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{{小文字|title=t.A.T.u.}} {{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照--> | Name = {{lang|ru|t.A.T.u.}}<br />{{lang|ru|Тату}} | Img = Tatu at VivaComet 2008 (cropped).jpg | Img_capt = Viva Comet 2008 | Img_size = <!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 --> | Landscape = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --> | Background = group | Birth_name = <!-- 個人のみ --><!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 --> | Alias = | Blood = <!-- 個人のみ --> | School_background = <!-- 個人のみ --> | Born = <!-- 個人のみ --> | Died = <!-- 個人のみ --> | Origin = {{RUS}} [[モスクワ]] | Instrument = <!-- 個人のみ --> | Genre = [[エレクトロニカ]]<br/ >[[オルタナティブ・ロック]] | Occupation = <!-- 個人のみ --> | Years_active = [[1999年]] - [[2011年]] | Label = [[インタースコープ・レコード]] (2001年 - 2006年)<br />T.A. Music (2005年 - ) | Production = T.A. Music | Associated_acts = | Influences = | URL = [http://www.tatu.ru/ www.tatu.ru/] | Current_members = [[リェーナ・カーチナ]]([[ボーカル]])<br />[[ユーリャ・ヴォルコヴァ]](ボーカル)<br/ >他 | Past_members = カーテャ・ネチャエヴァ(ボーカル)<br/ >他 | Notable_instruments = }} '''t.A.T.u.'''('''{{Lang|ru|ТАТУ}}、タトゥ、タトゥー''')は、[[1999年]]に[[ロシア連邦]][[モスクワ市]]にて[[イワン・シャポヴァロフ]]の主導によって結成された[[二人組]]の[[歌手]]。[[リェーナ・カーチナ]]と[[ユーリャ・ヴォルコヴァ]]によって構成されている。 == 概説 == 初期のt.A.T.u.は、リェーナとユーリャが[[レズビアン]]・カップルであるというイメージを前面に押し出していた。しかしそれはグループのイメージの一部でしかないことが、2003年のドキュメンタリー『'''Anatomy of t.A.T.u.'''』にて明らかにされた。リェーナとユーリャはレズビアンではない。 2008年8月のインタビューにてリェーナは、すべてがやりすぎだったものの、互いに偽りない感情を表現していたと述懐している。同記事にてユーリャは、十代の頃のことであり、その時はそれが本当の愛だと感じていたと付け加えている。<ref>{{cite news|author=genkage wrote: |url=http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/music/features/tatu-from-russia-with-lust-943444.html |title=Tatu: From Russia with lust - Features, Music |publisher=The Independent |date=2009-01-31 |accessdate=2009-05-02}}</ref> 2004年に、t.A.T.u.は当時のプロデューサーと袂を分かち、しばらく活動を休止した。2005年には、『'''Dangerous and Moving'''』と『{{lang|ru|'''Люди инвалиды'''}}』を発売した。2006年にはベスト盤を発売し、ユニバーサル・ミュージックとの専属契約を満了した。 三枚目のアルバム『{{lang|ru|'''Весёлые улыбки'''}}』は、2008年10月21日にiTunes、t.A.T.u.公式ショップ、モスクワのSoyuz店頭にて発売された。<ref>{{cite web | title = “Vesyolye Ulybki” / “Happy Smiles” | date = 2008-09-09 | url = http://www.tatu.ru/en/news.html?id=668 | accessdate = 2008-09-13}}</ref> 2009年5月21日、'''t.A.T.u.に専念すること'''の休止が12月のスタッフ・ミーティングにて決定されていた旨が公式サイトにて公表された。すでに発表されていたとおり、『{{lang|ru|Весёлые улыбки}}』から三本目の映像を公開し、映画『You and I』の宣伝の本人稼働は予定どおり行われる。また、Happy Smilesの特別盤が発売される予定となっている。<ref>{{cite web | title = t.A.T.u Forever (Insider) | date = 2009-03-22 | url = http://blog.tatu.ru/Insider/2009/03/21/1237628400000.html | accessdate = 2009-03-21}}</ref> 2009年5月27日、リェーナとユーリャは、互いにソロ活動を開始すること、そしてt.A.T.u.はt.A.T.u.のまま継続することを公式ブログにて発表した。リェーナは、「これからt.A.T.u.としてだけではなく、ユーリャと私という独立した二人のアーティストが生まれることになります」と述べた。すなわち、リェーナとユーリャはそれぞれのソロ活動とt.A.T.u.としての活動を並行するという意味である。リェーナはt.A.T.u.制作チームと連携してソロ活動を開始する。 2009年12月15日、3rdアルバムの英語版である『'''Waste Management'''』を発売。 ヨーロッパで大きな成功を収めたポップ・グループとして、t.A.T.u.のアルバムとシングルの累計売上枚数は全世界で1500万枚を突破した。<ref>{{cite web|url=http://blog.tatu.ru/Media/ |title=t.A.T.u. m.e.d.i.a.b.l.o.g |publisher=Blog.tatu.ru |date= |accessdate=2009-05-02}}</ref> 2011年、正式に解散を発表。 == 略歴 == === 1999年 – 2000年: t.A.T.u.結成 === イワン・シャポヴァロフと、彼の友人でありビジネス・パートナーであったアレクサンドル・ヴォイチンスキーが、ロシアで音楽プロジェクトを始める計画を立てた。この案を練りながら、シャポヴァロフとヴォイチンスキーは1998年初めにモスクワで十代の女性歌手を対象としたオーディションを開催した。 オーディションが終盤となるころには、シャポヴァロフとヴォイチンスキーは候補者を十人に絞っていた。そこには、'''ニェポセドゥイ({{lang|ru|Непоседы}})'''の元メンバーであったリェーナとユーリャも含まれていた。 二人の少女はとりわけ出で立ちと歌の経験について他の候補者よりも際立っていたが、シャポヴァロフとヴォイチンスキーは、[[ロクセット]]の「愛のぬくもり」(It Must Have Been Love)を歌った十三歳のリェーナ・カーティナを選出する。リェーナはデモ曲の録音を始めた。リェーナの父'''セルゲイ・カーチン({{Lang|ru|Сергей Катин}})'''は優れた作曲家で音楽プロデューサーでもあり、ヴォイチンスキーとは面識があった。 このときのグループ名は「{{Lang|ru|ТАТУ}}」ではなく、単に「プロジェクト」だった。 ちょうどその頃、ヴォイチンスキーは[[アライド・フォース作戦]]の爆撃で[[ユーゴスラヴィア]](当時)の首都[[ベオグラード]]にいた家族を失い、悲しみに打ちひしがれていた。そこでヴォイチンスキーは不条理な戦争の悲しみや憤りを込めた「'''ユーゴスラヴィア({{Lang|ru|Югославия}})'''」<ref>[http://www.sostav.ru/video/files/09yugoslavia.mp3 Voitinsky about Yugoslavia]</ref><ref>[http://www.ok-magazine.ru/exclusive/item16832.php t.A.T.u.: «Мы и сейчас иногда целуемся!»] // OK, № 20 (133), 2009</ref>を作曲し、リェーナ・カーティナに歌わせてデビューさせたという経緯がある。しかし「ユーゴスラヴィア」はまったく売れなかった。これを不満に感じたシャポヴァロフは、プロジェクトにもう一人女の子を加えることを提案した。 そして、1998年10月の終わりに、十三歳の少女であったユーリャ・ヴォルコワをグループに加えた。またボリス・レンスキーを出資者として招きよせ、プロジェクトの財務面の安定化を図った。作家陣としては、セルゲイ・ガロヤン(作曲)、ワレリー・ポリエンコ(作詞)の二人を発掘した。それまで全く無名な学生に過ぎなかったガロヤンとポリエンコは、若い才能を充分に開花させることとなる。 こうして「プロジェクト」は「'''{{Lang|ru|ТАТУ}}'''」に改称された。 {{Lang|ru|ТАТУ}}というグループ名は、[[ロシア語]]の「{{Lang|ru|Та любит ту}}」(ター・リュービト・トゥー、"This (girl) loves that (girl)"の意)の略だとされている<ref>[http://www.japantoday.com/jp/news/276939 t.A.T.u. upstage Koizumi, Kan on live NTV show]</ref>。 英語盤のアルバムを発売するに当たっては、すでにオーストラリアにTatuというバンドが存在していたことに配慮して、グループ名の英語表記をt.A.T.u.とした。こうして、リェーナとユーリャはプロデューサーらとともにレコーディングを進めていった。 シャポヴァロフは、当時の恋人であり[[MTV]]ロシアに勤めていたエリェーナ・キーペルから、t.A.T.u.の新しい路線を決める着想を得た。 キーペル自身は、[[スウェーデン]]映画『[[ショー・ミー・ラヴ]]』を参考とし、ミドルティーンの少女同士が織りなす甘く切ない物語、または性を超えて愛しあう純粋なふたつの魂の結びつきというイメージを描いていたが、シャポヴァロフはキーペルの案をより過激で煽情的に具現化させようとした。 ヴォイチンスキーは、シャポヴァロフが進めたこの路線について意見の折り合いをつけることができず、プロジェクトを離脱することとなった。シャポヴァロフは、ヴォイチンスキーに代わり、キーペルをデビュー・アルバムの共同プロデューサー兼共同作家として迎え入れた。 === 2000年 === [[ファイル:TatuGroupPhoto.jpg|thumb]] [[2000年]]9月、エリェーナ・キーペル作詞、セルゲイ・ガロヤン作曲による「ヤー・サシュラー・ス・ウマー({{Lang|ru|Я сошла с ума}} / 私はおかしくなった)」が大ヒットし、一躍有名になった。イワン・シャポヴァロフは「ヤー・サシュラー・ス・ウマー」のプロモーション・ビデオで、ヴォーカルの二人に同性愛の演技をさせ、これがセンセーションを巻き起こした。12月、シングル「ヤー・サシュラー・ス・ウマー」を発表。 === 2001年 === [[2001年]]、同じくキーペルとガロヤンのコンビで「ナス・ニェ・ダゴニャット({{Lang|ru|Нас не догонят}} / 私たちはつかまらない)」がヒットし、アルバム「200・ポ・フストレーチノィ({{Lang|ru|200 ПО ВСТРЕЧНОЙ}} / (時速200キロで逆走)」(5月発表)が更にヒットした。これ以降、インターネットを介してその存在が世界中で話題となり、主に[[東ヨーロッパ|東欧]]各国でヒットチャートを駆け上っていった。また、[[西欧]]、[[北米]]への本格進出のために[[英語]]版の製作がはじめられた。 === 2002年 === [[2002年]]、トレヴァー・ホーンが編曲した「200・ポ・フストレーチノィ」の英語版「200 KM/H IN THE WRONG LANE」がリリースされ、さらに「ヤー・サシュラー・ス・ウマー」の英語版「[[All the things she said]]」のプロモーション・ビデオがリメイクされた。また、{{Lang|ru|ТАТУ}}の[[ラテン文字]]表記は、従来は[[キリル文字]]をそのまま翻字した「TATU」だったが、同名のグループが既に存在していたため、「'''t.A.T.u.'''」に改名した。 この2002年の後半が{{Lang|ru|ТАТУ}}人気の絶頂であったと言える。しかし、このころ既にメンバーの間では激しい軋轢が生じていた。 イワン・シャポヴァロフが考案した「同性愛を前面に押し出した少女二人組」と言うコンセプトは、演じているヴォーカルの二人にとっては強い抵抗があった。また、最初にコンセプトを提供したエリェーナ・キーペルにとっても耐え難いものだった。また[[ギャラ]]支払いの不明瞭さの問題もあった。 しかし、このコンセプトの成功に確信を持ったシャポヴァロフは、ヴォーカルの2人の入れ替えを画策したため、結局エリェーナ・キーペルとセルゲイ・ガロヤンは脱退し、リェーナ・カーティナとユーリャ・ヴォルコヴァは踏みとどまった。 {{Lang|ru|ТАТУ}}の経済的成功は2003年まで続くが、エリェーナ・キーペルとセルゲイ・ガロヤンの脱退の影響は大きく、彼らの脱退後にリリースした曲はいずれも期待したほどヒットしたと言えなかった。 === 2003年 === [[2003年]]の[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト]]で{{Lang|ru|ТАТУ}}は政治的メッセージ性の強い「ニ・ヴェーリ、ニ・ボイスャ({{Lang|ru|Не верь, не бойся}} / 信じるな、恐れるな)」をひっさげてロシア代表として参加した。しかしシャポヴァロフはヴォーカルの二人に反抗的な我がまま娘の演技を指導していたため、現地会場のファンの支持を得られず、3位に終わる。実際は、これ以前からユーリャ・ヴォルコヴァは喉の障害で十分な声が出なくなっており、2002年の12月に加入したカーテャ・ネチャエヴァがユーリャのパートを歌っていた(本番ではユーリャが歌った)。 2003年になってようやく{{Lang|ru|ТАТУ}}人気が日本に上陸したが、この頃にはシャポヴァロフの路線は完全に破綻していた。ヴォーカルの二人はそれぞれの交際相手を隠さなくなっていたし、彼女らの家族もシャポヴァロフのコンセプトは事実ではないことを明らかにしていた。キーペルやガロヤンの脱退後も踏みとどまっていたヴァレリー・ポリエンコもこの頃シャポヴァロフと絶縁し、{{Lang|ru|ТАТУ}}の成功を支えた主要な作詞・作曲者は全ていなくなっていた。それでもファンがついていたのはガロヤンやヴォイチンスキーの曲に魅力があったからなのだが、シャポヴァロフはスキャンダラスな路線をさらに過激化させていった。 なお、日本での初アルバム『[[t.A.T.u. (アルバム)|t.A.T.u.]]』は国内盤と輸入盤の合計で200万枚が売れた。 シャポヴァロフは、2003年4月に[[イギリス]]での公演を無茶苦茶な理由をつけて直前にキャンセルしたのをはじめ、各地で不条理なドタキャンを指示。[[日本]]においても2003年6月27日、[[テレビ朝日]]の[[ミュージックステーション]]で、冒頭には出演したものの、その後行方をくらました。本人達は「自分達のステージにしたかった。日本のミュージシャンに邪魔された。」と述べるが、実際は話題作りのためのドタキャンが裏目に出てしまったようである。<!--NOR : 以後、当事件の報道などにより、日本での人気は急速に低下した。世界各地でのドタキャンをはじめとしたスキャンダラスな行動でファン離れが始まっていた{{Lang|ru|ТАТУ}}にとって、当時の日本では人気の絶頂にいたこともあり、アーティストとして再起するチャンスであったが、結局日本でのドタキャン騒動が世界中に報道され話題となり、{{Lang|ru|ТАТУ}}の人気下落は加速する一方だった。--> 2003年12月に再来日し、[[東京ドーム]]でのコンサートを2日間実施したが、両日とも5万人の会場の半数ほどが空席(公式発表によると、初日の動員数は25,029人だった)。公演前、S席7500円・A席6500円のチケットがネットオークション等に数百円ほどで大量に出回っていた。 [[ファイル:Julia Volkova.jpg|left|thumb]] 東京ドームコンサートの日、ユーリャ・ヴォルコヴァは体調を崩して出演できる状態ではなかったのだが、その歌唱力と表現力は集まったファンを納得させるものがあった。しかし、[[渋谷陽一]]・[[四方宏明]]などの絶賛以上に、従前の事件および事後報道が影響し、日本における{{Lang|ru|ТАТУ}}ブームは完全に失速したものとなった。また、このコンサートでもシャポヴァロフはヴォーカル二人に直前のキャンセルを指示していたために、ヴォーカルのふたりとシャポヴァロフの信頼関係は完全に失われた。 東京でのコンサート後、リェーナ・カーティナが脱退を示唆する。シャポヴァロフはその後も、リェーナ・カーティナ及びユーリャ・ヴォルコヴァのロシア大統領選出馬表明等、無軌道なスキャンダル路線を指示し続けるが、その一方でセカンドアルバムの製作も発表し、その製作模様はドキュメンタリーとしてテレビ放送されることになった。 また、2003年12月にはt.A.T.uの劇場アニメ化が発表された。「[[t.A.T.u. PARAGATE]]」というタイトルだったが、その後進展がなく立ち消えとなった模様である。 === 2004年 === 2003年12月にロシアのSTSテレビでドキュメンタリー「アナトミヤ{{Lang|ru|ТАТУ}}」が放映されたのに続き、[[2004年]]1月~3月テレビシリーズ「タトゥー・フ・パドネベースノィ({{Lang|ru|t.A.T.u. в Поднебесной}} / 天空の{{Lang|ru|ТАТУ}})」が放映されるが、その内容は、{{Lang|ru|ТАТУ}}内部の軋轢とシャポヴァロフの無軌道ぶりだった。セカンドアルバムの製作は遅々として進まず、シャポヴァロフからはセカンドアルバムをより良いものにしようという気も、期日(放送最終日の3月14日)までに仕上げようという気も、まるで感じられなかった。リェーナ・カーティナとユーリャ・ヴォルコヴァにとってシャポヴァロフは、自分たちを世界的スターにしてくれた人物であり、何年も苦楽を共にしてきた親友でもあったが、この期に及んでもまともに活動をしようとしないシャポヴァロフを最終的に見限り、ついにシャポヴァロフに契約破棄を突きつける(2月)。シャポヴァロフはこの危機的状況を収拾しようともせず、番組もそのまま終了した。 その後の4月スポンサーたちはこの混乱の責任はシャポヴァロフにあるとして彼を解任した。新プロデューサーには、前の副プロデューサーだったエリェーナ・キーペルに就任を依頼し、キーペル側も快諾したが、リェーナ・カーティナ、ユーリャ・ヴォルコヴァらはキーペルの復活を望まず、結局メイン・スポンサーであったボリス・レンスキーが自ら暫定プロデューサーに就任することになる。シャポヴァロフの解任後はドタキャン騒動は起きていない。 レンスキーは、自身の作った歌の権利について{{Lang|ru|ТАТУ}}側と争っていたエリェーナ・キーペルと和解すると同時に、ヴォーカルのリェーナ・カーティナとユーリャ・ヴォルコヴァを呼び戻し、更にセルゲイ・ガロヤン、ヴァレリー・ポリエンコと再契約することに成功した。ところがユーリャ・ヴォルコヴァが妊娠出産のため仕事が出来なくなり、結局2004年の秋まで{{Lang|ru|ТАТУ}}は実働しなかった。 なお、2004年6月に「t.A.T.u.がt.E.m.A.に改名する」というニュースが流れたが、これは[[TEMA]]というグループ(2004年5月結成。{{Lang|ru|ТАТУ}}とは無関係)の宣伝のために流したガセである。 2004年の冬になると、出産を終えたユーリャが復帰し、トレヴァー・ホーン音楽活動25周年コンサートや[[ベスラン学校占拠事件]]追悼コンサートなどで活動を再開している。また、リェーナ・カーティナの父で作曲家兼プロデューサーのセルゲイ・カーチンによればレーナのソロ活動も同時に行われることになるという。 === 2005年 === [[2005年]]1月20日。作曲担当のセルゲイ・ガロヤンと広報マネージャーのアレクサンドラ・ティチャンコが結婚する。ユーリャは、直前まで2人の交際を誰も知らなかったと述べる。<!--NOR : 公私共に落ち着くことになったガロヤンは、セカンドアルバムに多くの曲を提供することになっている。長い騒動の上に、ようやく本来の音楽を取り戻しつつあるかのように思われる。--> [[ファイル:Gaudi arena.jpg|thumb]] === 2006年 === [[2005年]]セカンドアルバムの英語版とロシア語版がそれぞれヒットし、MTVruの年間最高アルバム賞を受賞した。 曲風はファーストアルバムより更に重厚になり、社会性が増した。 シングルカットされた「All About Us」も、アルバムタイトルとなった「ЛЮДИ-ИНВАЛИДЫ(廃人たち)」も、現代の閉塞感への抵抗を秘めたものであることが明らかにされている。 最初期から{{Lang|ru|ТАТУ}}はしばしば陰鬱な政治性を歌に込めているが、セカンドアルバムはそれが前面に出てきた。 インタビューでもセカンドアルバムのテーマが現代社会の暴力性の告発にあることを認めている。 [[ファイル:Yulia Volkova.jpg|thumb]] [[8月18日]]。再来日した{{Lang|ru|ТАТУ}}は、東京・横浜・名古屋でミニライブをこなし、熱心なファンとの交流が図られた。またはじめて北海道に上陸し札幌ラジオ局に出演するなど地道な活動をおこなった。名古屋のライブハウスHOLIDAYでライブの準備中、客の不入りを理由にライブハウスと管理会社が中止を決定し、日本のマスコミが「またドタキャン」と面白おかしく報道したが、実際はファンは次のライブ会場J.MAXに移動の便宜がはかられたので混乱はなかった。 今回では、「All About Us」収録時から合流していたバンドメンも一緒に来日し、ステージメンバーは6人となり、その顔ぶれはより国際的になった。 函館からユジノサハリンスクに移動した{{Lang|ru|ТАТУ}}だったが、ここで契約解除となるはずだったバンドメンの契約更新が決まり、来年製作予定のサードアルバムまで{{Lang|ru|ТАТУ}}は6人組で活動することになった。 帰国後ユニバーサルとの契約を解消したことから、独自レーベルを立ち上げるのか、セルゲイ・カーチンがプロデュースするのか、様々な噂が飛び交っている。フィリップ・キルコーロフとアーラ・プガチョワが一時{{Lang|ru|ТАТУ}}の権利に関心があったことから、こちらの関係もささやかれている。 [[9月27日]]には初のベストアルバム「THE BEST」が発売された。おなじみ「All the things she said」「Not Gonna Get Us」「All About Us」など全20曲を収録。一時期は日本版のみボーナストラックが収録されるという事になっていたが、結局インターナショナル盤と同じトラックリストとなった。 しかし、日本では2004年までの事態で人気が完全に失墜した事もあってあまり注目されず、オリコン初登場は186位に終わった。日本では、これが2006年最後のリリースとなった。 === 2007年 === [[2007年]]リリース予定とされていた3rdアルバムは当年9月になっても発表されず、[[2008年]]にずれ込んだ。一方、元々2006年10月にリリースされる予定であった「TRUTH ~LIVE IN ST.PETERSBURG~」のDVDが[[Amazon.com]]限定で発売されることが決定している。これは、公式サイトで延期が発表されたのち、リリースが2007年[[8月24日]]に公式サイトにて緊急発表された。amazon限定という形ではあるものの、ようやくのリリースの運びになった。[[ネフォルマット]]は、「昨年[[4月26日]]ロシアのサンクトペテルブルクで行われた1万人の熱狂ライブとドキュメンタリー映像を盛り込んだ素晴らしい内容」と紹介している。 === 2008年 === 10月17日、3rdアルバム「{{Lang|ru|Весёлые улыбки}}(英訳:Happy Smiles)」発売。 === 2009年 === 9月頃より{{Lang|ru|ТАТУ}}解散?との噂が流れる。 しかしこれはファンらによる憶測であり、実際は「{{Lang|ru|ТАТУ}}がソロメンバー活動も並行して開始する」というのが正しい。 12月15日、3rdアルバム英語版「Waste Management」発売。 === 2010年 === 新年のあいさつのビデオで、グループ解散の噂を否定。 === 2011年 === グループ解散を発表。ソロ活動へ。 === 2013年 === [[スニッカーズ]]の新CMへの起用を機に7年ぶりの来日。スニッカーズのCMに出演していた[[内田裕也]]と対談し、内田が主催する[[内田裕也#ニューイヤーズワールドロックフェスティバル(New Years World Rock Festival)|ニューイヤーズワールドロックフェスティバル]]への出演依頼に快諾した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/10/17/kiji/K20131017006827480.html 内田裕也 「タトゥー」気に入った!?年越しフェス出演オファー]</ref>。スニッカーズのCMは、同年9月に[[戸田市]]の[[野球場]]で収録された。 {{-}} == メンバー == [[ファイル:Tatu Lena Katina Bacardi B-LIVE 2008.jpg|thumb|200px|リェーナ]] [[ファイル:Tatu Julia Volkova Bacardi B-LIVE 2008.jpg|thumb|200px|ユーリャ]] しばしば、[[ヴォーカル]]のリェーナ・セルゲーエヴナ・カーティナとユーリヤ・オレーゴヴナ・ヴォルコヴァの二人組のみがt.A.T.u.であるかのように誤解されているが、厳密には[[プロデューサー]]・[[作曲]]者・[[作詞]]者・各[[マネージャー]]を含むプロジェクト全体の名称である。 ヴォーカルの二人だけを指すときは{{Lang|ru|татушки}}(タトゥーシュキ)と呼ぶのが正しい。 片方だけを呼ぶときは単数形で{{Lang|ru|татушка}}(タトゥーシュカ)と呼ぶ。これはロシア語における「{{lang|ru|тату}}」の[[愛称形]]([[縮小辞|指小語]])であるが、このような言語学的解説は理解されにくいため、ニェフォルマット社では「{{lang|ru|татушка}}」(タトゥーシュカ)は「{{lang|ru|тату девушка}}」(タトゥー・ジェーヴシュカ、"{{lang|en|tatu girl}}"の意)の略というより単純な説明をしている。 *ヴォーカル: :'''リェーナ(エリェーナ・セルゲーエヴナ・カーティナ)''' :'''{{Lang|ru|Елена Сергеевна Катина}} (Lena Katina)''' :[[1984年]][[10月4日]][[モスクワ]]生まれ。身長158cm。<ref>[http://www.imdb.com/name/nm1287621/bio Lena Katina - Biography] - [[IMDb]]</ref> :'''ユーリャ(ユーリヤ・オリェーゴヴナ・ヴォルコヴァ)''' :'''{{Lang|ru|Юлия Олеговна Волкова}} (Julia Volkova)''' :[[1985年]][[2月20日]][[モスクワ]]生まれ。身長154cm。<ref>[http://www.imdb.com/name/nm1290094/bio Julia Volkova - Biography] - [[IMDb]]</ref> *メイン・スポンサー: :'''ボリス・レンスキー ({{Lang|ru|Борис Ренский}})''' ('''現役''') *プロデューサー: :'''イワン・ニコラエヴィッチ・シャポヴァロフ ({{Lang|ru|Иван Николаевич Шаповалов}})''' (既に解雇) :ボリス・レンスキー (メインスポンサー兼任) :リェーナ・カーティナ (ヴォーカル兼任) :ユーリャ・ヴォルコヴァ (ヴォーカル兼任) *副プロデューサー: :'''エリェーナ・ウラジーミロヴナ・キーペル ({{Lang|ru|Елена Владимировна Кипер}})''' (脱退) *1stアルバム英語版プロデューサー: :'''[[トレヴァー・ホーン]] (Trevor Horn)''' *作曲担当: :'''セルゲイ・ガロヤン ({{Lang|ru|Сергей Галоян}})''' (脱退・'''復帰''') :'''アレクサンドル・ヴォイチンスキー ({{Lang|ru|Александр Войтинский}})''' (脱退) :イワン・シャポヴァロフ (脱退) :R. リャプツェフ ({{Lang|ru|Р. Рябцев}}) :E. クリツィン ({{Lang|ru|Е. Курицын}}) :M. ラサル (M. Lasar) :L. アレクサンドロフスキー (L. Alexandrovski) :A. ポクートニ (A. Pokutni) :V. アダリチェフ (V. Adarichev) *作詞担当: :エリェーナ・キーペル ({{Lang|ru|Елена Владимировна Кипер}}) :'''ヴァレリー・ポリエンコ ({{Lang|ru|Валерий Полиенко}})''' (脱退・'''復帰''') :イワン・シャポヴァロフ (解雇) :R. リャプツェフ :A. ヴルィフ ({{Lang|ru|А. Вулых}}) :A. カサエヴァ ({{Lang|ru|А. Касаева}}) :V. ステパンツォフ ({{Lang|ru|В. Степанцов}}) *英語版作詞者: :トレヴァー・ホーン :マーティン・キールセンバウム (Martin Kierszenbaum) *コンサートマネージャー: :レオニード・ズュニク (脱退) :オリガ・マトヴェーヴァ (現役) *広報担当マネージャー: :ベアタ・アルジェーエヴァ (事故のため退職) :アレクサンドラ・チチャンコ (結婚退職) :エヴゲーニア・ヴォエヴォディーナ (現役) *専属ダンサーズ:6名 (解雇) :途中、ヴォーカルに'''カーテャ・ネチャエヴァ ({{Lang|ru|Катя Нечаева}})''' (解雇)が参加していた頃もあった。 *スポット参加: :'''カーテャ・ネチャエヴァ ({{Lang|ru|Катя Нечаева}}) :[[エストニア]]の若手シンガー。 :2001年エストニアでデビュー。同年12月イワンシャポヴァロフと契約した後、バックコーラスのひとりとしてTATYに参加した。このころユーリャの発声が不安定となり、しばしばカーテャがユーリャのパートを代わりに歌っていた。2002年のユーロビジョン・ソングコンテストでは三人目のヴォーカルとして表舞台に出るのではないかとうわさされたが実現しなかった。その後もシャポヴァロフはカーテャのソロデビューを構想していたので、カーテャも2003年の「天空」までТАТУと行動をともにしていた。ところが脱退したユーリャとリェーナを引き戻すためにレンスキーらスポンサーがシャポヴァロフを解任。シャポヴァロフを信じて残留していたカーテャは居場所を失い、結局ТАТУを去ることになった。カーテャとともに契約したエストニア人ドラマーとギタリストがいたが、「天空」以前にТАТУから離れている。 *'''ゴードン・マシュー・サムナー''' (Gordon Matthew Sumner, '''STING''') :[[1951年]][[10月2日]]、[[イギリス]]の[[ニューカッスル・アポン・タイン]]生まれ :[[ロック (音楽)|英国ロック]]の大物[[スティング (ミュージシャン)|スティング]]の本名。 :[[1977年]]に、[[ポリス (バンド)|ポリス]]を結成、[[1978年]]に[[A&Mレコード|A&M]]より「[[ロクサーヌ]]」でデビュー、[[1983年]]、活動休止。 [[1985年]]、スティングとしてのソロ活動を開始。1999年に発表した『ブラン・ニュー・デイ』は、第42回[[グラミー賞]]を2部門で受賞。 :他にも[[熱帯雨林]]の保護運動家。国際的な人権保護運動家の側面を持つ。ТАТУのセカンドアルバム「デンジャラス・アンド・ムーヴィング」では、「Friend or Foe」という曲のベーシストとしてスポット参加。 *'''リチャード・カーペンター''' (Richard Carpenter) :[[1946年]][[10月15日]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]生まれ :[[カーペンターズ]]にてボーカル、作曲、アレンジなどを担当していた。t.A.T.uのセカンドアルバム「デンジャラス・アンド・ムーヴィング」では、「GOMENASAI」という曲のストリングスアレンジを手掛けた。 *'''デイヴ・スチュワート''' (David A. Stewart) :[[1952年]][[9月9日]]、[[イギリス]]生まれ :元[[ユーリズミックス]]。t.A.T.uのセカンドアルバム「デンジャラス・アンド・ムーヴィング」では、「Friend or Foe」という曲を手掛けた。 == ディスコグラフィ == *1999年 :「プロジェクト」結成。ヴォーカルはリェーナのみ。 :{{Lang|ru|Югославия}} / ユーゴスラヴィア([[有線]]と[[ラジオ放送]]のみ) :{{Lang|ru|Ельцин}} / エリツィン(不明) *2000年 :「{{Lang|ru|ТАТУ}}」に改称。ユーリャ加入。ヴォーカル二人制 :{{Lang|ru|'''Я сошла с ума'''}} / ヤー・サシュラー・ス・ウマー([[シングル]]) :ヤー・サシュラー・ス・ウマー([[ミュージック・ビデオ|プロモーション・ビデオ]]) *2001年 :{{Lang|ru|'''Нас не догонят'''}} / ナス・ニェ・ダゴニャット(シングル) :{{Lang|ru|'''200 по встречной'''}} / 200・ポ・フストゥレーチノイ(アルバム) :ナス・ニェ・ダゴニャット(プロモーション・ビデオ) :{{Lang|ru|30 минут}} / 30ミヌートゥ(プロモーション・ビデオ) *2002年 :[[Not Gonna Get Us]](ナス・ニェ・ダゴニャット英語版)をアメリカでリリース(シングル) :[[All the Things She Said]](ヤー・サシュラー・ス・ウマー 英語ヨーロッパ版)をドイツでリリース(シングル) :200・ポ・フストレーチノイ新装版([[アルバム]]) :「t.A.T.u.」に改称 :All the Things She Said(ヤー・サシュラー・ス・ウマー 英語アメリカ版)をアメリカでリリース(シングル) :{{Lang|ru|Простые движения}} / プラストィーイェ・ドゥヴィジェーニヤ(プロモーション・ビデオ) :カーテャ加入。部分的なヴォーカル三人制。 *2003年 :{{Lang|ru|Не верь, не бойся}} / ニ・ヴェーリ・ニ・ボイスャ(ユーロヴィジョン用プロモーション) :ニ・ヴェーリ・ニ・ボイスャ(歌詞改訂版) :ニ・ヴェーリ・ニ・ボイスャ(プロモーション・ビデオ) :{{Lang|ru|Ничья}} / ニチヤ(東京ドームコンサート用、2005年のアルバムに収録) *2004年 :{{Lang|ru|Белочка}} / ビェーラチカ :{{Lang|ru|Защищаться очками}} / ザシシャーッツァ・アチカーミ(テレビ放映のみ) :{{Lang|ru|Всё нормально}} / フスョー・ナルマーリナ(収録のみ) :{{Lang|ru|Ты согласна}} / トィ・サグラースナ(2005年のアルバムに収録) :{{Lang|ru|В космосе сквозняки}} / フ・コースマスェ・スクヴァズニャキー(収録のみ。歌詞のみ2005年のアルバム収録曲に使われる) *2005年 :'''All About Us'''を日本で先行リリース。続いて全世界でリリース(シングル) :'''[[デンジャラス・アンド・ムーヴィング|Dangerous and Moving]]'''を日本で先行リリース、続いて全世界でリリース(アルバム) :{{Lang|ru|'''Люди-инвалиды'''}} / リューディ・インヴァリードィをロシアでリリース(アルバム) *2006年 :THE BEST(初ベストアルバム) *2007年 :DVD TRUTH ~LIVE IN ST.PETERSBURG~ *2008年 :You and I(Happy Smiles) 本国で10月21日に発売。映画「You and I -Finding t.A.T.u-」主題歌。 :{{Lang|ru|'''Весёлые улыбки'''}} / フェスョールィエ・ウールィプキ(アルバム)三年ぶり、三枚目のアルバムとなる。 *年代不明の曲(ボツ曲、デモ版、他の歌手の曲等) :{{Lang|ru|В твоих руках}} / フ・トヴァイーフ・ルカーフ :{{Lang|ru|Мелодия любви}} / ミロージヤ・リュブヴィー :{{Lang|ru|Лишь тебя}} / リーシュ・チビャー :{{Lang|ru|Альфонс}} / アリフォーンス :{{Lang|ru|Ты сошёл с ума(Я не глотаю)}} / トィ・サスョール・ス・ウマー(ヤー・ニ・グラターユ) :{{Lang|ru|Одна}} / アドナー :{{Lang|ru|Полчаса без любви}} / ポルチサー・ビズ・リュブヴィー :{{Lang|ru|Заведи}} / ザヴェディー == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[ソチオリンピック]] - 開会式の式中に彼女達が歌っていた曲のアレンジがしきりに掛かっていた。 == 外部リンク == {{commonscat|Tatu}} *[http://www.tatu.ru t.A.T.u.公式サイト(ロシア語/英語)] *[http://www.facebook.com/tatuofficial t.A.T.u. Official facebook(英語)] *[http://lenakatina.com// Lena Katina Official site(英語)] *[http://www.facebook.com/KatinaLena Lena Katina Official facebook(英語)] *[http://www.juliavolkova.com/eng/ Julia Volkova Official site(ロシア語/英語)] *[http://www.facebook.com/JuliaVolkovaOfficial Julia Volkova Official facebook(ロシア語/英語)] *[http://www.facebook.com/pages/Lena-Katina-Japan/545288355543360/ Lena Katina Japan 公式facebookファンページ(日本語)] *[http://www.tatu-japan.com/ t.A.T.u.ジャパンオフィシャルサイト(日本語)] *[http://www.galoyan.co.uk/ セルゲイ・ガロヤン公式サイト(英語)] *[http://www.universalmusic.ru/ ユニヴァーサル・ミュージック・ロシア(ロシア語/英語)] *[http://nichya.ru/ ニチヤ(エリェーナ・キーペルのデュオ)公式サイト(ロシア語/英語)] *[http://www.djram.com/ DJ-RAM公式サイト(ロシア語/英語)] *[http://www.artconsult.ru/ artconsult(エリェーナ・キーペルの会社)公式サイト(ロシア語)] *[http://www.zve.ru/ ズヴェーリ(アレクサンドル・ヴォイチンスキーのプロデュース)公式サイト(ロシア語)] *{{MySpace|tatu|t.A.T.u.}} {{ユーロビジョン・ソング・コンテスト ロシア代表}} {{DEFAULTSORT:たとう}} [[Category:ロシアのバンド]] [[Category:ユニバーサルミュージックのアーティスト]] [[Category:ロシアのユーロビジョン・ソング・コンテスト参加者]] [[Category:ユーロビジョン・ソング・コンテスト2003参加者]]
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