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Ju 87 (航空機)
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<!-- infobox以外を編集する際はboxの下までスクロールしてください。--> {{ Infobox 航空機 |名称=ユンカース Ju 87 シュトゥーカ |画像=Image:Ju 87B NAN1Sep43.jpg |キャプション=Ju 87 B-2 |用途=[[急降下爆撃機]] |分類= |設計者=ヘルマン・ポールマン |製造者=[[ユンカース]]社 |運用者={{DEU1935}}([[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]) |初飛行年月日=[[1935年]][[9月17日]] |生産数=6,500機以上 |生産開始年月日=[[1937年]] |運用開始年月日= |退役年月日= |運用状況=退役 |ユニットコスト= }} '''ユンカース Ju87 シュトゥーカ'''(Junkers Ju 87)は、[[ドイツ]]において[[第二次世界大戦]]中に使用された[[急降下爆撃機]]である。愛称の「'''シュトゥーカ'''」(Stuka)とは、急降下爆撃機を意味する「Sturzkampfflugzeug」(シュトゥルツカンプフルークツォイク<!--フルヒツォイヒは南部の方言だけどフルクツォイヒという地方はないと思います-->)の略で、本機が急降下爆撃機の代表として扱われたため、この名が用いられるようになった。[[日本語]]では「'''スツーカ'''」とも表記されている。 第二次世界大戦以前の[[1935年]]春に初飛行を行っているにもかかわらず、後継機に恵まれなかったこともあって大幅なバージョンアップも無く終戦まで使用され続けた機体である。 == 特徴 == [[ファイル:Bundesarchiv Bild 101I-646-5188-17, Flugzeuge Junkers Ju 87.jpg|right|thumb|東部戦線、1943年のシュトゥーカ]] [[ファイル:Bundesarchiv Bild 101I-630-3561-27A, Flugzeuge Junkers Ju 87.jpg|right|thumb|編隊飛行中]] [[逆ガル]]主翼の複座機で固定脚が外見上の大きな特徴で、[[急降下爆撃機]]らしいガッシリとした武骨なフォルムをもつ。[[急降下爆撃]]の機動に耐えるため機体構造が頑丈で、整備も容易であったため反復攻撃をこなす事ができる実用性に富む機体であった。逆ガル式の翼が生み出す下方視界の良さと、安定した急降下性能のため、精密な[[空襲|爆撃]]を行うことができ、急降下時にサイレンのような音を立てることから[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]側からは「悪魔のサイレン」の異名で恐れられた。後に機体に小型プロペラにより駆動されるサイレンを取り付け、標的となった陣地などの敵兵を恐慌へと追いやり地上部隊の進撃を爆撃と心理面で援護することになる。しかし、大戦も後期になると逆に航空優勢な連合軍に対してサイレンの効果が薄れたためサイレンを取り外し、台座だけが残っている記録写真もある。 頑丈、すなわち重い機体構造という急降下爆撃機の特性ゆえの弱点があり、低速、鈍重で防弾設備が貧弱だったため、空戦能力は低く制空権を確保した状態での攻撃にしか適さなかった。また、燃料搭載量にも機体の重さのしわ寄せがいき、航続距離が短く行動半径が狭かった。 開戦当初のJu 87は大きな戦果を上げたのだが、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]上層部は能力を過信し、「急降下爆撃こそが至上の爆撃である」と誤った認識をもった者も多かった。特に、ドイツ空軍最高司令長官[[ヘルマン・ゲーリング]]の"急降下爆撃熱"はひどかったと言われている。そのため、[[戦略爆撃機]][[He 177 (航空機)|He 177]]を含めた[[水平爆撃]]を任務とする機体の多くに急降下爆撃能力を求めたり、戦略爆撃機、後継機の開発を怠るなど開発に悪影響を与えた。また、その認識の甘さは[[バトル・オブ・ブリテン]]での大損害を生む原因ともなった。 [[1942年]]頃から陸上では単発[[爆撃機]]は活躍の場を失いつつあり、ドイツ空軍でも[[フォッケウルフ Fw190|Fw 190]]FやGなどの対地襲撃機・[[戦闘爆撃機]]型が登場しているが、旧式化したJu 87もダイブブレーキを外し、襲撃機として生産され続けていた。 === 威嚇用吹鳴機(サイレン)「ジェリコのラッパ」について === Ju 87と言えば急降下時のサイレン音が有名であるが、元々は[[サイレン]]を特別に取り付けていたわけではなく、急降下時に発生した風切り音がそのように聞こえただけであった<ref>[[#爆撃王列伝]]206頁</ref>。その後、威嚇効果の高さが認められ、B型やD型の一部の主脚根本に、プロペラに風を受けて駆動させるサイレンをとりつけた機体が生まれた。 この風斬音は「ジェリコ(エリコ)のラッパ」とドイツ兵たちに呼ばれ、[[スペイン内戦|スペイン内乱]]時には[[空襲|空爆]]に不慣れな[[スペイン]]や英仏の兵士に恐れられた。なお、ジェリコのラッパとは旧約聖書の預言者ヨシュアが人々に命じて一斉に吹かせたラッパのこと。この音で[[エリコの壁|ジェリコの城壁]]が崩れ落ちたと伝えられている。[[1941年]]以降はあえて隠密性を破壊する「ラッパ」は使用されなくなっているが、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]兵士に風説として流れた。 == 概要 == 開発は[[ユンカース]]社。主任設計者はヘルマン・ポールマン(Hermann Pohlmann)。 [[木型|モックアップ]]は[[1934年]]。 [[1935年]]に[[ドイツ航空省]](RLM)による競争審査に勝利し正式な生産命令を得た。対抗機種は、[[アラド (航空機メーカー)|アラド]]社・[[ハインケル]]社・[[ブローム・ウント・フォス]]社のそれぞれ [[Ar 81 (航空機)|Ar 81]](試作3機のみ)・[[He 118 (航空機)|He 118]](生産機数不明、4号機は[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]に、5号機は[[大日本帝国海軍|日本海軍]]に売却)・[[Ha 137 (航空機)|Ha 137]](試作1機。開発途中で終了)Ju 87の試作機は3機製作され、それぞれV1-V3の番号があたえられていた。V1は双尾翼でダイブブレーキがついていないのが特徴で、試験中にキリモミ状態になり墜落し失われている。 最初の量産型Ju 87A型は[[1937年]]から生産が開始され、[[スペイン内戦]]で実戦投入され多くの戦果をあげた。また、同年、改良が行われたB型も生産されスペイン内戦に続けて投入された。 [[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-1987-1210-502, Polen, Stukas.jpg|right|thumb|[[1939年]]の[[ポーランド侵攻|ポーランドにおける電撃戦]]]] [[ファイル:Bundesarchiv Bild 101I-329-2984-05A, Russland, Junkers Ju 87.jpg|right|thumb|離陸前のシュトゥーカ]] [[1939年]]にはじまるポーランド侵攻や開戦当初の[[電撃戦]](ブリッツクリーク)において非常に大きな戦果を挙げた。陸軍支援のため[[フランス軍]][[戦車]]に対して[[急降下爆撃]]を行ったが効果は薄く、機銃で[[エンジン]]部分を狙った方が確実に損害を与えることが出来た<ref>[[#爆撃王列伝]]212頁</ref>。[[1940年]]の対イギリス戦([[バトル・オブ・ブリテン]])では、防弾性能の低さと[[制空権]]を確保していない地点への投入により[[スーパーマリン スピットファイア|スピットファイア]]や[[ホーカー ハリケーン|ハリケーン]]などの[[イギリス軍]]機に多数が撃墜され、大きな損害を出した。また、航続距離の不足から、英本土内陸の目標を攻撃することが出来なかった<ref>[[#爆撃王列伝]]216頁</ref>。 以後さまざまなタイプに発展しながらも、(少なくとも外見的には)大きな改変は無く終戦までに5,709機が生産されることになる。1940年以降は主にアフリカ戦線、地中海戦線、東部戦線に配備された。東部戦線においては絶大な対地戦闘能力を発揮して[[ドイツ陸軍 (国防軍)|ドイツ陸軍]]を支援し、地中海では英[[航空母艦|空母]]「[[イラストリアス (空母・初代)|イラストリアス]]」を大破させるなど対艦攻撃にも活躍した。しかし大戦後半になると、本機の性能では連合国軍戦闘機が遊弋する昼間の作戦行動は自殺行為となり、夜間行動型に改修されて使用された。なお、本機に代わって地上支援任務についたのは [[フォッケウルフ Fw190|Fw 190]] の[[戦闘爆撃機]]型であった。 Ju87はその操縦の容易さからも前線のパイロット達に好まれ、各シリーズ、特に後期にはG-1型を愛用した[[ハンス・ウルリッヒ・ルーデル]]<!--大佐-->は、終戦までに519両(630両との説もある)もの戦車を破壊し、"スツーカのルーデル"の異名を得たという。他にもシュトゥーカ乗りには単独(複座なので二人一組)で大きな戦果を挙げたパイロットが多い。 == 主な派生型 == === Ju 87 A === ; Ju 87 A : 試作機。[[エンジン]]には610馬力の[[ユンカース ユモ 210]] Aを装備しており、後にエンジンは[[ユンカース]][[Jumo 210]] Daに交換されている。A型の最初のシリーズであるA-0は全金属製の機体で、密閉式の[[コックピット]]になっていた ;; Ju 87 V1 :: [[1935年]][[9月17日]]に初飛行、W.Nr 4921 ;; Ju 87 V2 :: [[1936年]][[2月25日]]に初飛行、W.Nr 4922、登録記号は D-IDQR ;; Ju 87 V3 :: 1936年[[3月27日]]に初飛行、W.Nr 4923 ;; Ju 87 V4 :: 1936年[[6月20日]]に初飛行、W.Nr 4924 ;; Ju 87 V5 :: 1936年[[8月14日]]に初飛行、W.Nr 4925 ; Ju 87 A-0 : 大量生産に向け、生産性を向上させるために主翼の先端は直線にされ[[補助翼]]の形状も前後がなだらかな形に修正された。飛行中でも[[パイロット]]が[[昇降舵]]と[[方向舵]]のトリム・タブを調節することができるように設計されていた。A-0は水平に近いエンジン・カウリングを装備していたため、パイロットは非常によい視野をえることができた。そのためにエンジンは25cmほど下げて取り付けられることとなり、胴体と機銃手席も下げられ機銃手に良好な射界を与えた。[[ドイツ航空省]]は当初7機のA-0型を発注したが後に11機に増やしている。[[1937年]]前半に、A-0は様々な[[爆弾]]を搭載してテストが行われた結果、Jumo 210 Aエンジンの出力不足はフォン・リヒトホーフェンに指摘され速やかにJumo 210 Dに交換された。 ; Ju 87 A-1 : ユンカース ユモ 210 Dの搭載と両主翼内部に220Lの燃料タンクをひとつずつ搭載していたが、この燃料タンクは防弾装備を施されていなかった。また、A-1型は両翼に7.92mmの[[MG 17 機関銃]]を1丁ずつ装備可能なように設計されていたが、重量オーバーしてしまう事がわかり、取り外された。この2丁の[[機関銃]]の[[弾薬]]合計500発は着陸脚のスパッツの中に収納されるようになっていた。パイロット席にはMG 17 機関銃の照準用にRevi C 21C[[照準器]]が装備されていた。機銃手席には1丁の7.92mm [[MG 15 機関銃]]と75発入りのドラムマガジンを14個装備していて、これはA-0型よりも150発多い搭載量となっている。A-1型はA-0型より大きい3.3mのプロペラを装備していた。後部機銃手兼通信士が搭乗していない状態ではJu 87は500kgの爆弾を搭載して飛行することが可能であったが、Jumo 210 Dエンジンでさえ、250kg爆弾以上の重量物を搭載するには出力不足であった。Ju 87A型は(スペイン内戦中は機銃手なしで運用されたが)すべて搭載爆弾を250kg爆弾までに制限されていた。 ; Ju 87 A-2 : エンジンには2段階過給機付きのユンカース ユモ 210 Daが搭載された。A-1型との最大の違いはH-PA-III可変ピッチプロペラを装備していることがあげられる。[[1938年]]の夏にはユンカースのデッサウ工場で192機、ブレーメンで70機、合計262機が生産された === Ju 87 B === ; Ju 87 B : 試作機 ;; Ju 87 V6 :: [[1937年]][[6月14日]]に初飛行、W.Nr 0870027(A-0型からB-0型に改造) ;; Ju 87 V7 :: Ju 87Bの試作機。1,000PSの[[Jumo 211]]Aエンジン搭載。1937年[[8月23日]]に初飛行、W.Nr 0870028(A-0型からB-0型に改造) ;; Ju 87 V8 :: 1937年[[11月11日]]に初飛行、W.Nr 4926 ;; Ju 87 V9 :: 1937年[[2月16日]]に初飛行、W.Nr 4927。登録記号はD-IELZ、[[1939年]][[10月16日]]にWL-IELZに変更 ;; Ju 87 V15 :: [[1942年]]に大破。W.Nr 0870321。登録記号はD-IGDK ;; Ju 87 V16 :: W.Nr 0870279。登録記号はGT+AX ;; Ju 87 V17 :: 生産された記録なし。 ;; Ju 87 V18 :: 同上 ; Ju 87 B-0 : A型の機体を流用して6機生産され、試験飛行は1937年の夏から始められた。そのなかから少数(少なくとも3機)が海軍向けのC型またはE型に改造された。 ; Ju 87 B-1 : Jumo 211 D 1,200PS(883kW、1,184hp)[[エンジン]]を搭載しており、再設計された胴体と着陸脚を装備していた。この新型の機体は[[スペイン]]でテストが行われ、十分な性能を持っていることを証明し、一月に60機生産されることになった。その結果、[[第二次世界大戦]]の開戦時には[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]は336機のJu 87 B-1を所有することになった。B-1型には「ジェリコのラッパ」と呼ばれる威嚇用吹鳴機(サイレン)が取り付けられていた。これは直径0.7mのプロペラの風切り音を利用したもので、敵の士気を低下させ、かつ[[急降下爆撃]]の威圧的な影響を増強するために使用された。しかし、このプロペラには空気抵抗で約20-25km/hほど機の速度が落ちてしまうという問題があった。その為、後には[[爆弾]]の安定板に風切り音を発生させるためのホイッスルが取り付けられるようになった。1937年7月までに89機のB-1型がユンカース社のデッサウの工場で、ほかの40機がブレーメンにあるWeserflugの工場で製造された。[[1938年]]4月以降はWeserflugの工場で生産が行われた。しかし、352機のJu 87 B-1が[[1940年]]3月までユンカースの工場で生産されている。1938年8月から1940年3月までの間、Weserflugの工場では740機のJu 87が生産されている。 ; Ju 87 B-2 : いくつかのバリエーションがあり、着陸装置にスキーを装備したタイプ(B-1型でも同様の改造がなされている)やJu 87 B-2 tropと呼ばれる熱帯用の装備やエンジンにサンドフィルターを装備した機体があった。[[イタリア空軍]]も多くのB-2型を受領しており、Picchiatelloと名づけて運用していた。一部の機体は[[反跳爆撃]]を行い、地中海の対艦攻撃で活躍した<ref>[[#爆撃王列伝]]97頁</ref>。他には、[[ハンガリー]]、[[ブルガリア]]および[[ルーマニア]]を含む[[枢軸国]]で運用されていた。B-2型はカウリング・フラップを閉じるための油圧装置を持っており、この装置は後の改良型にも引き継がれた。1937年以降はJumo 211DエンジンがJu 87Bの量産型に搭載されるようになった。 : 生産された700機のJu 87 B-1と230機のB-2のうち550機がユンカースの工場で製造され、残りの機体はWeserflugのブレーメン工場で製造された。 === Ju 87 R === ; Ju 87 R-1 : Ju 87 Bの長距離型としてJu 87 Rが設計された。これらは主に対艦攻撃に使用され、通常の燃料に加え、主翼内に240Lの追加の燃料タンクを装備し、300Lの[[増槽]]を2個搭載していた。このため搭載燃料は1,080Lにもなった。しかし燃料を満載した状態では250kg[[爆弾]]をひとつしか装備できなかった。 ; Ju 87 R-2 : Ju 87 B-1と比べて重量が約700kgほど増加しており、その為最高速度は32km/h遅く、実用上昇限度も低下している。その代わりJu 87R-2は航続距離が360km増加している。ブレーメンのWeserflugの工場でJu 87R-2が471機が生産されている。 ; Ju 87 R-3 : [[グライダー]]を牽引できるようにした機体で、牽引ロープを使用して乗組員とグライダーの乗員とが通信できるように、特殊な無線機が装備されていた。 ; Ju 87 R-4 : R-2型とは異なるJumo 211Jエンジンを搭載していた。ブレーメンのWeserflugの工場でJu 87R-2が471機、ブレーメンのWeserflugの工場でJu 87R-4が145機生産されており、Ju 87R-4は145機中143機が納入され残りの2機は試験飛行で破損している。 === Ju 87 C === ; Ju 87 C : 試作機。[[8月18日]]にRLMはJu 87 Tr(C)を導入することを決定した。Ju 87 Cは、[[ドイツ海軍 (国防軍)|ドイツ海軍]]のための[[急降下爆撃機]]兼、[[雷撃機]]として使用される計画であった。Ju 87Cは、試作機の生産が命じられ、[[1938年]]1月にはテスト可能な状態にあった。テスト期間は2ヶ月与えられ、1938年2月から4月まで行われた。V10は固定翼の試作機で、V11は主翼の折りたたみ機構を備えた試作機であった。これらの試作機は[[Jumo 211]] Aエンジンを搭載したJu 87B-0が原型になっている。V10の製作は遅れ1938年3月までずれ込んだ。[[3月17日]]に初飛行を行い、Ju 87 C-1と呼称された。[[5月12日]]にV11も初飛行を行った : [[1939年]][[12月15日]]までに915回の陸上での着艦試験が行われた。その結果、着艦装置(アレスティングギア)の強度が不足しており、交換する必要があること、静止までに要する着陸距離が平均20-35mであることがわかった。1938年[[10月8日]]、Ju 87 V11はJu 87 C-0と呼称されるようになり、これはJu 87 C型の標準的な装備と主翼の折りたたみ機構を備えていた。 : 艦載型スツーカ(carrier Stuka)は、[[1940年]]4月-7月の間にWeserflugのブレーメンの工場での生産が予定され、1940年7月から1941年8月の間、120機のJu 87 C-1が生産される予定だった。C型の装備品の中で、他のJu 87と比べて特殊なものとしては、信号弾を備えた2人乗りのゴムボートがあげられる。緊急の燃料投棄システムと左右の翼に750Lの容量を持つ展開式の浮き袋、さらに胴体に500Lの浮き袋を2つ装備しており、これによってJu 87 Cは3日間は海上に浮く事ができるようになっていた。 : 1939年[[10月6日]]にすでに発注されていた120機のJu 87 Tr(C)のオーダーはキャンセルされたものの、機体の発注が取り消されてもカタパルトを使用したテストは続けられた。Ju 87 Cは離陸重量5,300kgのとき離陸するには133km/hの速度が必要とされ、Ju 87 Cは胴体の下にSC 500kg[[爆弾]]と翼の下に4個のSC50kg爆弾を装備可能であった。C-1は主翼に7.92mm [[MG 17 機関銃]]を2基装備し、防御用に[[尾部銃手]]が操作する為に7.92mm [[MG 15 機関銃]]を装備していた : 1940年[[5月18日]]に、C-1の生産はR-1に切り替えられた。Ju 87Cは戦争ですべて失われており、現存機は存在しない。 ;; Ju 87 V10 :: 登録記号はD-IHFH(後にTK+HD)W.Nr 4928. 1938年3月17日に初飛行 ;; Ju 87 V11 :: 登録記号はTV+OV。W.Nr 4929. 1938年5月12日に初飛行 === Ju 87 D === ; Ju 87 D : 試作機。[[バトル・オブ・ブリテン]]で敵[[戦闘機]]の攻撃からJu 87は大きな被害を出した。それにもかかわらず、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]はスツーカ以外の有効な[[航空機]]を持っておらず、スツーカの開発を継続する以外の選択肢を持ち得なかった。その結果、開発されたのがDシリーズである。[[1941年]]6月に、RLMは5機のプロトタイプ、Ju 87 V21-25を発注した。Ju 87 D-1は[[ダイムラー・ベンツ]][[DB 603]][[エンジン]]の搭載が計画されていたが、このエンジンは[[ユンカース]][[Jumo 211]]よりも出力が劣る貧弱なエンジンで、装備機がテスト中に墜落することもあった。Ju 87 Dシリーズは[[オイルクーラー]]や[[ラジエーター]]の配置を見直し、より良い視界を得るために[[コックピット]]周りを改良し、洗練された形になっている。さらに防弾装備を増強し、後方の防御機銃として7.92mm [[MG 81 機関銃|MG 81Z 連装機関銃]]を装備した。エンジン出力は増強され、1,420PS(1,044kW, 1,401hp)の[[Jumo 211]]J-1やJumo 211Pが搭載されるようになった。[[1943年]]、Ju 87 Dの燃料搭載量は1,370Lに増加された。これにより2時間15分の滞空が可能となった。300Lの[[増槽]]を2つ追加搭載することで滞空時間は4時間にも達した。 ;; Ju 87 V 21 :: 登録記号はD-INRF。W.Nr 0870536。B-1型からD-1型への改造機。初飛行は[[1941年]][[3月1日]] ;; Ju 87 V 22 :: 登録記号はSF+TY。W.Nr 0870540。B-1型からD-1型への改造機。初飛行は1941年3月1日 ;; Ju 87 V 23 :: 登録記号はPB+UB。W.Nr 0870542。B-1型からD-1型への改造機。初飛行は1941年3月1日 ;; Ju 87 V 24 :: 登録記号はBK+EE。W.Nr 0870544。B-1型からD-1/D-4型への改造機。初飛行は1941年3月1日 ;; Ju 87 V 25 :: 登録記号はBK+EF。W.Nr 0870530。B-1型からD-4 trop型への改造機。初飛行は1941年3月1日 ;; Ju 87 V 30 :: Ju 87 D-5型の試作機。W.Nr 2296。初飛行は1943年6月20日 ;; Ju 87 V 26-28,31,42-47 :: どのような機体であったか詳細は不明。 ; Ju 87 D-1 : 1941年に495機発注され、この機体は1941年5月から[[1942年]]3月まで生産された。1942年の春から1944年の生産終了までに3,300機のJu 87が生産されそのうちのほとんどがD-1型、D-2型そしてD-5型だった。D型は主に東部戦線と中東の広範囲で使用された。[爆弾]]搭載能力はB型の500kgから最大で1,800kgに増加している。航続距離が短くなるためか、基本的には500-1,200kgの爆弾を搭載して運用されていた。 ; Ju 87 D-2 : 古くなったD型のフレームを流用して製作された、[[グライダー]]牽引型である。これはD-1の熱帯型として設計されていた。この機体は地上からの[[対空砲火]]から乗員を守るための重[[装甲]]が施されていた。しかし、この装甲により性能は低下し、Oberkommando der Luftwaffe(空軍最高司令部)からは「D-2型は不要」とまでいわれた。 ; Ju 87 D-3 : D-1型に対地攻撃用の増加装甲を装備した型である。エンジンはJumo 211 Jを搭載しており、Ju 87 D型の多くはD-3NまたはD-3/tropsと呼ばれ、夜間用と熱帯用の装備が追加されていた。 ; Ju 87 D-4 : PVC 1006 Bラックと装備し750-905kgの[[魚雷]]を搭載した雷撃型の試作機として設計された。D-4型はD-3型を改装して製作され、[[航空母艦|空母]]「[[グラーフ・ツェッペリン]]」で運用される予定だった。 : D-4型と初期のD型の相違点として消炎排気管と2基の20mm [[MG 151 機関砲|MG 151/20 機関砲]]があげられる ; Ju 87 D-5 : D-3型の設計に基づいて製作された。特徴として他のJu 87より主翼が0.6m延長されている。エンジンは1943年8月以降はJumo 211 J-1から[[インタークーラー]]付きの[[過給機]](スーパーチャージャー)を備えたJumo 211 Pにアップグレードされている。このエンジンは機体の上昇速度を15m/s増加させた。 しかし[[Jumo 213]]の搭載とそれにより増加した上昇速度により翼の延長は無意味なものになってしまった。コックピット床のガラス窓は補強され、3つあった[[エルロン]]は4つに変更された。急降下速度はより早くなり、高度2,000mで650km/hに達した。航続距離では地表付近で715km、高度5,000mで835kmを記録している。燃料搭載量は胴体のメインタンクで480L、左右の主翼内のタンクに150Lずつ搭載でき、300Lの容量を持つ増槽を2つ取り付けることができた。D-5も主翼に20mm MG 151/20 [[機関砲]]が取り付けられ、装弾数は180発であった。防御機銃として7.92mm MG 81Z 連装機関銃が搭載され、無線通信士兼機銃手が操作し1,400-2,000発の[[弾薬]]を搭載していた。 ; Ju 87 D-7 : 地上攻撃型のD-5型をベースに作られ、増加装甲、主翼の20mm MG 151/20 機関砲、延長した主翼を標準装備していた。 ; Ju 87 D-8 : D-8型はD-7型に似ていたがD-3型をベースとして製作されていた。D-7型とD-8型は夜間専用の同じ機体とよく勘違いされるが、これらはベースとなった機体が異なっており、明確に設計が異なった機体であって、夜間専用だけでなく多用途の機体である。しかし双方ともに消炎ダンパーが取り付けられ夜間での作戦に使用された : 1943年1月に、Ju 87 Dの何機かはJu 87 Gの製作のためのテストベッドになった。1943年初頭Tarnewitzのドイツ空軍テスト・センターは、静止状態でのこの機関砲のテストを行った。G. Wolfgang Vorwald[[大佐]]はこの実験は成功ではないと記しており、また、この機関砲をMe 410に搭載することを提案している。しかしながらテストは続行された。1943年[[1月31日]]には、Ju 87 D-1 W.Nr 255が、ブリヤンスクの訓練所の近くでハンス=カール・シュテップ[[大尉]]によってテストされた。この結果、空気抵抗が大きくなっており、速度の低下が大きく、飛行速度が259km/hも低下していたと記している。さらにシュテップは、既存のD型に比べて機敏さが低下していることを指摘している。1943年に37mmBK 37機関砲を備えたD-1およびD-3が戦闘に投入されている。 === Ju 87 E === プランはあったが機体が製作されることはなかった。 === Ju 87 F === プランはあったが機体が製作されることはなかった。 === Ju 87 H === D型をベースとした複座式の[[練習機]]。 === Ju 87 G === すでに旧式化していたJu 87はG型で対戦車[[攻撃機]]として新しい役割を担うこととなった。これはJu 87の実用化された中では最終型であり、[[東部戦線]]で使用された。[[1943年]]以降の[[ドイツ]]の軍備の弱体化に加え、凄まじい数の[[ソビエト連邦|ソ連]][[戦車]]が出現していた状況下で、ユンカース社はこの脅威に対抗しうる戦力として既存の設計をうまく適用させた。 [[Hs 129 (航空機)|Hs 129B]]は有能な対地攻撃機ではあったが、Hs 129Bの大きな燃料タンクは敵の[[対空砲火]]に対して脆弱であり、ドイツ航空省は「できるだけ早期にHs 129Bの代わりとなる兵器が必要である」と述べた。ソ連戦車を主な標的とするJu 87 Dの更なる発展型として、Ju 87 Gの開発は[[1942年]]11月に始まった。[[11月3日]]に、[[エアハルト・ミルヒ]]はJu 87の改良型を採用することに異論を唱え、完全に設計し直す必要があると問題提起した。しかし採用された設計は既存の設計を流用つつ[[エンジン]]を[[Jumo 211]] Jに交換し、30mm[[機関砲]]を2門搭載したJu 87だった。また、この設計では1,000kg[[爆弾]]を自由落下式で運用する能力も持たせていた。さらに、低空での攻撃の際に地上の対空砲火から乗員を保護するための防御[[装甲]]を[[S・V・イリユーシン記念航空複合体|イリューシン]][[Il-2 (航空機)|Il-2]][[シュトゥルモヴィーク]]の防御装甲を参考にして装備させた。スツーカのエースである[[ハンス・ウルリッヒ・ルーデル]]は37mmFlak 18機関砲を2門搭載することを希望した{{要出典|date=2009年11月}}。この案は、翼下に機関砲を[[ガンポッド]]方式に搭載し、ガンポッド内に[[砲弾]]を収めるBordkanone BK 3.7として採用された。この装備は20mm [[MG 151 機関砲|MG 151/20 機関砲]]に対抗する装甲を備えたソ連戦車でも十分に破壊可能な能力を持っていた。 このガンポッドはJu 87 D-1, W.Nr 2552に搭載され「グスタフのタンクキラー」と呼ばれた。 1943年[[1月31日]]に初飛行を行い、テストパイロットはハンス=カール・シュテップ[[大尉]]が勤めた。同じ対戦車攻撃機として運用されていたBK 7.5 75mm砲を搭載した[[Ju 88 (航空機)|Ju 88 P-1]]が多くの問題を抱えていたこともJu 87Gの量産に拍車をかけ、1943年4月、最初の量産型Ju 87 G-1が前線に送り届けられた。2門の37mm機関砲は主翼下のガンポッドに搭載され、1門で12発、合計24発の[[タングステン]]の[[徹甲弾]]を搭載していた。この最初のG-1数機はオットー・ベイス[[中佐]]の率いる対戦車攻撃実験隊へ配属され、ブリヤレスク方面の戦闘で初陣を飾った。この初陣には[[ハンス・ウルリッヒ・ルーデル|ルーデル]][[大尉]]も加わった。 本機はこの特徴的な機関砲から「大砲鳥」(カノーネンフォーゲル Kanonenvogel)の愛称で呼ばれ、[[ハンス・ウルリッヒ・ルーデル|ルーデル]]を筆頭とするドイツ空軍スツーカ・エースの手によって大きな成果を挙げたが、反面、無理に搭載した37mm砲による重量過多と安定性の欠如から、ルーデルをして「操縦が恐ろしく難しい機体」と言わしめた。 ; Ju 87 G-1 : 旧式の主翼の小さいD型の機体(D-5型以降は翼が延長されている)から改装され、[[ダイブブレーキ]]を取り外されていた ; Ju 87 G-2 : G-1型によく似ており、延長された翼を持つD-5型の機体から208機、D-3型から少なくとも22機生産された : [[クルスクの戦い]]に投入されたG型として生産された機体はごくわずかだった。戦闘初日にG型として生産された機体に乗っていたのはルーデルだけだった。 戦闘前にかなりの数のD型に37mm機関砲が取り付けられG型として運用された。1943年6月に、RLMは20機のJu 87 G型を発注した。 遅い飛行速度と大きな主翼による低い失速速度は、[[上陸用舟艇]]や、地上の戦車、[[貨物自動車|トラック]]のような移動速度の遅い目標を攻撃するのに有効であった。 == 機体データ == A-1(武装は除く) * 全幅:13.82m * 全長:10.80m * 全高:3.84m * 翼面積:31.90m² * 全装備重量:3,350kg * 自量:2,273kg * 最大速度:310km/h * 実用上昇限度:7,000m * 航続距離:1,000km G-2(武装は除く) * 全幅:15m * 全長:11.5m * 全高:3.84m * 翼面積:33.6m² * 全装備重量:6,585kg * 最大速度:375km/h * 実用上昇限度:7,500m * 上昇時間:5,000mまで19.8分 * 航続距離:1,530km == 運用国 == [[ファイル:Ju87 G2 1.jpg|right|thumb|250px|[[イギリス空軍博物館]]に展示してあるシュトゥーカ]] * [[ドイツ]] * [[ルーマニア]] * [[ハンガリー]] * [[ブルガリア]] * [[ユーゴスラビア]] * [[クロアチア]] * [[イタリア]] * [[ロシア]] * [[スロバキア]] * [[大日本帝国]]<ref name="Flightglobal-20130910">[http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130815/wlf13081522570024-n1.htm 戦時中の独製急降下爆撃機 八日市飛行場に配備か 写真確認] 産経新聞の記事 2013年8月15日配信・2013年11月20日閲覧</ref> == 登場作品 == * 『[[IL-2 Sturmovik]]』 : コンバットフライトシミュレータゲーム。Ju 87を操縦し、敵の[[対空砲火]]をかいくぐって[[急降下爆撃]]を行うことができる。B-2、D-3、D-5、G-1の4機種に搭乗可能。 * 『Stukas』 : [[1941年]]に公開された、本機を扱った映画。テーマ曲として「スツーカの歌」<ref>[http://fw190-pls.web.infoseek.co.jp/7.92/01luftwaffe/Stuka/1.html Stuka-Lied]</ref>が作曲された。 * 『[[空軍大戦略]]』 : [[1969年]]公開。この映画には[[スーパーマリン スピットファイア|スピットファイア]]や[[メッサーシュミット Bf109|Bf109]]などの実機が登場するがJu 87は実機でない。 * 『[[ストライカーズ1945]]』 : メッサーシュミット Bf109のサポートアタック(ボム)「シュツーカ急降下爆撃隊」として登場。四方からJu 87が多数飛来し、広範囲にわたって援護[[空襲|爆撃]]を行う。自機としては選択できない。 * 『[[戦火のナージャ]]』 : [[ニキータ・ミハルコフ]]監督。[[2010年]]に公開。[[独ソ戦]]を舞台として本機による爆撃のシーンが多い。ロシア映画でありながらドイツ人俳優を使って搭乗員についても詳細に描いている。 == 脚注 == <references /> == 参考文献 == *{{Cite book|和書|author=[[ピーター・C・スミス]]著|coauthors=[[妹尾作太郎]]訳|year=1987|title={{small|日仏伊英米独ソ七人のサムライ}} 爆撃王列伝|publisher=[[光人社]]|isbn=4-7698-0332-x|ref=爆撃王列伝}} == 関連項目 == {{Commons|Junkers Ju 87}} * [[Ju 187]] * [[急降下爆撃機]]/[[軽爆撃機]] ** [[Tu-2 (航空機)|Tu-2]] ** [[SBC (航空機)|SBC ヘルダイバー]] ** [[SBD (航空機)|SBD ドーントレス]] ** [[ブラックバーン スクア|スクア]] ** [[九九式双発軽爆撃機]] ** [[九九式艦上爆撃機]] * [[襲撃機]] ** [[Il-2]]/[[シュトルモビク]] ** [[九九式襲撃機]] * [[ハンス・ウルリッヒ・ルーデル]] == 外部リンク == * [http://www.luftarchiv.de/index.htm?http://www.luftarchiv.de/flugzeuge/junkers/ju87.htm LuftArchiv.de - Junkers Ju 87 Stuka] * [http://www.warbirdsresourcegroup.org/LRG/ju87.html Luftwaffe Resource Center - Junkers Ju 87 "Stuka"] {{ドイツ国防軍の航空機}} {{DEFAULTSORT:JU087}} [[Category:爆撃機]] [[Category:ドイツの軍用機]] {{Link FA|pl}} {{Link GA|en}}
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