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	<title>安南 - 版の履歴</title>
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		<title>2014年4月25日 (金) 14:31に221.94.14.18による</title>
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		<updated>2014-04-25T14:31:27Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;{{Otheruses}}&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;安南&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（あんなん、{{lang-fr-short|l&amp;#039;Annam}}、{{lang-vi-short|An Nam}}）は、[[フランス]]統治時代の[[ベトナム]]北部から中部を指す歴史的地域名称で、[[唐]]代の[[安南都護府]]に由来する。ただし、これはフランス側の呼称であって阮朝ベトナムの行政区分における&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;中圻&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（チュンキ）に相当している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 名称 ==&lt;br /&gt;
[[フランス]]の植民地支配下では[[フランス領インドシナ|インドシナ連邦]]を構成する被[[保護国]]、即ち[[阮朝]]支配下のベトナム中部に対して安南という呼称が採用された。フランス植民地当局が[[トンキン]]（東京）と[[コーチシナ]]を含む&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;越南&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（ベトナム、&amp;#039;&amp;#039;le Vietnam&amp;#039;&amp;#039;）を用いることを極力避けたこともあって、[[フランス語]]の学術書などでは、ベトナム全域の呼称としても安南が用いられることが多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
=== 阮朝 ===&lt;br /&gt;
ベトナムの独立とその後の歴代君主に対する中国側からの安南国王（一時期は安南都統使）冊封等に伴い、歴代ベトナム諸王朝の統治する範囲の地理的名称としても用いられるようになった。歴代ベトナム諸王朝も[[中国]]や[[日本]]などに対しては&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;安南&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;の[[国号]]を用いていた。阮朝は&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;越南&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;、のちに&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;大南&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;という国号を名乗っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== トンキン戦争 ===&lt;br /&gt;
[[1882年]]、{{仮リンク|アンリ・リビエール|en|Henri Rivière (naval officer)}}率いるフランス軍が再びトンキンに侵攻した（{{仮リンク|トンキン戦争|en|Tonkin Campaign}}）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== フランス保護領アンナン ===&lt;br /&gt;
{{main|{{仮リンク|フランス保護領アンナン|fr|Protectorat français d&amp;#039;Annam}}}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1883年]]、[[フエ]]（順化）の阮朝政府は、フランスの軍事的圧力の下で{{仮リンク|フエ条約 (1883年)|en|Treaty of Huế (1883)|label=癸未条約}}（第一次フエ条約、アルマン条約）を締結し、安南がフランスの被保護国であることを承認させられた。この条約はさらに南部の[[ビントゥアン省|ビントゥアン]]（平順）をコーチシナ植民地に割譲し、北部の[[タインホア省|タインホア]]（清化）、[[ゲアン省|ゲアン]]（乂安）、[[ハーティン省|ハーティン]]（河靜）の3省をトンキンに編入すること、安南地方は[[関税]]、[[土木工学|土木]]を除き阮朝[[皇帝]]によって統治されること、首都フエにはフランス理事官を置くこと、トンキンは[[保護国|保護領]]として実質的にフランスの管理下に置くことなどを定めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに翌[[1884年]]には{{仮リンク|フエ条約 (1884年)|en|Treaty of Huế (1884)|label=甲申条約}}（第二次フエ条約、パトノートル条約）が調印され、フランスの代表である[[総督]]が安南国の[[外交|外交権]]を統括すること、フエ皇宮の一角にフランス守備隊を常駐させることなどが定められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 清仏戦争 ===&lt;br /&gt;
このようなフランスのベトナムに対する露骨な侵略は、ベトナムの[[宗主国]]である[[清]]の介入を招き、[[清仏戦争]]（1884年 – 1885年）が勃発するが、[[天津条約 (1885年6月)|天津条約]]によって清はベトナムに対する宗主権を放棄する。また、ベトナム国内では各地に&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;勤皇運動&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;が発生し、対仏レジスタンスが展開されるが、フエの宮廷を逃れ、山中で勤皇運動を主導していた[[咸宜帝]]が1888年、フランス軍に逮捕されたことにより、終息に向かうこととなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== フランス領インドシナ ===&lt;br /&gt;
{{main|フランス領インドシナ}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
安南は当初、フランス外務省の管轄下に置かれていたが、1887年の[[法令|政令]]によって海軍植民地省の管轄下に入り、同時に新設されたインドシナ総督によって統括されることになる。こうして安南国はインドシナ連邦を構成する一員となるが、フエ朝廷の阮朝皇帝の下でベトナム人[[官吏]]が国内行政を担当し、1916年頃までは[[科挙]]の試験も実施されていた。しかし次第に[[ベトナム語]]・フランス語混成教育機関卒業者が[[公務員]]に登用されるようになってゆく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[安南将棋]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{フランス植民地帝国}}&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あんなん}}&lt;br /&gt;
[[Category:ベトナムの地理]]　&lt;br /&gt;
[[Category:保護国]]&lt;br /&gt;
[[Category:フランス領インドシナ]]&lt;br /&gt;
[[Category:かつて存在したアジアの国家]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>221.94.14.18</name></author>
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