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	<title>三国志 - 版の履歴</title>
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		<title>114.190.246.113: /* 日本における三国志の受容と流行 */</title>
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		<updated>2014-08-17T14:24:31Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;span class=&quot;autocomment&quot;&gt;日本における三国志の受容と流行&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;{{Otheruses|三国志の全般|個別の派生作品など|三国志 (曖昧さ回避)}}&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;三国志&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（さんごくし）は、[[中国]]の[[後漢]]末期から[[三国時代 (中国)|三国時代]]にかけて群雄割拠していた時代（[[180年]]頃 - [[280年]]頃）の興亡史である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
「三国志」とは、[[魏 (三国)|魏]]（ぎ）・[[呉 (三国)|呉]]（ご）・[[蜀]]（しょく）の三国が争覇した、[[三国時代 (中国)|三国時代]]の歴史を述べた歴史書である。撰者は[[西晋]]の[[陳寿]]（[[233年]] - [[297年]]）（詳しくは『&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;[[三国志 (歴史書)]]&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;』を参照）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後世、歴史書の『三国志』やその他の民間伝承を基として[[唐]]・[[宋 (王朝)|宋]]・[[元 (王朝)|元]]の時代にかけてこれら三国時代の三国の争覇を基とした[[説話 (中国)|説話]]が好まれ、その説話を基として[[明]]の初期に[[羅貫中]]らの手により、『&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;[[三国志演義]]&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;』として成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「三国志」の世界は『三国志演義』を基としてその後も発展を続け、世界中に広まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==「三国志（歴史書）」と「三国志演義」の違い ==&lt;br /&gt;
{{main|三国志演義の成立史}}&lt;br /&gt;
単に『三国志』と言う場合、本来[[陳寿]]が記した史書のことを指す。対して『三国志演義』とは、[[明]]代の[[白話小説]]であり、『三国志』を基としながらも[[説話 (中国)|説話]]本や[[雑劇]]から取り込まれた逸話や、作者自身による創作が含まれている。また、登場する地名・官職名・武器防具などは三国時代の時代考証からみて不正確なものも多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 中国における三国志の受容と流行 ==&lt;br /&gt;
===『三国志（歴史書）』の受容===&lt;br /&gt;
『三国志』は、信頼性の乏しい情報を極力排して簡朴明解な記述を行ったため、「質直さにおいて司馬相如を超える文章」（「陳寿伝」に載せる范頵の上表）「人物評価に見るべきものがあり、記事は公正正確なものが多い」（[[裴松之]]「上三国志注表」）などの高い評価を受けた。しかし[[宋 (南朝)|南朝宋]]の裴松之がその簡潔すぎる記述を惜しみ、当時存在した諸種の文献を引用し注釈を作成した。『三国志』とこの裴注、また『[[後漢書]]』、『[[晋書]]』、『華陽国志』、『[[世説新語]]』などに散見する三国時代の記述が三国志の史実世界を構成している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『三国志』の戦乱と激動の記録は後世、特に[[唐]][[宋 (王朝)|宋]]の[[文人]]の詩想を大いに刺激した。『三国志』をモチーフにした詩詞としては[[杜甫]]「蜀相」、[[杜牧]]「赤壁」、[[蘇軾]]「赤壁賦」、[[陸游]]「書憤」などが特に名高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
三国はそれぞれ正統性を主張したが、魏が蜀を滅ぼした後、魏から[[禅譲]]を受けるという形で[[司馬炎]]が建てた晋（[[西晋]]）によって、魏が正統であるとされた。&lt;br /&gt;
しかし、[[南北朝時代_(中国)|南北朝時代]]に入り、晋が全国政権ではなくなると（[[東晋]]）、[[習鑿歯]]が蜀漢正統論を唱え、次第に注目されるようになった。宋代には三国のうちどの国が正統であるかという、いわゆる「[[正閏論]]」が盛んになり、[[司馬光]]（『資治通鑑』）・[[欧陽脩]]（『明正統論』）・蘇軾（『正統弁論』）らは中国の過半を支配した実情から魏を正統とした。しかし、「正統」を決めようすること自体が現実的側面よりは観念的・倫理的な側面の強い議論であり、結局は観念論に基づいた[[朱子]]の蜀漢正統論（『通鑑綱目』）が主流となっていった。この歴史観は[[朱子学]]の流布と共に知識人階層に広まり、劉備を善玉とする『三国志演義』の基本設定に一定の影響を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
清代に[[考証学]]が盛んになると、[[王鳴盛]]『[[十七史商榷]]』・[[趙翼]]『[[二十二史箚記]]』・[[銭大昕]]『[[二十二史考異]]』・楊晨『三国会要』など多くの研究が著された。これら考証学の成果は民国に入って盧弼『&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;三国志集解&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;』によって集大成された。また、三国志時代の社会経済等については、同じく民国の陶元珍の『三国食貨志』（上海商務印書館　1934年）がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 『三国志演義』・大衆文化の受容 ===&lt;br /&gt;
『三国志演義』は通俗歴史小説の先駆となり、これ以後に成立する『[[東周列国志]]』『[[隋唐演義]]』『[[楊家将演義]]』などに大きな影響を与えている。『三国志演義』自体の続編としては晋代を舞台にした酉陽野史『続編三国志』がある。また民国に入って、[[周大荒]]が蜀漢が天下を統一するように改作した『[[反三国志]]』（卿雲書局 1930年）というパロディ小説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『三国志演義』は、手軽に手に入り読むことができ、また戦略の成功・失敗例が明解に描かれているため、いわば「素人向け[[兵法書]]」としても重宝された。[[張献忠]]・[[李自成]]・[[洪秀全]]らが農民反乱を起こした際、軍事の素人である彼らは『三国志演義』を「唯一の秘書」としたと言われる（黄人『小説小話』）。また初期[[清]]朝は、満州貴族達の教育に有用な漢籍を「官書」として満州語訳したが、『三国志演義』も順治7年にダハイによって訳されている。近年の奇書として成君億『水煮三国』（中信　2003年）がある。これは三国志の人物を現代世界に登場させ、ビジネス戦争を勝ち抜いていくというパロディ小説であり、未曾有の経済発展を続ける現代中国において『三国志演義』はビジネスという群雄割拠の戦乱を勝ち抜く兵法書とみなされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
三国志の物語の母体となったのは[[説話]]や[[雑劇]]、すなわち講唱文芸や演劇などの民間芸能であるが、これらは『三国志演義』という完成品を生み出した後も引き続き発展し続ける。演劇では[[京劇]]・[[川劇]]・越劇など、講唱文芸では子弟書・鼓詞・弾詞などで今も三国志は主要ジャンルの一つであり、また三国志の登場人物に関する民間[[伝説]]も多く生まれ、近年民俗資料として収集が進んでいる。これらの中には『三国志演義』とは違ったエピソードが語られているものも多くある（例えば京劇の「三国戯」において[[貂蝉]]は「任紅昌」という本名を持っているが、これは雑劇に由来する設定で『三国志演義』に取り入れられなかったものである）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現代の大衆文化としては、児童向けの『連環図画三国志』&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot;&amp;gt;日本語訳として陳舜臣監訳『画本三国志』（中央公論社 1982年）&amp;lt;/ref&amp;gt;（上海世界書局 1927年）があり、実写ドラマとして『[[三国志 諸葛孔明]]』（[[湖北電視台]] 1985年）『[[三国演義 (テレビドラマ)|三国志]]』（[[中国中央電視台]] 1990年）などがある。また近年は日本のゲーム・漫画市場における三国志ブームが逆輸入されて、日本の作品を模倣して三国志の漫画・ゲームなどを作成されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その他、中国国内での経済的意欲の高まりと共に三国志をテーマにした観光ビジネスの展開が各地で進み、ゆかりの地では巨大な石像の建立や記念施設が建てられ、中にはテーマパークのような施設も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日本における三国志の受容と流行 ==&lt;br /&gt;
=== 歴史書『三国志』の受容 ===&lt;br /&gt;
『三国志』の伝来時期は正確には判明していないようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[天平宝字]]4年（[[760年]]）に成立した『[[藤氏家伝]]』大織冠伝には、[[蘇我入鹿]]の政を「[[董卓]]の暴慢既に國に行なはる」と批判する記述があり、すでに董卓の奸臣としてのイメージが形成されていた事が窺われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
天平宝字4年[[淳仁天皇]]は舎人6人を[[大宰府]]に遣わして、吉備真備の下で「諸葛亮八陳」「孫子九地」といった陣法を修得させている（『[[続日本紀]]』巻23）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『続日本紀』巻30の[[神護景雲]]3年（[[769年]]）10月10日の条に[[孝謙天皇|称徳天皇]]が「府庫は但だ五経を蓄えるのみ、未だ三史（『史記』・『漢書』・『後漢書』）の正本有らず。渉猟の人、其の道広からず。伏して乞うらくは、列代諸史、各一本を給わりて管内に伝習し、以て学業を興さん」という大宰府の請に応じて『史記』『漢書』『後漢書』を下賜している。これらの史書が日本国内に普及する過程を示す一例である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[藤原佐世]]が撰述した平安初期の漢籍目録『日本国見在書目録』&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot;&amp;gt;『日本国見在書目録』の撰述時期は確定されていないが、大庭脩『古代中世における日中関係史の研究』p299（同朋舎出版、1996年、ISBN 4810422690）では[[寛平]]年間（[[889年]] - [[897年]]）としている。&amp;lt;/ref&amp;gt;には当時の日本に存在した後漢時代の史料として『東観漢紀』『後漢書』『三国志』『後漢紀』『帝王世紀』を挙げる。また、平安末期の藤原通憲（[[信西]]）の『通憲入道蔵書目録』には「『魏呉蜀志』二十帖」があり、[[藤原頼長]]は読了した漢籍として「『三国志』帝紀十巻」を挙げている（『[[台記]]』巻3・[[康治]]2年（[[1143年]]）9月29日条）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[太平記]]』巻20「斉藤七郎入道々献占義貞夢事付孔明仲達事」（西源院本の事書）には、大蛇に変身する夢を見た[[新田義貞]]が吉夢であると喜ぶが、斉藤道献は密かに大蛇を「臥竜」[[諸葛亮|諸葛孔明]]の奮闘と無念の死に重ね合わせ、燈明寺畷での義貞の戦死を予感するという描写がある。この物語は曹操・劉備存命中に五丈原の役が起こるなど、史実や演義などと異同がある上孔明の出廬の場面も潤色されており、日本でアレンジされた一つの三国志物語とも言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中世以降、[[五山]]の学僧や江戸の漢学者は主に朱子学に基づき三国志の人物を論評した。諸葛亮が「王佐の才」を有するか否かについて[[鵜飼石斎]]はこれを肯定し、[[伊藤仁斎]]はこれを否定した&amp;lt;ref&amp;gt;鵜飼石斎『古文真宝後集諺解大成』巻17・「後出師表」（[[寛文]]3年（[[1663年]]））。伊藤仁斎『古学先生文集』巻2・「論諸葛孔明非王佐之才」（[[享保]]2年（[[1717年]]））。長尾直茂『伊藤仁斎、東涯父子の諸葛孔明観』（漢文学研究会『漢文學　解釋與研究』3号、2000年）。「中世禅林における諸葛孔明像」（『漢文学　解釋與研究』6号 2003年」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[林鵞峰]]以降、江戸期の漢詩の題材としても三国志の人物が好まれ、特に[[関羽]]と諸葛亮が至忠の烈臣として讃えられた&amp;lt;ref&amp;gt;長尾「江戸時代の漢詩文に見る関羽像－『三国志演義』との関連に於いて－」（日本中国学会『日本中国学会報』51号、1999年）「江戸時代の漢詩文に見る羽扇綸巾の諸葛孔明像－『三国志演義』との関連において」（『漢文學 解釋與研究』7号、2004年）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。明治期の[[土井晩翠]]の新体詩「星落秋風五丈原」（[[明治]]32年（[[1899年]]）『天地有情』所収）もこの伝統を踏まえたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治以降の正史に基づいた史伝として内藤湖南『諸葛武侯』（東華堂 1897年）、吉川幸次郎『三国志実録』（筑摩書房 1962年）がある。また陳舜臣『秘本三国志』などの小説の一部には正史の記述が取り入れられている。しかし、吉川三国志などの急速な普及により三国志といえば、『三国志演義』の物語を指すのが通常であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
状況が一変したのは、[[井波律子]]・[[今鷹真]]らによる日本語完訳『世界古典文学全集24 三国志』（全3巻、筑摩書房 1977年 - 1989年）で、後に『正史　三国志』は、[[ちくま学芸文庫]]版（全8巻、1993年）で改訂再刊されてからである。これらにより、幅広い世代の三国志愛好家が正史を読めるようになり、多くの人々が『三国志演義』により固定化されていたイメージに疑問を持つようになった。これ以降、正史を基礎とした三国志の解説書が多数登場し、漫画やゲームなどにも正史を基にした作品が現れるようになった&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot;&amp;gt;『[[三國志シリーズ]]』では正史にのみ言及のある人物が登場したり正史に基づいた能力値設定が行われている。また『[[蒼天航路]]』のように、「演義の固定観念を排する」ことを喧伝している漫画作品もある。&amp;lt;/ref&amp;gt;。ただし、これらの作品はいずれも横山三国志（[[漫画家]][[横山光輝]]）など従来の演義ベースの設定に拠っている部分も多く（特に人物の外見や武具など）、純粋に正史に基づいた作品というよりは、演義に基づいた三国志ブームの中で人物設定や出来事など一部の事柄を正史に基づいて再構成したという意味合いが強い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 『三国志演義』・大衆文化の受容 ===&lt;br /&gt;
『三国志演義』の伝来時期は確定されていないが、江戸初期には『演義』受容の記録が漸く増加し、詩文などの中に演義の影響を受けたものも見られる。&amp;lt;ref&amp;gt;中央公論社『中村幸彦著述集』第7集（1984年）・1章「唐話の流行と白話文学書の輸入」p26以降。&amp;lt;/ref&amp;gt;[[林羅山]]は[[慶長]]9年（[[1604年]]）までに『通俗演義三国志』を読了した&amp;lt;ref&amp;gt;『羅山林先生集』附録巻1・慶長9年の条。&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、[[元和 (日本)|元和]]2年（[[1616年]]）に徳川家康の遺志により[[駿府]]の文庫から[[水戸藩]]・[[尾張藩]]へ移された書籍の内に『演義』があった&amp;lt;ref&amp;gt;水戸藩蔵書につき川瀬一馬『駿河御譲本の研究』p28（日本書誌學会『書誌學』3巻4号、1934年）。尾張藩蔵書につき福井保『「駿河御譲本の研究」を読みて』p23（『書誌學』3巻5号、1934年）。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『三国志演義』の日本語訳は、[[元禄]]2年（[[1689年]]） - 5年（[[1692年]]）に湖南文山（『大観随筆』によれば天龍寺の僧義轍および月堂の筆名）『&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;通俗三国志&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;』が刊行される。これは日本で完訳された初めての外国小説であり、満州語版に次いで2番目の外国語訳『三国志演義』である&amp;lt;ref&amp;gt;金文京「三国志の世界 後漢・三国時代」13頁。（講談社『中国の歴史 第4巻』、2005年、ISBN 4062740540）&amp;lt;/ref&amp;gt;。同書は以後も再刊を繰り返し、葛飾戴斗（[[葛飾北斎]]の弟子）の錦絵を付した池田東雛亭編『&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;絵本通俗三国志&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;』&amp;lt;ref&amp;gt;落合清彦校訂、[[第三文明社]]（全12巻）、1983年。&amp;lt;/ref&amp;gt;（[[天保]]7年（[[1836年]]） - 12年（[[1841年]]刊））が人気を博し、明治には[[幸田露伴]]『新訂通俗三国志』（東亜堂書房 1911年）がある。明治以後には『通俗三国志』以外にも諸種の訳が現れ、明治期には[[久保天随]]『新訳演義三国志』（至誠堂 1912年）が名高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和から平成にかけ、出版された主な訳本に、[[小川環樹]]・金田純一郎『三国志』（[[岩波文庫]] （改版全8巻、1988年&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot;&amp;gt;ワイド版岩波文庫も刊。なお旧版は全10巻、1973年完結。&amp;lt;/ref&amp;gt;）、[[立間祥介]]『三国志演義』（[[平凡社]]、初版1958年&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot;&amp;gt;平凡社で、様々な版で刊行し重版した&amp;lt;/ref&amp;gt;／徳間文庫全8巻、1983年。改訳・改版全4巻）、[[井波律子]]『三国志演義』（[[ちくま文庫]]全7巻、2003年／講談社学術文庫全4巻&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot;&amp;gt;井波訳は、2014年9月より改訂再刊&amp;lt;/ref&amp;gt;）、渡辺精一『新訳三国志』（天・地・人の巻で全3巻、[[講談社]]、2000年）がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[演劇]]においても、江戸前期より三国志が題材として取り上げられた。[[寛文]]・[[延宝]]年間（[[1670年]] - [[1681年]]）には[[浄瑠璃]]『[[通俗傾城三国志]]』が上演され、[[宝永]]6年（[[1709年]]）には[[歌舞伎]]で『三国志』が上演されている。『通俗三国志』の刊行以降は一層普及し、[[文化 (元号)|文化]]8年（[[1811年]]）初演「助六由縁江戸桜」に「『通俗三国志』の利者関羽」という台詞が出る。また[[万延]]元年初演「三人吉三廓初買」では「桃園ならぬ塀越しの、梅の下にて」義兄弟の契りを結ぶ場面がある。また[[元文]]2年初演の作品に「関羽」というそのものずばりの題名もある。近年では市川猿之助のスーパー歌舞伎『新・三国志』がある。また、日本国内での祭りにも影響を与え、[[弘前ねぷた]]、[[青森ねぶた]]に代表される青森県内一円で行われる[[ねぷた]]、[[ねぶた]]祭りでは、『[[水滸伝]]』や『[[楚漢戦争|漢楚軍談]]』と共に『三国志演義』の登場人物に題材を取った[[山車]]が出されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[洒落本]]は、夢中楽介の『通人三国師』（[[天明]]元年（[[1781年]]）刊がある。劉備が[[吉原 (東京都)|吉原]]で料亭を営むところに借金を抱えた孔明が転がり込み、さらに仲達が押し掛けるが孔明の計略で撃退される、という筋立てである。このような三国志のパロディは文人のみならず読者層にも三国志の物語が広く敷衍していたことを示すもので、江戸人の『演義』読解への熱意を見出す見解がある&amp;lt;ref&amp;gt;徳田武『日本近世小説と中国小説』13章・「『讃極史』と『三国志』」p400（青裳堂書店『日本書誌学大系』51、1987年）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--また、[[文政]]・[[天保]]年間に刊行された草双紙『[[傾城三国志]]』は、登場人物を女性化した[[パロディ]]で、三国志の女性化創作ものの先駆とされている&amp;lt;ref&amp;gt;[[国立国会図書館]] [http://www.ndl.go.jp/jp/event/exhibitions/1195909_1376.html 関西館小展示　「時空をかける三国志」]&amp;lt;/ref&amp;gt;。　リンク先には浄瑠璃とあるが年代が食い違うため保留--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[曲亭馬琴]]は羅貫中らを崇敬、自身を彼らになぞらえ、[[読本]]の表現手法において『三国志演義』に負うところが大きい&amp;lt;ref&amp;gt;中西進・厳紹{{Lang|zh|璗}}璗編『日中文化交流史叢書　第6巻・文学』p349以降（大修館書店、1995年、ISBN 446913046X）&amp;lt;/ref&amp;gt;。その一方で、随筆においては関羽に対する辛らつなコメントを残している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦国の人物を三国志の登場人物になぞらえることも行われ、[[竹中重治|竹中半兵衛]]は諸葛亮に擬せられ&amp;lt;ref&amp;gt;『豊鑑』巻1「高松」、『絵本太閤記』初篇巻6「信長発向美濃国」。&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[豊臣秀吉]]・[[徳川家康]]は諸葛亮の智謀・関羽の勇を兼備した武将と評された&amp;lt;ref&amp;gt;『[[三河後風土記|三河後風土記正説大全]]』巻19「神君越前表御退口御難儀」。原文は「徳川勢&amp;lt;small&amp;gt;并&amp;lt;/small&amp;gt;に木下の両将は太公諸葛が知謀{{Lang|zh|樊噲}}関羽が勇を兼備し給ひ前代未聞離倫絶類の神武英知なれば、…」。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治以後は『三国志演義』をもとにした[[時代小説]]も多く現れるようになり、児童向けの[[野村愛正]]『三国志物語』（大日本雄弁会講談社 1940年）などがあるが、戦後の三国志ブームの礎となったのが[[吉川英治]]の新聞小説『&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;[[三国志 (吉川英治)|三国志]]&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;』（『[[台湾日日新報]]』等に連載。単行本は大日本雄弁会講談社、初版1948年・[[六興出版]]　1956年）である。戦闘シーンなどの冗長な描写を省き、人物像にも独自の解釈を取り入れた格調高い歴史文学として評価されている。また、中国人と日本人との感性の差を考慮し、日本人にとって受け入れがたいエピソード&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot;&amp;gt;[[劉備]]をもてなすのに[[劉安 (三国志演義)|劉安]]が妻を殺してその人肉を提供するなど（[[鉢の木]]のエピソードの原型版）&amp;lt;/ref&amp;gt;に作者のコメントを寄せるなどの改変を行っている。それまで単なる悪役扱いだった曹操を、人間味あふれる乱世の風雲児として鮮やかに描いているのが特徴である。[[講談社文庫]]ほかで重版され続け、日本では吉川三国志が事実上の底本（定番本）となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これ以後は、[[柴田錬三郎]]『三国志』（[[インテルフィン|鱒書房]] 1955年）、『柴錬三国志 英雄ここにあり』（講談社 1975年）、『柴錬三国志 英雄生きるべきか死すべきか』（講談社 1977年）&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot;&amp;gt;「柴錬三国志」は合本され、『英雄三国志』に改題、講談社文庫全5巻（1996年）や、集英社文庫全6巻（2004年）で再刊された。なお『柴錬痛快文庫　三国志』（講談社文庫、2002年）は、少年少女向けに書かれた作品（少年少女世界の名作、偕成社）の再刊版。&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[陳舜臣]]『秘本三国志』（文藝春秋 1974年／中公文庫、2009年）、陳舜臣『[[諸葛亮|諸葛孔明]]』、 『[[曹操]]』、『曹操残夢　魏の曹一族』（各 中央公論社 のち同文庫）、[[北方謙三]]『[[三国志 (北方謙三)|三国志]]』（角川春樹事務所 1996年、のち同文庫）、[[安能務]]『三国演義』（講談社　1999年、のち同文庫）、[[宮城谷昌光]]『三国志』（文藝春秋　2004年-2013年&amp;lt;ref group=&amp;quot;注釈&amp;quot;&amp;gt;全12巻、「文藝春秋」誌に長期連載された。文春文庫で一部再刊。&amp;lt;/ref&amp;gt;）を代表とする「三国志」小説が次々と登場する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和後期以降でのメディア展開作品は、吉川三国志を基調に、大河[[漫画]]作品化した[[横山光輝]]『&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;[[三国志 (横山光輝)|三国志]]&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;』、[[人形劇]]でNHKで放送された『&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;[[人形劇三国志]]&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;』などが高い評価を受けた。また、[[コーエー]]（当時光栄）のシミュレーションゲームソフト『&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;[[三國志シリーズ]]&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;』がヒット作品となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高度成長期のビジネス競争の過熱の中で、競争を生き抜く知恵や企業のリーダー像の見本として、『孫子』などともに『三国志演義』もしばしば引き合いに出され、『三国志演義』に学べとしたビジネス書が多数刊行された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以降も、ゲーム・漫画（アニメ化も）において、コーエーのタクティカルアクションゲームソフト『&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;[[真・三國無双シリーズ]]&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;』、原作・原案[[李學仁]]、漫画[[王欣太]]による漫画『&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;[[蒼天航路]]&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;』などの作品が生まれ、爆発的な三国志ブームが起き、三国志はジャンルの一つとして定着する。そしてそれら三国志を題材にした作品は、必ずしも『三国志』あるいは『三国志演義』に忠実な作品ではなく、大きく改変が加えられているものも多い。また、「もし、こうなっていたら」という架空の設定で作られているものや、あるいは基になっている人物設定を大きく換えているものなど、多種多様な作品が存在している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 派生した作品 ==&lt;br /&gt;
[[:Category:三国志を題材とした作品]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 注釈 ==&lt;br /&gt;
{{reflist|group=&amp;quot;注釈&amp;quot;}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[三国志祭]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:さんこくし}}&lt;br /&gt;
[[Category:三国志|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:名数3|こくし]]&lt;/div&gt;</summary>
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