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ANT-20 (航空機)
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{{ Infobox 航空機 | 名称=ANT-20「マクシム・ゴーリキー」 | 画像=Image:ANT-20.jpg | キャプション=2機のI-5と共に[[モスクワ]]上空を示威飛行するANT-20。 | 用途=宣伝機・[[旅客機]] | 分類=単葉[[多発機]] | 設計者=[[アンドレーイ・トゥーポレフ|アンドレイ・ツポレフ]] | 製造者= | 運用者={{SSR}} | 運用者 more= | 初飛行年月日=[[1934年]]4月 | 生産数=2機 | 生産開始年月日= | 運用開始年月日=1934年4月 | 退役年月日=[[1942年]] | 運用状況=墜落 | ユニットコスト= }} '''ANT-20'''(マクシム・ゴーリキー号;[[ロシア語]]:'''{{lang|ru|АНТ-20 "Максим Горький"}}''')は、[[ソビエト連邦|ソ連]]の8発の[[航空機]]である。[[1930年代]]で最も大きな[[航空機]]のひとつであった。 == 開発 == ソ連の小説家[[マクシム・ゴーリキー]]の文学活動開始から40年を記念して、ソ連作家連盟の要望と一般からの寄付による宣伝用の大型機が企画された。[[アンドレーイ・トゥーポレフ|アンドレイ・ツポレフ]]によって[[1933年]][[7月4日]]から製作され、[[1934年]][[4月3日]]に完成。「マクシム・ゴーリキー」と名付けられた。 == 設計 == ソ連の航空技術を世界に誇示すべく、機体はこれまでにない巨大なものになった。主脚は固定式でタイヤにはスパッツが被せられていたが、これだけで4mほどの高さを有した。エンジンは、主翼に[[ミクーリン AM-34|ミクーリンAM-34 FRN]]を6基も装備したが、これでも馬力不足であったため、胴体上に同エンジンを2基収めたエンジンポッドを追加した。あまりにも巨大なため離着陸可能な飛行場も少なく、分解して列車で運搬できた。 ANT-20の最大の特徴は、未だ中央からの行き届いていない地域に、[[ソビエト共産党]]と[[スターリニズム|スターリン主義]]の宣伝のために用いられるための各種機材を搭載していることであった。機内には印刷機械、撮影設備、映写機械、資料室などを備えており、「天からの声」 (''"{{lang|ru|Голос с неба}}"''<small>ゴーラス・ス・ニェーバ</small>) と呼ばれる高出力の放送設備も備えており、夜間空中に党のスローガンを投影する照明装置も備えていた。これらの電源には4基の補助エンジンが搭載されており、直流の他に交流の電源も使用できた。これらの機材を運用する宣伝要員として10名から12名が搭乗したが、彼らのための寝室や電話交換機、果てはカフェテリアも用意されており、洗濯室や薬局、バーすらあったという説もある。 == 運用 == 共産党の宣伝要員や党幹部のみ搭乗が許された。唯一の外国人搭乗者はフランスの作家である[[アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ]]で、『パリ・ソワール』紙の新聞記者として機上の人となり、墜落事故直前に搭乗記を執筆している。 [[File:Aeroflot ANT-20bis.jpg|thumb|200px|アエロフロートで運用されるANT-20bis。]] [[1935年]][[5月18日]]、[[イヴァーン・ミヘーエフ|イヴァーン・ヴァシーリエヴィチ・ミヘーエフ]]({{lang|ru|Иван Васильевич Михеев}})と[[ニコラーイ・ジューロフ|ニコラーイ・セミョーノヴィチ・ジューロフ]]({{lang|ru|Николай Семёнович Журов}})の操縦によるマクシム・ゴーリキー号は[[ANT-14 (航空機)|ANT-14]]、[[R-5 (航空機)|R-5]][[偵察機]]、[[I-5 (航空機)|I-5]][[戦闘機]]の3機と共にモスクワ上空のデモ飛行のために離陸したが、翼の近くで突然宙返りした[[ニコラーイ・ブラーギン|ニコラーイ・パーヴロヴィチ・ブラーギン]]({{lang|ru|Николай Павлович Благин}})の操縦するI-5と、衝突して墜落した。この墜落で操縦クルーと招待された党幹部の計45人が死亡し、機体も全損してわずか1年ばかりの生涯を閉じた。ソ連当局は、ブラーギンが急接近した状態で無理な宙返りをしたのが事故の原因だと発表したが、この宙返り自体が事前に命じられたものであったとされている。 その後、[[1938年]]に旅客機として'''ANT-20bis'''が1機製造された。ANT-20bisはエンジンの強化で主翼の6基のみでの飛行が可能になっていた。ANT-20bisは登録記号「PS-124」が与えられた後に[[アエロフロート]]でモスクワ - [[ウズベキスタン]]間の定期飛行に就役したが、[[1942年]]に事故で墜落し、乗員36名全員が死亡した。 == 要目 == === ANT-20 === * 全長: 32.46 m * 全幅: 63.00 m * 全高: 11.25 m * 空虚重量: 41,731 kg * 最大速度: 220 km/h * エンジン: [[ミクーリン AM-34|ミクーリンAM-34 FRN]](900馬力) ×8基 * 乗員: 8 - 10 人 * 乗客: 72 人 == 参考文献 == * ジム・ウィンチェスター(松崎豊一・監訳)『図説 世界の「最悪」航空機大全』[[原書房]] [[2009年]] ISBN 978-4-562-04236-4 [[Category:旅客機|ANT-020]] [[Category:ソ連・ロシアの航空機|ANT-020]] [[Category:マクシム・ゴーリキー]] [[Category:ソビエト連邦のプロパガンダ]]
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