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'''RKBベスト歌謡50'''(アールケービーベストかよう50)は、[[RKBラジオ]]で[[1974年]](昭和49年)[[4月14日]]から[[1995年]](平成7年)[[12月31日]]まで毎週日曜日に放送された[[歌謡曲]]のランキングカウントダウン番組。 放送開始当初は12:15〜15:55だったが、70年代後半には12:15〜17:00に拡大されている。その後1984年春からは12:10~17:00に拡大し、4時間50分の生放送番組となった。 70年代後半には、プロ野球のシーズンオフ時に放送時間が17:30までの5時間15分の放送が行われていた。 == DJ == *初回~[[1990年]](平成2年)[[4月1日]]:[[林幹雄 (アナウンサー)|林幹雄]]アナウンサー *1990年[[4月8日]]~最終回:[[石上正憲]]アナウンサー == 概要 == *番組のコンセプトとして、'''1位から50位まで全曲をオンエア'''するというのが特徴で、[[埼玉西武ライオンズ|ライオンズ]]が福岡を本拠地にしていた時代のデーゲームや、秋の[[日本野球機構|プロ野球]][[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]中継が番組放送時間中に組み込まれ、放送時間が短時間になっても(サンドイッチ放送と呼ばれた)、試合中継前に50位から11位まで、中継後にベスト10を曲付で放送した。 *曲を紹介するのは上位50曲だけだが、41位まで紹介した時点でランク外の51〜60位の曲名と演奏者名のみ紹介した。 *クイズコーナーが多く、「トップクイズ」(B面の曲を聴いて,A面のタイトルを答える)、「ブロッククイズ」(15、25、35、45位当て)、「おまたせクイズ」(タレント名や曲名当て)、「ベストテンクイズ」(1位~10位までの順位をすべて当てる)があり、長時間の放送を飽きさせない工夫が随所に見られた。 *毎年年末年始には2週に渡り、その年の年間チャートを100位から1位までカウントダウンした。年間チャート発表の際は「ミニミニインタビュー」を担当した有吉ひろこがアシスタントを務めた。 *「ミニミニインタビュー」は、有吉ひろこの後、堂上美智子、味園由美子が担当している。 *毎月、その月のランキング曲と順位を掲載した「ランキングニュース」を発行していた。また、ランキングについての質問を、「何でも相談」の係に返信用封筒を同封して送ると、質問への回答やランキング表を返送していた。 *[[スポンサー]]が[[トヨタ自動車]](15:00~17:00。スポンサー時間中のサブタイトルは、「'''TOYOTA SUNDAY SPECIAL'''」<ref>このトヨタ自動車・トヨタディーラー(トヨタの販売店)が協賛する「TOYOTA SUNDAY SPECIAL」という冠が付いた番組は[[HBCラジオ]]・[[文化放送]]・[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]・[[大阪放送|ラジオ大阪]]で放送されていたほぼ同じ趣旨の歌謡曲ランキング番組「[[決定!全日本歌謡選抜]]」との[[企画ネット番組]]だった。基本的には[[全国ラジオネットワーク|NRN]]シングルネットであるが、HBCは[[Japan Radio Network|JRN]]とのクロスネット、RKBは企画ネットで唯一JRN単独加盟だった</ref>。その間も15:40頃には各社の[[コマーシャルメッセージ|CM]]が流れた)であったため、クイズの賞品やプレゼントが豪華なことで知られていた。 *「TOYOTA SUNDAY SPECIAL」は、1983年から1990年秋までは14:00~17:00、1990年秋以降15:00~17:00。 *身内のラジオパーソナリティが楽曲をリリースした際には必ずランクインしていた(「[[HiHiHi]]」のメインパーソナリティだった[[山崎銀之丞]]率いる銀之丞バンドの『君がシャイニンオン』、「[[もっとももんが]]」のアシスタントだった[[永田真代]]の『なごり雪』など)。 *1980年1月1日~4日は、放送300回を記念して、「ベスト歌謡500」が放送された。1983年11月21日~27日にも放送500回記念として「ベスト歌謡500」が放送され、どちらも、放送開始からそれぞれの時点までの上位500曲がオンエアされた。また、1985年10月14日~18日にも25:00~27:00に放送600回記念特集が放送され、放送開始から599回までの1位獲得楽曲がすべてオンエアされた<ref>該当週の[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]]制作のネット番組『[[スーパーギャング]]』はネットを返上。出典:[[朝日新聞西部本社]][[1985年]][[10月14日]]付[[夕刊]][[番組表|ラ・テ欄]]</ref>。 *嘗ては、[[カバー曲]]はランク対象外であったため、当番組のランキングデータの提供先の一つのザ・ベストテンでは一位を獲得した、『[[YOUNG_MAN_(Y.M.C.A.)]]』、『[[哀愁でいと]]』が当番組ではランクインされていなかった。 == ザ・ベストテンとの関連 == [[ザ・ベストテン]]([[1978年]]~[[1989年]]、[[TBSテレビ|TBS]]。)の、発案のきっかけになったのはこの番組である。 そのため、スタート初期に[[Japan News Network|JNN]]のラ・テ兼営局の歌謡ランキングを紹介するコーナー(ラジオベストテン情報)があり、林幹雄アナもRKB担当として同番組に出演、林アナは「ザ・ベストテン」でRKBの初代追っかけマン(福岡・佐賀地区担当)を務めた(後任は、[[葉山さつき]]アナ)。 「ザ・ベストテン」の四要素のひとつであるラジオ総合ベスト10のRKBのデータになった番組でもある。 == エピソード == *[[1974年]]6月の[[聴取率]]調査では、福岡地区で11.4%を記録。翌年12月には16.1%を記録していた。同局の創立50年記念事業として発刊された「RKB放送事典」の中で林幹雄は、開始45週目に聴取者から21,054通ものハガキが届いたことを明らかにしている。 *放送開始時間が12:15から12:10になった際に番組のテーマチューンも改められ、各コーナーにBGMやジングルが設置されるなど、今のFM的な放送箇所がみられた。BGMには[[シャカタク]]の「Don't Say That Again/愛はサンバにのせて(池ちゃんのタレントレーダーのテーマ)」などが使用された。 *RKBラジオのキー局の[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]]の[[森田公一の青春ベストテン]]に、[[HBCラジオ]]([[ベストテンほっかいどう]])、[[MBSラジオ]](78年9月時点は、[[MBSベストテン歌謡曲]])とともにランキングを提供していた。 == 番組の終了 == この番組が終了した理由は、人気がなくなったわけではなく、「歌謡曲」という表現が時代にそぐわなくなったことや、地元の[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]の中継([[RKBエキサイトホークス|RKBサンデーホークス実況中継]])が放送出来ないことにあった。 そのため、プロ野球シーズンが始まる春ではなく、1995年12月31日の大晦日に番組を終了。21年9ヶ月の放送に幕を閉じた。 == 主な番組進行内容(1988年春時点) == *12:12 トップクイズ *12:15 天気予報 *12:40 交通情報 *13:00 君も芸能通~池ちゃんのタレントレーダー(電話出演・[[池田まさる]]) :※池田まさるが担当する以前は、[[鬼沢慶一]]の担当する「鬼さんの芸能リポート」が放送されていた(1984年春まで)。 *13:30 スナッピースナップ *13:50 おまたせクイズ *13:53 RKB毎日ニュース、天気予報 *14:00~17:00 TOYOTA SUNDAY SPECIAL(提供:トヨタ自動車) *14:30 堂上美智子のミニミニインタビュー *15:00頃 交通情報 *16:00 RKB毎日ニュース、天気予報 *16:20 交通情報 :※随時、ブロッククイズ == 備考 == 同局のライバル局である[[KBCラジオ]]では、[[1989年]][[3月]]まで、[[輝け! 全日本歌謡ランキング]]が放送されていた。 == 脚注 == <references /> {{デフォルトソート:ああるけいひいへすとかよう50}} [[Category:ローカル局ラジオの音楽番組の歴史]] [[Category:RKB毎日放送のラジオ番組]] [[Category:音楽ランキング番組 (ラジオ)]]
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