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	<title>太史慈 - 版の履歴</title>
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		<title>2014年8月17日 (日) 16:49に180.144.16.186による</title>
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		<updated>2014-08-17T16:49:25Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;{{三国志の人物&lt;br /&gt;
|名前       = 太史慈&lt;br /&gt;
|画像       = &lt;br /&gt;
|サイズ     = &lt;br /&gt;
|説明       = &lt;br /&gt;
|王朝       = [[後漢]]&lt;br /&gt;
|称号・役職 = &lt;br /&gt;
|出生       = [[166年]]&lt;br /&gt;
|出身地     = [[青州]][[東莱]]郡黄県&lt;br /&gt;
|死去       = [[206年]]&lt;br /&gt;
|死没地     = 江蘇省鎮江市北固山&lt;br /&gt;
|ピン音     = Taishi Ci&lt;br /&gt;
|字         = 子義（しぎ）&lt;br /&gt;
|諡号       = &lt;br /&gt;
|廟号       = &lt;br /&gt;
|別名       = &lt;br /&gt;
|主君       = [[劉ヨウ (揚州牧)|劉繇]]→[[孫策]]→[[孫権]]&lt;br /&gt;
|特記事項   = &lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;太史 慈&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（たいし じ、[[166年]] - [[206年]]）は、[[中国]][[後漢]]末期の武将。[[字]]は&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;子義&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（しぎ）。[[青州]][[東莱]]郡黄県の人。子は[[太史享]]。子孫に[[梁 (南朝)|梁]]の学者の太史叔明がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
若くして学問を好んだ。身の丈は七尺七寸（約177cm）で武勇に優れ、[[弓 (武器)|弓]]を扱えば百発百中の名手であった。後に[[孫策]]と共に山賊討伐を行なった時、遠くに見える砦の上から罵声を浴びせかけてきた一人の山賊が、手に木を掴んでいるのを見ると、掴んでいた木と共に手を射貫いたという逸話もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===青州時代===&lt;br /&gt;
初めは東莱郡の官吏を務めた。郡と青州が確執を起こした際、都へ郡の上奏を届けた。この時、機転を利かせて州側の上奏を切り破り、郡に有利な処分を引き出した。このため州から疎まれ、[[遼東]]郡に逃走した。この留守の間、彼の母の面倒を[[孔融]]が見たという。その恩に報いるため、孔融が[[黄巾の乱|黄巾]]軍の残党である[[管亥]]に攻められた時、太史慈は救援に駆けつけた。しかし管亥の攻撃は激しかった。そこで太史慈は、城外で弓の練習を始め敵兵の注目を集めた。それを何日も繰り返して、敵兵も「また練習だろう」と興味を持たなくなったところを、一気に単騎で敵の包囲網を突破し、[[平原]]の丞を務めていた[[劉備]]に救援要請の使者として赴いた。援軍が駆けつけると賊兵は囲みを解いて逃げ去った。救出された孔融は、以前にも増して太史慈を尊重し「あなたは我が若き友だ」と称揚した。一連の事態が収まると太史慈は母親にこの事を報告した。母親も「あなたが孔融殿に恩返しできた事を嬉しく思います」と太史慈を讃えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===孫策に降伏===&lt;br /&gt;
孔融を助けた後、太史慈は同郷の[[揚州]][[刺史]]であった[[劉ヨウ (揚州牧)|劉繇]]に目通りしたが、その元を立ち去らぬ内に孫策の軍勢が攻めて来た。太史慈を[[大将軍]]に任命して当たらせれば、と進言する者もいたが、劉繇は「子義（太史慈）殿を使ったりすれば、[[許劭|許子将]]殿が私の事を笑ったりされないだろうか」と心配し、太史慈には偵察任務だけを与えた。太史慈は同じく偵察に出ていた孫策と出くわし、一騎討ちを挑んだが、決着がつかずに両者は退いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結局劉繇は孫策に敗れた。劉繇敗走後も、太史慈は自ら兵士をまとめて[[丹陽]][[太守]]を称して抵抗したが、敗れて捕らえられた。しかし、彼と一騎討ちしてその武勇を認めていた孫策は、太史慈の縄を自ら解き、折衡[[中郎将]]に任じた上で、[[呉郡]]に戻ると兵を預けた。その後、劉繇が病死した事を知ると、残兵を掻き集めてくると言って孫策の下から離れた。孫策の部下の多くが裏切るのではないかと口々に言ったが、孫策は太史慈を信じていた。その後、太史慈は約束通り残党兵を掻き集めて戻ってきたのである。この功績により、建昌[[都尉]]に任じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 孫家の武将として ===&lt;br /&gt;
[[劉表]]の甥[[劉磐]]の幾度に亘る侵攻も防ぎ、[[黄祖]]討伐などでも大いに功績を挙げ、孫策・[[孫権]]から重用された。[[曹操]]も太史慈の噂を聞いて、是非家臣に迎えたいと「当帰」という薬草を贈り好条件で誘ったが、太史慈は孫権への忠義を選んで拒絶したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
因みに「当帰」は「故郷（青州）に帰るべし」という意味を含んでおり、当時曹操が既に青州も勢力下においていたので、つまり「私の元に来い」という暗示であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その死 ===&lt;br /&gt;
[[三国志 (歴史書)|正史]]では、[[赤壁の戦い]]前の206年に41歳で死去した。[[裴松之]]の注に引く『呉書（[[韋昭]]撰）』によれば、「大丈夫という者がこの世に生まれたからには、七尺の剣を帯びて天子の階を登るべきを、その志が実現できぬ内に死ぬ事になろうとは」という発言を、死ぬ間際に言ったとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、太史慈の墓は[[1870年]]に[[江蘇省]][[鎮江市]]北固山で発見されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 三国志演義 ==&lt;br /&gt;
小説『[[三国志演義]]』では、「双戟」を愛用武器としている、赤壁の戦いでも存命して大いに活躍している。また翌年には[[合肥の戦い]]で[[張遼]]と戦い、夜襲を仕掛けた時に受けた矢傷が基で、死去した事になっている。なお、[[吉川英治]]の小説『[[三国志 (吉川英治)|三国志]]』では、合肥の戦いで張遼に夜襲を仕掛けたものの張遼に察知され、城内に攻め込んだところで弓の伏兵に返り討ちに遭い、部下共々射殺されてしまうよう描かれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:たいし し}}&lt;br /&gt;
[[Category:三国志の登場人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:漢代の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:呉の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:166年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:206年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:煙台出身の人物]]&lt;br /&gt;
{{Link GA|zh-classical}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>180.144.16.186</name></author>
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