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	<title>ボロブドゥール遺跡 - 版の履歴</title>
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		<title>2014年4月9日 (水) 05:46に221.94.14.18による</title>
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		<updated>2014-04-09T05:46:47Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;[[Image:Borobudur-Nothwest-view.jpg|400px|thumb|right|ボロブドゥール寺院遺跡]]&lt;br /&gt;
&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;ボロブドゥール遺跡&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（ボロブドゥールいせき、Borobudur）は、[[インドネシア]]の[[ジャワ島]]中部の[[ケドゥ盆地]]に所在する大規模な[[仏教遺跡]]で世界的な石造遺跡。世界最大級の[[寺院|仏教寺院]]であり、「[[ボロブドゥール寺院遺跡群]]」の一部として[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]に登録されている。[[インド]]から[[東南アジア]]に伝播した[[仏教]]は一般に部派仏教（[[上座部仏教]]）と呼ばれる仏教であったが、ボロブドゥールは[[大乗仏教]]の[[遺跡]]である。2010年[[ムラピ山]]の灰で被害を受けた。&lt;br /&gt;
[[画像:Borobodur1.jpg|400px|thumb|right|ボロブドゥールの円形壇上の仏塔と仏像]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Borobdur9205.jpg|250px|right|thumb|ボロブドゥール遺跡遠景]]&lt;br /&gt;
ボロブドゥール遺跡は、中部ジャワの中心都市[[ジョグジャカルタ]]の北西約42km、首都[[ジャカルタ]]からは東南東約400kmに所在し、巨大な[[ムラピ火山]]などの山々に囲まれた[[平野|平原]]の中央に立地する。遺跡総面積はおよそ1.5万m&amp;lt;sup&amp;gt;2&amp;lt;/sup&amp;gt;。高さはもともと42mあったが、現在は破損して33.5mになっている&amp;lt;ref name=Moriai&amp;gt;{{Cite book|和書 |editor=盛合禧夫 |year=2000 |title=アンコール遺跡の地質学 |publisher=連合出版 |isbn=4-89772-155-5 |pages=26-28}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[シャイレーンドラ朝]]の時代、大乗仏教を奉じていたシャイレーンドラ王家によって、[[ダルマトゥンガ王]]治下の[[780年]]頃から建造が開始され、[[792年]]頃に一応の完成をみたと考えられ、[[サマラトゥンガ王]]（位[[812年]]-[[832年]]）のときに増築されている（詳細は[[ボロブドゥール遺跡#時代背景|後述]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Borobudur Cross Section en.svg|280px|left|thumb|遺跡断面概念図]]&lt;br /&gt;
ボロブドゥールは、平原の中央にある径約50mの天然の丘に[[盛土]]のうえ、[[安山岩]]や[[粘板岩]]を積み上げてつくられている。[[寺院]]として人びとに信仰されてきた建造物であるが、内部空間を持たないのが際だった特徴である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いちばん下に一辺が約115mの屈折した方形の基壇があり、その上に基壇と相似形をなし、やはり屈折した5層の方形壇、さらにその上に3層の円形壇があり、全体で9層の[[階段]][[ピラミッド]]状の構造となっている。この構造は、仏教における[[三界]]をあらわしていると考えられている（詳細は[[ボロブドゥール遺跡#三界の思想|後述]]）。なお、それぞれの高さの比は 2 : 3 を基調とし、全体で 4 : 6 : 9 の比によって構成されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Borobodur2.jpg|150px|right|thumb|方形壇回廊のレリーフ]]&lt;br /&gt;
[[画像:Borobudur mural.jpg|180px|left|thumb|方形壇回廊&amp;lt;br/&amp;gt;（右下にレリーフ）]]&lt;br /&gt;
5層の方形壇の縁は壁になっていて、各層に幅2mの露天の回廊がめぐらされる。方形壇の四面中央には階段が設けられており、円形壇まで登れるようになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
総延長5kmにおよぶ方形壇の回廊には、仏教説話にもとづいた1460面におよぶ浮彫彫刻[[レリーフ]]が時計回りにつづいており&amp;lt;ref name=&amp;quot;NHK2_79&amp;quot;&amp;gt;[[#NHK2_1991|NHK美の回廊をゆく② (1991)]] 、79頁&amp;lt;/ref&amp;gt;、登場人物は1万人におよぶとされている。同様に1212面の装飾浮彫には&amp;lt;ref name=&amp;quot;NHK2_79&amp;quot;/&amp;gt;、天人や[[羅刹]]、鳥獣、[[唐草模様|植物文様]]およびインド神話に登場する伝説上の鳥獣などがみられる&amp;lt;ref name=&amp;quot;NHK2_127&amp;quot;&amp;gt;[[#NHK2_1991|NHK美の回廊をゆく② (1991)]] 、127頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお、外層、内層ともに四方に階段をもち、各面いずれも全く同形同構造で、どれを正面とするかわからない、[[幾何学]]的に均斉な構造となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[仏像]]は、第一回廊から第四回廊の[[壁龕]]（くぼみ）に432体&amp;lt;ref name=&amp;quot;NHK2_79&amp;quot;/&amp;gt;、3段の円形壇の上に築かれた釣鐘状のストゥーパ72基の内部に1体ずつ納められており&amp;lt;ref name=&amp;quot;NHK2_125&amp;quot;&amp;gt;[[#NHK2_1991|NHK美の回廊をゆく② (1991)]] 、125頁&amp;lt;/ref&amp;gt;、いずれも一石造りによって等身大につくられ、計504体を数える&amp;lt;ref name=&amp;quot;NHK2_121&amp;quot;&amp;gt;[[#NHK2_1991|NHK美の回廊をゆく② (1991)]] 、121頁&amp;lt;/ref&amp;gt;（詳細は[[ボロブドゥール遺跡#仏像|後述]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
レリーフは、その構図の巧みさ、洗練された浮彫彫刻の技法、細部表現の優雅さで知られ、仏像とともにインドの[[グプタ朝|グプタ美術]]の影響が強く認められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Borobudur Helfferich-Sammlung.jpg|180px|left|thumb|ボロブドゥールのストゥーパ]]&lt;br /&gt;
ボロブドゥールはまた、その形状から世界最大級の[[仏塔|ストゥーパ]]（仏塔）でもある&amp;lt;ref&amp;gt;ボロブドゥールをストゥーパとみなすのは、ひとつの定説となっているが、インドには同様のストゥーパが皆無なことから、この定説に疑問を呈している学者もいる。&amp;lt;/ref&amp;gt;。ストゥーパとは、[[釈迦]]の遺骨や[[遺物]]などをおさめた建造物であるが、ボロブドゥールは、さらに内部にも多数のストゥーパを有する特異な構造を呈している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ストゥーパの釣鐘状になっている部分は、一辺23cm大の石のブロックを目透かし格子状に積み上げ、中の仏像を拝することができるようになっている。[[漆喰]]などの[[接着剤]]の類は一切用いられていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ストゥーパ72基は、全体では三重の円を描くように並び、下層より32基、24基、16基あって&amp;lt;ref name=&amp;quot;NHK2_83&amp;quot;&amp;gt;[[#NHK2_1991|NHK美の回廊をゆく② (1991)]] 、83頁&amp;lt;/ref&amp;gt;、頂上には釈迦の[[仏舎利|遺骨]]を納めたとされる、ひときわ大きなストゥーパがあり、天上をめざしている。この中心塔には[[大日如来]]を置かず空洞にしており、これは大乗仏教の真髄である「[[空 (仏教)|空]]」の思想を強調しているとされ、ジャワ仏教の独自性が示されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ボロブドゥールは、それ自体が仏教的宇宙観を象徴する巨大な[[曼荼羅]]といわれ、一説には、[[須弥山]]を模したものとも考えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史背景 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Borobudur ship.JPG|230px|right|thumb|船のレリーフ]]&lt;br /&gt;
[[画像:Borobudur stupa.jpg|230px|right|thumb|円形壇上のストゥーパ]]&lt;br /&gt;
[[画像:Borobudur_Kinkei.jpg|left|180px|thumb|ボロブドゥール近景&amp;lt;br/&amp;gt;壁龕内の仏像が確認できる。]]&lt;br /&gt;
[[シャイレーンドラ朝]]は、[[8世紀]]半ばから[[9世紀]]にかけて[[オーストラロイド]]系の民族が[[ジャワ島]]中部に建てたとされる王朝である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
シャイレーンドラは[[サンスクリット語]]で「山からの王」という意味であり、[[インドシナ半島]]の古代王国[[扶南]]の「プノン」（山）と何らかの関係があるのではないかという推論も唱えられている。この王朝の成立経緯については、[[シュリーヴィジャヤ王国]]が8世紀半ば以降にジャワ島中部に進出したという説と、ジャワ王家でシュリーヴィジャヤに君臨した王朝であるという説があり、詳細はいまだ不明である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大乗仏教を保護し、ボロブドゥールはじめ数多くの仏教建築をのこしたほか、サンスクリットの辞典『[[アマラテラ]]』を古代ジャワ語に翻訳している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ボロブドゥール寺院の造営は、[[778年]]のカラサン碑文によれば、[[ダルマトゥンガ王]]は[[ヒンドゥー教]]を奉ずるサンジャヤ王家（[[古マタラム王国]]）の[[パナンカラン王]]に対し、ターラ（多羅菩薩）をまつるための寺院とシャイレンドラ王家を祀る[[僧|仏僧]]のための僧院を建造するよう提案したことによって始まったとしており、780年頃より造営が開始されたものとみられる。それに対してパナンカラン王は、周辺の土地を免税とする代わり、その地からの収入を[[寺院]]造営に利用するよう命じたと碑文では記している。[[サングラーマグナンジャヤ王]]治下の792年、ボロブドゥール本体の建設を一応完了している。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:ReliefBBorobudur.jpg|180px|left|thumb|基壇壁面のレリーフ&amp;lt;br/&amp;gt;上段は釈迦の一生、&amp;lt;br/&amp;gt;下段は因果応報の[[たとえ話]]。]]&lt;br /&gt;
サンジャヤ王家は、シャイレーンドラ朝に服属し、その証として仏教建造物への寄進を行っていたが、シャイレーンドラ王家とサンジャヤ王家との関係は必ずしも敵対的ではなく、サマラトゥンガ王の娘でシャイレーンドラ王女の[[プラモーダヴァルダニー]]とサンジャヤ朝の王子[[ラカイ・ピカタン]]は婚姻関係を結んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[サマラトゥンガ王]]治下の[[824年]]、ボロブドゥール寺院の工事が再開され、それは[[833年]]まで続いている。しかし、サマラトゥンガの死没した[[832年]]、王の後継者が未だ幼いことから、その姉にあたるプラモーダヴァルダニーがシャイレーンドラ朝の[[摂政]]となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Borobudur buddha.jpg|230px|thumb|right|釈迦如来]]&lt;br /&gt;
その後、実権はプラモーダヴァルダニーの夫ラカイ・ピカタンにうつり、2人はチャンディ・ロロ・ジョングランをはじめとするヒンドゥー建築[[プランバナン寺院群]]を建造した。これによって、中部ジャワの地は、再び[[シヴァ]]信仰を奉ずるヒンドゥー勢力に支配され、大乗仏教はジャワより後退した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
832年以降、シャイレーンドラ朝は[[碑文]]にも[[史料]]にも現れなくなってしまうが、833年を最後にボロブドゥールの改修も終わっている。シャイレーンドラ王家のその後の消息を伝える唯一の碑文によると、後継者争いに破れたシャイレーンドラ家最後の王子[[バーラプトラ]]は、[[856年]]、[[スマトラ島]]の[[シュリーヴィジャヤ王国]]へ逃れ、その王女と結婚したとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このような経緯から、ボロブドゥール寺院をシャイレーンドラ王家の霊廟として考える見方もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 資材 ==&lt;br /&gt;
建築資材となったのは、厚さ20cmから30cmの切石（[[煉瓦]]様[[ブロック]]）である。ブロックは、質の粗い黒灰色の安山岩や凝灰岩を切断して製造されており、寺院はこのブロックを積み上げて建造されている。使用されたブロックの個数は200万弱におよび、容積は5万5,000m&amp;lt;sup&amp;gt;3&amp;lt;/sup&amp;gt;、総重量は約350万tにもなるといわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 三界の思想 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Borobudur Mandala.svg|200px|thumb|right|ボロブドゥールの平面基本構造]]&lt;br /&gt;
[[画像:Taizokai.jpg|200px|right|thumb|[[両界曼荼羅#胎蔵曼荼羅の構成|胎蔵曼荼羅]]（中央に[[大日如来]]を配す）]]&lt;br /&gt;
ボロブドゥールの構造は、仏教の[[三界]]をあらわしているとされる。つまり、下から、基壇は人間のいる[[欲界]]、その上は神と人間が触れあう世界である[[色界]]、さらに、その上部が[[神]]のいる[[無色界]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 欲界 (kāmadhātu) - 淫欲と食欲の2つの欲望にとらわれた[[有情]]の住む処。[[六欲天]]から人間界を含み、無間地獄までの世界。&lt;br /&gt;
* 色界 (rūpadhātu) - 欲界の2つの欲望は超越したが、物質的条件（[[色 (仏教)|色]]）にとらわれた有情が住む世界。&lt;br /&gt;
* 無色界 (ārūpyadhātu) - 欲望も物質的条件も超越し、ただ精神作用にのみ住む世界であり、「[[禅定]]」に住している世界。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ボロブドゥールでは、基壇が欲界、方形壇は色界、円壇は無色界として表現されており、人は下から上へ登っていくにつれ、欲望にあふれ罪悪に満ちた世界から、禅定に達した世界へと移っていくものとされる。すなわち、[[悟り]]をめざす[[菩薩]]の修行を表現しているとみなすことができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
基壇においては、『[[分別善悪応報経]]』が160面のレリーフに彫られており、[[衆生]]の日常生活を描写しながら[[因果応報]]の教えが説かれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Borobudur relief 3.jpg|250px|thumb|left|方形壇回廊のレリーフ]]&lt;br /&gt;
方形壇の回廊のレリーフは、歴史上の出来事が中心となっている。[[釈迦]]（ガウタマ・シッダールタ）の前世の物語である[[ジャータカ]]などを絵巻物風に示し、前世の[[善財童子]]が[[巡礼]]の旅をする仏教経典『[[華厳経]]入法界品』などが描かれており、とくに釈迦の生誕から最初の説法にいたるまでの経緯については史実とともに数々の伝説もまじえて詳細に表現されている。その構図の多様性や人物表現の巧みさはボロブドゥールならではのものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
方形壇最上層の72面には[[普賢菩薩]]の[[慈悲|大慈悲心]]を讃歎する様子が具象化されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、円形壇にはレリーフはなく、[[幾何学]]的な建築意匠によって抽象的な悟りの境地が示されており、全体でいわば石上に図解された[[経典]]とも呼びうるものとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 仏像と装飾 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Borobudur-perfect-buddha.jpg|170px|right|thumb|転法輪印を結ぶ釈迦如来]]&lt;br /&gt;
=== 仏像 ===&lt;br /&gt;
回廊の外縁をめぐる壁には432体（各面108体）の仏像が安置されている&amp;lt;ref name=&amp;quot;NHK2_125&amp;quot;/&amp;gt;。仏像は、方形壇の各面で、面ごとに異なった[[印相]]を結んでいる。各面第4層（第三回廊&amp;lt;ref name=&amp;quot;NHK2_132&amp;quot;&amp;gt;[[#NHK2_1991|NHK美の回廊をゆく② (1991)]] 、132頁&amp;lt;/ref&amp;gt;）までの368体（各面92体）については、それぞれ以下のようになっている。&lt;br /&gt;
*東側：[[阿閦如来]]で指地の印&lt;br /&gt;
*南側：[[宝生如来]]で満願の印&lt;br /&gt;
*西側：[[阿弥陀如来]]で弥陀定印&lt;br /&gt;
*北側：[[不空成就如来]]で無畏の印&lt;br /&gt;
&amp;lt;gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
ファイル:COLLECTIE TROPENMUSEUM Boeddhabeeld van de Borobudur TMnr 10016277.jpg|阿閦如来（東面）&lt;br /&gt;
ファイル:COLLECTIE TROPENMUSEUM Boeddhabeeld van de Borobudur TMnr 60013976.jpg|宝生如来（南面）&lt;br /&gt;
ファイル:COLLECTIE TROPENMUSEUM Boeddhabeeld van de Borobudur voorstellende Dhyani Boeddha Amitabha TMnr 10016276.jpg|阿弥陀如来（西面）&lt;br /&gt;
ファイル:COLLECTIE TROPENMUSEUM Boeddhabeeld van de Borobudur voorstellende Dhyani Boeddha Amogasiddha TMnr 10016274.jpg|不空成就如来（北面）&lt;br /&gt;
&amp;lt;/gallery&amp;gt;&lt;br /&gt;
なお、第5層（第四回廊）の64体は&amp;lt;ref name=&amp;quot;NHK2_132&amp;quot;/&amp;gt;、東西南北ともに[[毘盧遮那仏]]で法身説法印を結んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
円形壇の72体の[[転法輪]]印の仏像は[[釈迦如来]]と考えられており、このことより、ボロブドゥール全体が[[密教]]&amp;lt;ref&amp;gt;呪術的な要素を取り入れた、[[チベット]]や[[ネパール]]などに伝わった仏教の一派。&amp;lt;/ref&amp;gt;の系統を引く巨大な立体曼荼羅であるとする説が有力である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Borobudur spout.jpg|170px|right|thumb|吐水口の彫刻]]&lt;br /&gt;
=== 装飾 ===&lt;br /&gt;
5層の方形壇の縁には壁がめぐらされ、壁には計20の吐水口が取り付けられている。吐水口は、想像上の生き物の彫刻で飾られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、壇の上下を結ぶ階段の入口は、[[カーラ (鬼)|カーラ]]（鬼面）と[[マカラ]]（海竜）で装飾された拱門（[[アーチ]]）になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 遺跡の発見と保護 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Borobudur photograph by van kinsbergen.jpg|230px|right|thumb|1873年のボロブドゥール]]&lt;br /&gt;
[[画像:Stamford Raffles statue.jpg|180px|left|thumb|ラッフルズ像]]&lt;br /&gt;
この遺跡は、久しく忘れ去られ[[密林]]のなかに埋もれていた。その原因については、[[火山]]の降灰によるものであるとする説と、[[イスラム]]教徒による破壊をおそれて人びとが埋めたという説がある。[[1814年]]に[[イギリス人]]の[[トーマス・ラッフルズ]]（当時[[ジャワ総督 (イギリス)|ジャワ総督]]代理）とオランダ人技師コルネリウスによって森のなかで再発見され、その一部が発掘された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1851年]]から[[1854年]]にかけての第2次調査では、壁面のレリーフのほとんどが現れ、[[1885年]]の[[発掘調査]]の際には、土台の内壁に、人間のあらゆる[[欲望]]を描いた160面のレリーフが現れた。崩落の危険性があるため、埋め戻され、再び覆い隠されることとなった&amp;lt;ref&amp;gt;現在では南東端の一部だけが公開されている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1900年]]には[[オランダ]]政府によって発掘調査委員会が組織され、[[1907年]]には写真記録がおこなわれた。また、1907年から[[1911年]]にかけてはオランダ人技師ファン・エルプによって復原工事がおこなわれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[インドネシアの歴史#独立後のインドネシア|インドネシア独立]]後の[[1960年代]]初頭には、遺跡は崩壊寸前の危機にあったが、[[地盤沈下]]による壁と床の傾斜、ムラピ火山の噴火後の構造破壊を防ぐ目的で、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]主導のもと[[1973年]]から10年の歳月と2,000万ドルの費用をかけて修復工事がおこなわれ、[[1982年]]に完了した。その際、水による[[浸食]]を防ぐため[[排水路]]を設ける必要が生まれたため方形壇部分をいったん全部解体し、石のひとつひとつに[[ナンバリング]]を施し、[[コンピュ－タ]]管理をおこなっている。なお、この修復事業には[[日本]]はじめ27か国が資金協力をおこなった。日本では国際技術諮問委員として[[千原大五郎]]が選出されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、1980年からは日本が技術協力をおこない、ボロブドゥールと[[プランバナン寺院群]]の2大遺跡とその周辺を歴史公園として整備し、文化遺産を保護しながら、観光と地域振興を図る計画が実施に移された&amp;lt;ref&amp;gt;このことが、一方で農地の収用と農民の立ち退きを招来する要因となっていることは本文中記載の通りである。援助をおこなった日本に対して、現地では感謝の声も多い反面、非難の声もある。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Borobudur Map en.svg|350px|left|thumb|ボロブドゥール、ムンドゥッ、パオン3寺院の位置関係]]&lt;br /&gt;
[[1991年]]にはボロブドゥール東3kmの[[ボロブドゥール寺院遺跡群#ムンドゥッ寺院|ムンドゥッ寺院]]、東1.8kmの[[ボロブドゥール寺院遺跡群#パオン寺院|パオン寺院]]とともに「[[ボロブドゥール寺院遺跡群]]」として[[世界遺産]]に登録された。この3寺院は、一直線に並んで立地することから、付近一帯がこれらを含む多数の寺院群で構成された巨大な仏教複合構造物ではなかったかという推測も持たれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、[[2006年]][[5月27日]]にジョクジャカルタ付近を震源地とする[[マグニチュード]]6.2の[[ジャワ島中部地震]]が起こり、寺院の石塔の一部が崩れるなどの被害を受けた。これについては、被害状況の調査がなされ、事後の修復を予定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 観光と巡礼 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Soeharto.jpg|right|140px|thumb|スハルト]]&lt;br /&gt;
[[1984年]][[2月22日]]、インドネシアの[[スハルト]][[大統領]]（当時）は、国家的[[イベント|行事]]として、ボロブドゥールの修復完成記念式典をおこなった。そのなかでスハルトは、ボロブドゥールが国民的宗教財産である旨の演説をおこなっているが、これは少なからず波紋をまねいた。[[1985年]]、[[イスラーム]]過激派がボロブドゥールに侵入し、円形壇のストゥーパ9基を破壊する挙に出たのである。インドネシアにおける[[仏教徒]]は、国民全体のわずかに0.4％にすぎない。遺跡周辺の村々では仏教徒はほぼゼロと言える&amp;lt;ref&amp;gt; 村井吉敬・佐伯奈津子・間瀬朋子著『エリア・スタディーズ113 現代インドネシアを知るための60章』 明石書店 2013年 141ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[画像:Children and Borobudur.jpg|left|250px|thumb|遠足に訪れた子供たち]]&lt;br /&gt;
とはいえ、ボロブドゥールは今や年間100万人の観光客が訪れる[[観光地]]となっている。ただしそれは、[[政府]]が[[外貨]]を獲得する代償として、地域住民が負担を強いられる原因ともなった。遺跡環境整備のための周辺[[農地]]の収用である。これは強制的な立ち退きを含むものであり、耕地面積の狭小な農民にとって大きな痛手となった。遺跡公園となった外側の土地も、はっきりした買収費が払われていない部分が多かった&amp;lt;ref&amp;gt; 村井吉敬・佐伯奈津子・間瀬朋子著『エリア・スタディーズ113 現代インドネシアを知るための60章』 明石書店 2013年 140ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今日、ボロブドゥールには、数多くのインドネシアの[[児童]][[在籍者 (学習者)|生徒]]が社会見学や学習旅行、[[遠足]]のために訪れるが、仏教徒がわずかなインドネシアでは管理は株式会社化し、イベントやアトラクションを考えて経営する遊園地化してしまった。しかし、ボロブドゥールは[[仏教徒]]にとって重要な意味をもつ場所であることは言うまでもない。数多くの[[僧|仏僧]]や一般信者が参詣につめかけるようになり、寺院としての本来の役割を担うようになった。&lt;br /&gt;
[[画像:Borobudur monks 1.jpg|right|230px|thumb|ボロブドゥールを参詣する仏僧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上述のような問題や批判がある一方で、国民統合の[[象徴]]のひとつとして国内外からの強い関心が払われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ボロブドゥールでは、年に1回、[[5月]]の[[満月]]の夜に[[ワイシャック]]と呼ばれる祭りが開かれている。この日はインドネシアの公式の[[祝日]]にもなっていて、国内外から熱心な仏教徒がムンドゥッ寺院に集まり、[[経典]]を唱えながら西に向けて行脚し、さらに、ボロブドゥールの回廊を登って[[涅槃]]に至るという一大[[年中行事|行事]]となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== アクセス他 ==&lt;br /&gt;
*開園時間…6:00-17:00  &lt;br /&gt;
*休園日…なし。ただし、国賓来訪の際は一般人の入場が禁止になることがある。近くにオーディオ・ビジュアル・センターがある。 &lt;br /&gt;
*入園料…（外国人）USD15またはIDR135,000。（インドネシア人）IDR10,000(約\100) (2011年5月5日現在)&lt;br /&gt;
*遺跡公園管理会社…PT.Taman Wisata Borobudur, Prambanan, Ratu Boko  &lt;br /&gt;
*住所…Borobudur Kota, Mungkid 56553 Magelang（中部ジャワ州マグラン郡ボロブドゥール村）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ジョクジャカルタ市内からはトランスジョグジャ（市営バス:IDR3,000-）とボロブドゥール行きバス乗り継ぎ（外国人はIDR15,000-ほど）でバス待合含めて約１時間半。（バスターミナルのJombor駅経由）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*空港から &amp;quot;空港タクシー&amp;quot; 利用で約50分。&lt;br /&gt;
（IDR260,000-：空港タクシー料金設定あり。　※ロビーを出ると手招きする客引きは空港タクシーではない、注意） (2011年5月5日現在)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ボロブドゥールから帰りのバスは18:00過ぎると無くなり始め、寺院周辺に流しのタクシーは殆ど見かけないので帰りの時間に注意。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references /&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*[[小学館]]編『地球紀行 世界遺産の旅』小学館＜GREEN Mook＞1999.10、ISBN 4-09-102051-8&lt;br /&gt;
*[[河部利夫]]『世界の歴史18 東南アジア』河出書房新社＜河出文庫＞1990.2、ISBN 4-309-47177-3&lt;br /&gt;
*[[ユネスコ世界遺産センター]] 編『ユネスコ世界遺産 東南アジア・オセアニア』講談社、1997.1、ISBN 4062547066&lt;br /&gt;
* {{Cite book|和書 |author=NHK取材班ほか |year=1991 |title=NHK美の回廊をゆく 東南アジア至宝の旅② |publisher=[[日本放送出版協会]] |isbn=4-14-009156-8 |ref=NHK2_1991}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
{{Commons|Category:Borobudur}}&lt;br /&gt;
* [[ボロブドゥール寺院遺跡群]]&lt;br /&gt;
* [[密教]]&lt;br /&gt;
* [[曼荼羅]]&lt;br /&gt;
* [[仏塔]]&lt;br /&gt;
* [[空 (仏教)]]&lt;br /&gt;
* [[シャイレーンドラ朝]]&lt;br /&gt;
* [[インドネシアの歴史]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{coor title dms|7|36|28.15|S|110|12|13.42|E|type:landmark|scale=10000}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ほろふとううるいせき}}&lt;br /&gt;
[[Category:インドネシアの歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:仏教遺跡]]&lt;br /&gt;
[[Category:ジャワ島]]&lt;br /&gt;
[[Category:アジアの考古遺跡]]&amp;lt;!--[[Category:インドネシアの考古遺跡]]ができたら置き換えてください--&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:考古天文学]]&lt;br /&gt;
[[Category:8世紀の建築物]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Link FA|en}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|eo}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|he}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|id}}&lt;br /&gt;
{{Link GA|fr}}&lt;br /&gt;
{{Link GA|cs}}&lt;br /&gt;
{{Link GA|es}}&lt;br /&gt;
{{Link FA|ka}}&lt;/div&gt;</summary>
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