHKラジオ第1放送]]　2010.4-）&lt;br /&gt;
*NHK放送のスポーツ討論・報道でのゲスト出演&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===過去の出演番組===&lt;br /&gt;
*東京異動後&lt;br /&gt;
**[[あなたのメロディー]]（1984.4-1985.3）&lt;br /&gt;
**[[NHKニュース7]] [[川端義明]]・ [[小平桂子アネット]]（スポーツ）のリリーフ（1993年度）&lt;br /&gt;
**実戦ガイド[[2006FIFAワールドカップ]] 実戦リポート担当（[[NHK衛星第1テレビジョン|BS1]]、2005.12 - 2006.6）&lt;br /&gt;
**[[スポーツ大陸|ドキュメントスポーツ大陸]]「歴史を変えたワールドカップ」シリーズ （ - 2006.5）。&lt;br /&gt;
**[[NHKラジオ夕刊]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*解説委員就任後&lt;br /&gt;
**[[きょうのニュース&amp;amp;スポーツ]]内「[[時論・公論]]」&lt;br /&gt;
**[[スタジオパークからこんにちは]]内「暮らしの中のニュース解説」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*退局後&lt;br /&gt;
**年末スポーツ座談会・スポーツ新たな時代2010（2010.12 [[NHKラジオ第1放送]]）&amp;lt;ref&amp;gt;前年までは[[西田善夫]]が担当。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==書籍==&lt;br /&gt;
*メキシコの青い空―実況席のサッカー20年（[[新潮社]]）2007年8月刊　ISBN 9784103050315 &lt;br /&gt;
*実況席のサッカー論（[[出版芸術社]]）※ 2007年10月刊　ISBN 9784882933311&lt;br /&gt;
*続・実況席のサッカー論（出版芸術社）※ 2009年8月刊 ISBN 9784882933816&lt;br /&gt;
:※同じくサッカー実況のカリスマと呼ばれる[[倉敷保雄]]（[[フリーアナウンサー]]）との対談&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 名語録 ==&lt;br /&gt;
{{Quote|*東京[[千駄ヶ谷]]の[[国立霞ヶ丘競技場|国立競技場]]の曇り空の向こうに、[[メキシコ]]の青い空が近づいてきているような気がします。|[[1985年]][[10月26日]]|[[1986 FIFAワールドカップ|W杯メキシコ大会]]アジア最終予選・[[サッカー日本代表|日本]]対[[サッカー大韓民国代表|韓国]]&amp;lt;ref name=&amp;quot;allabout&amp;quot;/&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
{{Quote|*[[ディエゴ・マラドーナ|マラドーナ]]…、マラドーナ、マラドーナ来たーっマラドーナーッ!|[[1986年]][[6月22日]]|[[1986 FIFAワールドカップ準々決勝 アルゼンチン対イングランド|W杯メキシコ大会準々決勝]]・[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン]]対[[サッカーイングランド代表|イングランド]]（いわゆる「マラドーナの5人抜き」のシーン&amp;lt;ref name=&amp;quot;allabout&amp;quot; /&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;ss20081115&amp;quot; /&amp;gt;）}}&lt;br /&gt;
{{Quote|*（[[アンドレアス・ブレーメ|ブレーメ]]負傷後のイングランドのフェアプレー）さあイングランド、これ（ボール）を紳士的に[[サッカードイツ代表|西ドイツ]]へ返しました。場内から拍手。|[[1990年]][[7月4日]][[1990 FIFAワールドカップ|W杯イタリア大会]]準決勝・西ドイツ対イングランド}}&lt;br /&gt;
{{Quote|*声は大地からわき上がっています。新しい時代の到来を求める声です。総ての人を魅了する夢、[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]。夢を紡ぐ男たちは揃いました。今、そこに、開幕の足音が聞こえます。[[1993年]][[5月15日]]。[[東京ヴェルディ1969|ヴェルディ川崎]]対[[横浜F・マリノス|横浜マリノス]]。宿命の対決で幕は上がりました。|1993年5月15日|[[1993年Jリーグ開幕節|Jリーグ開幕戦]]・ヴェルディ川崎対横浜マリノス&amp;lt;ref name=&amp;quot;ss20081115&amp;quot;/&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
{{Quote|*光が差し込んでいます。これまで開いたことのないワールドカップへ通じる道の重い扉から幾筋もの光が差し込んでくるように感じられます。[[1954年]]昭和29年、[[1954 FIFAワールドカップ|第5回スイス大会]]予選に初めてワールドカップの門をたたいて以来およそ40年。日本は[[サッカーイラク代表|イラク]]との試合でワールドカップ本大会への扉を開け放とうとしています。これから始まる90分間で、40年の歴史を変えようとしているんです&amp;lt;ref name=&amp;quot;allabout&amp;quot; /&amp;gt;。&lt;br /&gt;
*ついにイラク同点に追いつきました。日本2対2とされました。さあ、日本、急ぎたい。日本急ぎたい。日本急ぎたい。アメリカへの道、重い扉ついに、引き分けというかたちで終わってしまいました、日本。食い下がりましたが、日本、食い下がりましたが、日本、結局、最後の最後、同点に追いつかれて2対2。ついにラモスも……（無言）&amp;lt;ref&amp;gt;[http://number.bunshun.jp/articles/-/431730?page=3 アナウンサー山本浩の回想 日本サッカー、幼年期の終わり。] Number Web 2013年5月15日付記事&amp;lt;/ref&amp;gt;|[[1993年]][[10月28日]]|[[1994 FIFAワールドカップ|W杯アメリカ大会]][[1994 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア地区最終予選]]・日本対イラク（いわゆる「[[ドーハの悲劇]]」）}}&lt;br /&gt;
{{Quote|*歴史が刻まれる瞬間を、心の準備をして間近に見る機会があるとしたならば、今日のその日がそれに当たります。|[[1994年]][[7月17日]]|[[1994 FIFAワールドカップ・決勝|W杯アメリカ大会決勝]]・[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]対[[サッカーイタリア代表|イタリア]]}}&lt;br /&gt;
{{Quote|*[[前園真聖|前園]]が声を掛ける。ニッポンに声をかける前園。&lt;br /&gt;
*（試合後）実にサッカーを始めた子供が、大人になって、また子供を産んで、28年というのはそれだけ、長い年月（としつき）でした。&lt;br /&gt;
*何かあのー、日本中のテレビを見てくだすってる方々と、一人ずつ握手をして回りたい気分ですね。|[[1996年]][[3月26日]]|[[アトランタオリンピックにおけるサッカー競技|アトランタオリンピック]]アジア最終予選準決勝・[[サッカー日本代表|日本]]対[[サッカーサウジアラビア代表|サウジアラビア]]（日本が28年ぶりのオリンピック出場を決めた試合&amp;lt;ref name=&amp;quot;ss20081115&amp;quot;/&amp;gt;）}}&lt;br /&gt;
{{Quote|*このピッチの上、円陣を組んで、今、散った日本代表は、私たちにとっては「彼ら」ではありません。これは、私たちそのものです。|[[1997年]][[11月16日]]、[[1998 FIFAワールドカップ|W杯フランス大会]][[1998 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア第三代表決定戦]]・[[サッカー日本代表|日本]]対[[サッカーイラン代表|イラン]]（いわゆる「[[ジョホールバルの歓喜]]」、延長戦開始直前&amp;lt;ref name=&amp;quot;ss20081115&amp;quot;/&amp;gt;）}}&lt;br /&gt;
{{Quote|*声は届いています。はるか東の方から、何百万、何千万もの思いが、大きな塊になって聞こえてくるようです。遠かった道のりでした。本当に遠かった道のりでした。[[サッカー日本代表|日本]]の、世界の舞台に初めて登場するその相手は[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン]]。世界が注目するカードです。|[[1998年]][[6月14日]]|[[1998 FIFAワールドカップ|W杯フランス大会]]グループH・日本対アルゼンチン&amp;lt;ref name=&amp;quot;allabout&amp;quot; /&amp;gt;（日本のW杯本選初戦）}}&lt;br /&gt;
{{Quote|*振り返らずに歩く道です。スタンドの波打つ音が聞こえてきます...芝の匂いがしてきます...そこに広がるのは、私たちの20世紀を締めくくる戦場です。[[リヨン]]、[[スタッド・ジェルラン|ジェルラン競技場]]。日本はここで終るのではありません。自分たちの明日に、[[2002 FIFAワールドカップ|私たちの2002年]]につなぐ90分間にしなければなりません。ワールドカップ第3戦、日本対[[サッカージャマイカ代表|ジャマイカ]]。勝つために戦います。|[[1998年]][[6月26日]]|W杯フランス大会グループH・日本対ジャマイカ&amp;lt;ref name=&amp;quot;allabout&amp;quot; /&amp;gt;（この試合開始の時点で日本はグループリーグ敗退が決まっていた）}} &lt;br /&gt;
{{Quote|*優勝経験のある[[サッカーイタリア代表|イタリア]]か、それとも地元開催の[[サッカーフランス代表|フランス]]か。勝利の女神は非常に厳しい選択を迫られています。&lt;br /&gt;
*（PK戦で最終キッカーのイタリア・[[ルイジ・ディ・ビアジョ]]のシュートがゴールバーにはじかれた直後）イタリアの希望は金属の音と共に消えてゆきました。&lt;br /&gt;
*PK戦の末、フランス…フランス国民はまだまだ希望の星を赤々と燃やし続けています。|1998年[[7月3日]]|[[サッカーにおけるイタリアとフランスのライバル対決#1998 FIFAワールドカップ|W杯フランス大会準々決勝]]・フランス対イタリア}}&lt;br /&gt;
{{Quote|*自由なチャレンジャー、[[サッカーフランス代表|フランス]]。20世紀に君臨した、[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]。喜んで戦うフランス、どっしりと受けて立つブラジル。応援に包まれるフランス、経験が支えるブラジル… どんな言葉で語ってみても、この2つのチームはそれぞれの表現を裏付けるサッカーを、しっかりと持っています。&lt;br /&gt;
*（後半ロスタイムに[[エマニュエル・プティ]]がゴールを決めた直後）ブラジルに、終わりの鐘を告げる3点目です。|1998年[[7月12日]]|[[1998 FIFAワールドカップ 決勝|W杯フランス大会決勝]]・フランス対ブラジル}}&lt;br /&gt;
{{Quote|*いつもの空、いつもの風、そして、いつもの芝。しかし空気だけは今年は違います。[[第78回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第78回天皇杯]]決勝戦。全国に共感を巻き起こしながら今日を最後の[[横浜フリューゲルス]]。対する[[清水エスパルス]]は初めての決勝戦です。&lt;br /&gt;
*（試合後）私達は忘れないでしょう。横浜フリューゲルスという、非常に強いチームがあったことを。[[国立霞ヶ丘陸上競技場|東京国立競技場]]、空は今でもまだ、横浜フリューゲルスのブルーに染まっています。|[[1999年]][[1月1日]]|第78回天皇杯決勝・横浜フリューゲルス対清水エスパルス（合併消滅前の「横浜フリューゲルス」としての最後の試合）}}&lt;br /&gt;
{{Quote|*選手が手にしていた花。小さな花ですが、立派に咲かせた花でした。|[[1999年]][[4月24日]]|[[1999 FIFAワールドユース選手権|ワールドユースナイジェリア大会]]決勝・[[U-20サッカー日本代表|日本]]対[[サッカースペイン代表|スペイン]]}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{FIFAワールドカップ決勝戦実況アナウンサー}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:やまもと ひろし}}&lt;br /&gt;
[[Category:NHK解説委員]]&lt;br /&gt;
[[Category:NHKの元職員アナウンサー]]&lt;br /&gt;
[[Category:スポーツアナウンサー]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の評論家]]&lt;br /&gt;
[[Category:法政大学の教員]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京外国語大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:島根県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1953年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
{{ana-stub}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>219.105.210.27</name></author>
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