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	<title>ゴーストップ事件 - 版の履歴</title>
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		<title>58.189.45.191: /* 終結 */</title>
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		<updated>2014-08-08T01:34:05Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;span class=&quot;autocomment&quot;&gt;終結&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;ゴーストップ事件&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（ゴーストップじけん）は、[[1933年]]（[[昭和]]8年）に[[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]の[[天六]][[交差点|交叉点]]で起きた[[兵 (日本軍)|陸軍兵]]と[[巡査]]の[[喧嘩]]、およびそれに端を発する[[大日本帝国陸軍|陸軍]]と[[日本の警察|警察]]の大規模な対立。「ゴーストップ」とは[[信号機]]を指す。別名は&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;天六事件&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;、&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;進止事件&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[満州事変]]後の大陸での戦争中に起こったこの事件は、[[軍部]]が[[法律]]を超えて動き、[[政軍関係]]がきかなくなるきっかけの一つとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の経過 ==&lt;br /&gt;
=== 発端 ===&lt;br /&gt;
[[1933年]]（[[昭和]]8年）[[6月17日]]午前11時40分頃、[[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]の[[天六|天神橋筋6丁目]][[交差点|交叉点]]で、慰労休日に映画を見に外出した[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[第4師団 (日本軍)|第4師団]][[歩兵第8連隊]]第6[[中隊]]の中村政一[[一等兵]]（22歳）が、[[市電]]を目がけて[[信号無視|赤信号を無視]]して交差点を横断した。&lt;br /&gt;
[[交通整理]]中であった[[大阪府警察部]][[曽根崎警察署]][[交通部|交通係]]の戸田忠夫[[巡査]]（25歳）は中村を[[メガホン]]で注意し、天六[[派出所]]まで連行した。&lt;br /&gt;
その際中村が「[[軍人]]は[[憲兵 (日本軍)|憲兵]]には従うが、[[日本の警察官|警察官]]の命令に服する義務はない。」と抗弁し抵抗したため、派出所内で殴り合いの[[喧嘩]]となり、中村一等兵は[[鼓膜]]損傷全治3週間、戸田巡査は[[唇|下唇]]に全治1週間の怪我を負った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
騒ぎを見かねた[[野次馬]]が[[大手前]]憲兵分隊へ通報し、駆けつけた憲兵隊[[伍長]]が中村を連れ出してその場は収まったが、その2時間後、憲兵隊は「公衆の面前で[[軍服 (大日本帝国陸軍)|軍服]]着用の帝国軍人を侮辱したのは断じて許せぬ」として曽根崎署に対して抗議した。&lt;br /&gt;
この後の[[事情聴取]]で、戸田巡査は「信号無視をし、先に手を出したのは中村一等兵である」と証言、逆に中村一等兵は「信号無視はしていないし、自分から手を出した覚えはない」と述べ、両者は全く違う主張を繰り返した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この日、第8連隊の松田四郎[[連隊|連隊長]]と曽根崎署の高柳博人[[警察署長|署長]]が共に不在であったため、上層部に直接報告が伝わって事件が大きくなった。&lt;br /&gt;
警察側は穏便に事態の収拾を図ろうと考えていたが、21日には事件の概要が[[憲兵 (日本軍)#歴代憲兵司令官|憲兵司令官]]や[[陸軍省]]にまで伝わり、最終的には[[昭和天皇]]の耳にまで入ることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 軍部と警察・内務省の対立 ===&lt;br /&gt;
[[6月22日]]、第4師団[[参謀長]]の井関隆昌[[大佐]]が「この事件は一兵士と一巡査の事件ではなく、[[日本軍|皇軍]]の威信にかかわる重大な問題である」と声明し、警察に謝罪を要求した。それに対して[[粟屋仙吉]][[大阪府警察部]]長も「軍隊が[[天皇|陛下]]の軍隊なら、警察官も陛下の警察官である。陳謝の必要はない」と言明した{{refnest|group=注釈|後に[[防衛事務次官]]となる[[今井久 (内務官僚)|今井久]]も、大阪府警務課長として粟屋を支えた&amp;lt;ref&amp;gt;[[読売新聞]]2011年8月27日&amp;lt;/ref&amp;gt;。}}。[[6月24日]]の[[寺内寿一]]第4師団長と[[縣忍]]大阪府[[都道府県知事|知事]]の会見も決裂した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京]]では、問題が軍部と[[内務省 (日本)|内務省]]との対立に発展する様相を示す。[[荒木貞夫]][[陸軍大臣]]は「陸軍の名誉にかけ、大阪府警察部を謝らせる」と息まいたが、警察を所管する[[山本達雄 (政治家)|山本達雄]][[内務大臣 (日本)|内務大臣]]と[[松本学]][[警保局|内務省警保局]]長（現在の[[警察庁長官]]に相当）は軍部の圧力に抗して一歩も譲らなかった。内務省は当時「[[日本の行政機関|官庁]]の中の官庁」と謳われる強大な権限を誇り、警保局中堅[[幹部]]を中心とする内務[[官僚]]たちは[[東京大学|東京帝国大学]][[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|法学部]]を上位の成績で卒業し、「[[新官僚]]」{{refnest|group=注釈|[[後藤文夫]]、[[清水重夫 (内務官僚)|清水重夫]]など。}}と呼ばれ新たな政治勢力として意識されていた[[エリート]]たちであって、そのプライドは高かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[7月18日]]、中村一等兵は戸田巡査を相手取り、[[刑法 (日本)|刑法]][[公務員職権濫用罪|第195条（特別公務員暴行陵虐）、同第196条（特別公務員職権濫用等致死傷）]]、同第204条（[[傷害罪]]）、同第206条（[[名誉毀損罪]]）で[[大阪地方検察庁|大阪地方裁判所検事局]]に[[告訴]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戸田巡査には私服の憲兵が、中村一等兵には私服の[[刑事]]が尾行し、憲兵隊が戸田巡査の本名は中西であること{{refnest|group=注釈|戸田巡査は[[婿養子]]に入っており、[[戸籍]]上は中西[[姓]]であった。}}を暴くと、警察は中村一等兵が過去に7回の[[交通違反]]を犯していることを発表するなど、泥仕合となった。[[新聞]]をはじめとする[[マスメディア]]はこれを「軍部と警察の正面衝突」などと大きく報じた。この騒ぎは大阪市民を沸かせ、大阪の[[寄席]]で[[漫才]]の題材にもなった。市民からは当初、警察を批判する意見が多かったが、事情が分かるにつれて軍の横暴を非難する声が多くなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件の処理に追われていた高柳曽根崎署長は疲労で倒れ入院し、7月18日にその一報を知った寺内第4師団長は、同師団参謀長の井関に「事件で心痛のあまり病状が悪化すると気の毒なので、適当に[[お見舞い]]するように」と伝えたとの逸話がある。しかしその10日後、高柳は[[腎臓]][[結石]]で急死した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[8月24日]]、事件目撃者の一人であった高田善兵衛が、憲兵と警察の度重なる厳しい事情聴取に耐え切れず[[自殺]]、[[日本国有鉄道|国鉄]][[吹田信号場|吹田操車場]]内で[[轢死]]体となって発見された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大阪地方裁判所検事局の和田良平[[検察官|検事正]]は「兵士が私用で出た場合には交通法規を守るべきである」と、警察とほぼ同じ見解を示しながらも、[[起訴]]すればどちらが負けても国家の威信が傷つくとして、仲裁に尽くした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 終結 ===&lt;br /&gt;
最終的には、事態を憂慮した[[昭和天皇]]の特命により、寺内第4師団長の友人である[[白根竹介]][[兵庫県]][[都道府県知事|知事]]が[[調停]]に乗り出した。天皇が心配していることを知った陸軍は恐懼し、事件発生から5か月目にして急速に[[和解]]が成立した。[[11月18日]]、井関第4師団参謀長と粟屋大阪府警察部長が共同声明書を発表し、[[11月20日]]に当事者の戸田巡査と中村一等兵が和田良平検事正の[[官舎]]で会い、互いに詫びたあと[[握手]]して幕を引いた。和解の内容は公表されていないが、警察側が譲歩したものだというのが定説となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==直接の原因==&lt;br /&gt;
昭和8年時点では信号そのものがめずらしく、また道路交通法制も現代の視点からみれば極めて未整備の状況であった。道路行政はすべて内務省令によっており、軍令を統括する陸海軍省とは関係がなかった{{refnest|group=注釈|内務省法令が他省庁の法令と競合し問題を起こす例は他にもあった。たとえば[[電柱]]の設置につき電信電話の道路占用に関する優遇措置法令があった逓信省は、道路行政をになう内務省としばしば対立し、この問題は1936年および42年の内務逓信両省協定まで解消されることはなかった}}。肝心の「赤信号は止まる」というルールについても法制化されたのは戦後の昭和22年11月の道路交通取締法が初めてである。中村一等兵は信号無視はしていないとの主張をおこなっているが、仮に信号無視をしていたとしても、実際にはゴーストップ事件の時点では、どのような法的根拠により赤信号で歩行者に停止を命じていたのかはっきりしない。現代の視点から「軍部の横暴」として論じられがちであるが、法律の未整備にも大きな原因がある&amp;lt;ref&amp;gt;（参考）「日本における道路交通法規の変遷」[http://members.jcom.home.ne.jp/kinmokusei/jpn_law/history.html]&amp;lt;/ref&amp;gt;と考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の影響 ==&lt;br /&gt;
結局この事件は軍と警察の[[名誉|面子]]の張り合いにすぎなかったが、解決を一番喜んだのは師団長の寺内だという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[陸軍軍法会議法|陸海軍軍法会議法]]によれば一般の警察官も[[現役]][[軍人]]の犯罪行為を告発する義務があり（296条）あるいは司法警察官の手により調書を作成する（299条）ことができたが、この規定は憲兵組織を保有しない海軍に譲歩した制定経緯があり、明治の憲兵制度創設以来、軍兵の犯罪に関する司法取締りは勤務時・非番時を問わず本来は憲兵が行うものと解釈されていた&amp;lt;ref&amp;gt;「旧陸海軍軍法会議法の制定経緯」山本政雄（防衛研究所紀要 第9巻第2号(2006年12月)）[http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/j9-2.html][http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j9_2_3.pdf]P.60、PDF-P.16&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件を契機に[[現役]][[軍人]]に対する[[行政行為]]は[[日本の警察|警察]]ではなく[[憲兵 (日本軍)|憲兵]]が行うことがあらためて意識されることとなり、[[満州事変]]後の世情に憲兵や軍部組織の統帥権と国体の問題を改めて印象付けることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 遠因、関連する事件 ==&lt;br /&gt;
軍と警察の争いは[[明治]]時代からたびたび起きていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;keishichoshi&amp;quot;&amp;gt;『警視庁史 明治編』、警視庁史編さん委員会（1959年）、69頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。その原因は[[身分]]にあり、邏卒（[[巡査]]）の多くは[[士族]]、[[兵 (日本軍)|兵卒]]の多くは[[平民]]であったことから、邏卒は元[[武士]]の優越感から兵卒を侮り、兵卒は軍隊の威力を背景に邏卒に対抗したためといわれている&amp;lt;ref name=&amp;quot;keishichoshi&amp;quot;/&amp;gt;。また、巡査は[[官吏]]であったが、兵卒は[[徴兵令]]（のち[[兵役法]]）に従って国民の[[義務]]として兵役に服している者であって、官吏ではなかった。軍人のうち[[下士官]]・[[士官]]は官吏（[[武官]]）であり、警察官は官吏（[[文官]]）である。[[巡査]]は[[判任待遇]]を受けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1881年]]（明治14年）に陸軍が[[憲兵 (日本軍)|憲兵]]制度を創設した目的の一つは、[[警視庁 (内務省)|警視庁]]（[[薩摩藩|薩摩]][[藩閥|閥]]）を牽制するためであったといわれる&amp;lt;ref&amp;gt;『警視庁史 明治編』、警視庁史編さん委員会（1959年）、165-167頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大阪においては[[1884年]]（明治17年）[[1月4日]]、[[西区 (大阪市)|西区]][[松島遊廓]]で陸軍兵士と警察官の乱闘が発生し、死者が出ている（[[松島事件]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
=== 注釈 ===&lt;br /&gt;
{{reflist|group=&amp;quot;注釈&amp;quot;}}&lt;br /&gt;
=== 出典 ===&lt;br /&gt;
{{reflist|2}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*[[東京12チャンネル]]報道部編『証言私の昭和史2 戦争への道』、学芸書林&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[松島事件]] - 陸軍大阪鎮台と大阪府警察の乱闘事件。&lt;br /&gt;
*[[二・二六事件]] - 陸軍反乱部隊によって警視庁が占拠された。&lt;br /&gt;
*[[宮城事件]] - 陸軍反乱部隊によって皇宮警察が武装解除された。&lt;br /&gt;
*[[陸軍悪玉論]]&lt;br /&gt;
*[[統帥権]]&lt;br /&gt;
*[[政軍関係]]&lt;br /&gt;
*[[文民統制]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/naniwa080322.html 大阪日日新聞　なにわ人物伝　ゴーストップの人たち(1)]&lt;br /&gt;
*[http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/naniwa080329.html 大阪日日新聞　なにわ人物伝　ゴーストップの人たち(2)]&lt;br /&gt;
*[http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/naniwa080405.html 大阪日日新聞　なにわ人物伝　ゴーストップの人たち(3)]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:こすとつふしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:昭和時代戦前の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:大阪府の歴史]]&amp;lt;!--一方の当事者が大阪府警察部であるため--&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[Category:大日本帝国陸軍]]&lt;br /&gt;
[[Category:戦前の日本警察]]&lt;br /&gt;
[[Category:1933年の日本]]&lt;br /&gt;
[[Category:大阪市北区の歴史]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>58.189.45.191</name></author>
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